魔女の花 ベラドンナ 【私と貴女】

 赤名スズは大橋トリコに焦がれていた。

 世界で一番美しい、妹に。


 大橋トリコと赤名スズは双子だった。小さい頃からいつも一緒。けれど、今は離れ離れ。

 スズの体内に流れる血だけが、トリコと繋がっていた。

 両親が離婚したのは小学三年生の時。五年前になる。スズは旧姓に戻った母の元に引き取られ、父の元に残ったトリコとは別の苗字になった。

 とはいえど、地元で出会って結婚した母の実家は元いた家からそう遠くない場所にあった。スズの小学校が途中で変わったが、スズとトリコは同じ学区の中学に通っていた。

 

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「スズは進学するの?」

 トリコは茶髪の毛の先を弄りながら、スズに聞いた。

 昼休みには廊下の端で話す。それが中学で再会した二人のルールになっていた。会えない事もなかったが、小学生の身分と、両親の関係を考えて、会えずにいた。

 断絶していた三年を取り返すため、二人の時間を作りたかった。

「うん。お父さん、養育費払ってくれてるし?」

「フフ。スズの話は家でもするのよ。スズは元気なのかってちょくちょく聞いてくる」

「へぇ。別に良いのに。毎月口座に入金する事さえ覚えててくれれば、忘れてて」

「あはは。…お母さんは…私の話しないでしょ?」

「…。うん。あんまり、かな」

「やっぱ、そうだよね」

「…たまにはするよ」

 トリコは悟ったような顔で床に目を落とした。

 スズはそんなトリコからガラス越しの窓の外に視線を外した。

 "たまに"というのは、嘘だったからだ。

 実際には、毎日欠かさず、母はトリコの話をする。

 父に奪われたトリコの話ばかりで、スズが模試で、母の勧める高校にA判定をもらったことにさえ興味がないほどに。

 トリコの賞賛と、それと、自分を選ばなかったトリコへの悪口。父の存在が霞むほど、母の中にはトリコしかいない。

 執着と寵愛の向く理由もスズには分かっていた。

 色付きリップがのった艶やかな唇に目が行き、そして、垂れ気味の瞳と目が合う。

 トリコは蠱惑的な女の子だった。子供の頃から大人びた雰囲気のトリコ。彼女は関わる人を皆狂わせる。両親が離婚したのもその実、トリコが原因だった。そして、母は父とトリコの取り合いをして、負けたのだ。

 

 スズは再び窓ガラスに向いた。ガラスに映る、トリコに似た顔の、しかし、決定的に何かが欠けたもう一人。

 双子なのに。顔は瓜二つなのに。人に与える印象がスズとトリコでは全く違った。平々凡々なスズには、トリコが特別であることが分かっていた。


「トリコはどこ受けるの?」

「迷ってる。はぁ、勉強なんてしたくなぁい。でもね、私、東京に行く。それは決めてるの」

「え?」

 スズはすぐさまトリコを見る。

 確かにスズたちの住む川崎は東京にアクセスしやすい。

「確かにここから十分に通える距離だけど、なんで東京?」

「ううん、家を出るの。寮のあるところに行く」

「…。でも、お父さんを一人にできないからって、お父さんについて行ったのに」

「高校生からはもう大人よ。お父さんにだって子離れしてもらわないと。なんかね、ここって窮屈な感じがするのよ。わからない?」

 トリコは窓の外を眺めながら言った。トリコの目には灰色の街並みと、白い煙を吐く煙突、鈍色の海が段々になって映り込んでいる。

 せっかくまたこうして同じ時間を過ごせるようになったのに。東京になんて行ったら、トリコは今以上に遠い存在になるだろう。きっと今よりずっとたくさんの人を魅了する。

 それでも彼女は気が付かないのだ。周囲の人の人生を狂わせているということには。

「折角またこうして一緒にいられるようになったのに、また離れ離れになっちゃうね」

「スズも一緒に行こうよ」

「…」

 スズは県内にある、母の母校に進学する予定だ。まるで、トリコの代わりのように。

「私は行かない。トリコならどこに行ったって大丈夫だけど、私は…」

「スズだって大丈夫だよ。私が行けるって思うのよ。あなただだって行けるわ」

 双子だからとでもいうのだろうか。それとも、自負心からそんな事をいうのだろうか。

「トリコは綺麗ね」

 口から漏れたのは、トリコにとっては不可解な言葉かもしれなかったが、スズにとっては適切な言葉だった。

「何それ、同じ顔してるのに」

「…全然違うじゃない」

 スズはトリコの顔に手を伸ばす。横髪に触れ、頬を覆う。

「きっと瞳の中身が違うんだ」

 スズは顔を覆った指先に軽く力を込める。親指の先が、トリコの目の下の窪みに沈み込む。

「いたっ…」

 トリコの瞳孔が開く。毒の一滴が、瞳から一筋流れ落ちる。彼女の美しさは、血を分けたスズをも魅了する。

「痛いよ、スズ。…スズ?」

「トリコ、私はその瞳が欲しい」

「…えー、あはは、何? 変なこと言うのね」

 スズは応えずに、頬から手を離すと、トリコの髪を指先で梳いた。

 トリコは、しばらくなされるがままその様子を見ていたが、不意に口を開いた。

「そうね。そうだった。私たちは全然違う。私は、スズになりたい」

「何言ってんの」

「私は、お母さんに愛されたい」

 トリコは瞳は涙で蠱惑的に艶めく。

 スズは沈黙した。

 トリコはいつも全てを持っている。

 しかし、スズはその真実をトリコに教えてあげる気にはならなかった。《ルビを入力…》

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