高木を待ちながら【俺とお前】

 大きなたんこぶを額に生やした高木は、教壇の上から俺に言った。俺の顔をじいっと見て。

「僕はずっと高木の中にいた宇宙人だ」

「…当たりどころが、すごく悪かったようだな」


「時間がないんだ。だから、この日の事を、僕のことを、できればでいいから、覚えていて欲しい。いや、僕のことを忘れないでくれ。頼む」


「帰っていいか?」


「できれば、待ってて。時間を取らせてしまうのはわかってる。だけど、本心はこうだ。お願い」


 高木は顔の前で手のひらを合わせた。もうすぐ春が終わる頃。前にも似たことがあったような気がするが、こんなのは初めてだった。


 高木は、気を狂わせている。

 先程高木が転けて、1番前の列の机に額を強打した。それから、おかしなことを言い出した。

 いや…? こんなやつだったような気もする。


「僕は宇宙人だ」

「やっぱり君はおかしくなってしまった」

「待て待て待て」

 帰ろうとする俺の腕に、高木は縋り付く。そんな彼に俺は言ってやる。

「いやぁ、でも君はクルクルまわるな。君自身も、自分を掴み損ね続けているように。くるくるとして…それでいてズルズルと、ヌルヌルと…」

「ヌルヌルはやめてくれ…」

 弱々しく抗議する様はいつもの高木のように見えた。

「君はそんなやつじゃなかった」

「そうだよ。僕は今、宇宙人なんだ。僕自身だって戸惑ってる」

「そうだ。宇宙人だという証拠を見せてご覧よ」

「例えば?」

「宇宙人語を話すとかでいいぜ。宇宙人に伝わるダンスを披露して見せてくれるとか」

「君の想いの通りにはならないさ。ましてや踊らない。でも僕は、君の目を引く自信がある」

「随分な自信だね。君のそういうところは好きだぜ。俺は前の高木も今の高木も、何千なん万回君が変わろうとも、君が高木だというだけで好きになってしまうだろうさ。そう、俺が覚えている限りはね」

「はは。君といるのは痛いよ」

「俺も同じさ」

 高木は笑う。そして、くるりと黒板の方に向いて、チョークで文字や絵を描くでもなく、板面を引っ掻く。

「君は僕が好きか、そんなことはわかってる。でも、それで、どうなる? どこへ行く?」

「それは僕たちの性別が同じだからか、それとも生まれた星が違うからか?」

「さて?」

 はぐらかすように言って、高木は再び真っ直ぐにこちらを見た。

「君の目さえ盲目だったのなら、僕は普通に生きていけたのに…!」

「それはないね。あと、君は元から変だぜ」


「目が合う事があったら、その遠くまでよく見える目で、僕の目をよく見ろ。目が合うのが怖かったら、鼻先のあたりを見るといい。よおく、見ろ」


「するとどうなる?」

「してみたらわかるよ」

 言った割に高木はそこで目を逸らしてしまった。


「意気地がないな」

「段階があるだろう。今はダメだ」

「なんで」

「僕は今、宇宙人だから。重力と空気ってやつに慣れないといけない」

「今俺にできることはあるか」


「出来うるならただ応援してくれ。僕は君に応援されたい」


「君はすごく頑張ってるよ」


「いやだめだ。まだダメなんだ」


「ええい面倒なやつ。その間に忘れてしまうぜ」

「そんなことにはならないと思う」

「自信があるのかないのか」


「むちゃくちゃ言ってるのは分かっている。君がいつまでも僕を覚えてくれているわけでもない事もわかってる。今この瞬間に忘れているだろう事もわかっている。だけど、君をこれからも振り回すだろう。君の元に帰るから、だから、約束を忘れないでいて欲しい」


「約束なんかしてないだろう。忘れっぽい君に言われてもねぇ」


「そうだね。こんな話じゃ、君の心を掴めやしないって事もわかってるさ忘れるか忘れないかだって、僕が決めることじゃない。これから大人になった君も、いや、大人である君は、僕を容認しないだろう。それはいい。それでいいんだ」


 高木は手を広げて遠吠えするオオカミのように叫んだ。



「けど、いやだ。僕だってどんな君も好きなんだ。変わってしまって申し訳ない。だけど、僕自身を君も探しておくれよ。だから、覚えていて」


 

 高木はそういうと、気絶した。綺麗に後ろに倒れていった。

 俺は高木を待った。

 高木はしばらくしてムクリと起き上がる。

 俺はすかさず起き上がった彼に聞いた。

「それで高木はここに帰ってきたか?」

「俺はずっと高木だが?」

「…」





 土日を挟み翌週、高木はまともな高木に戻っていた。

 目があったが、高速で逸らされた。高木だ。


「昨日のこと覚えてる?」

「ああ、勿論。昨日だぞ? 忘れるはずない」

「それじゃあ君は、高木じゃないのか?」

「藪から棒にどうした?」

 真顔の高木は忘れているのかいないのか、本当のところが全く見えなかった。

 高木は靴箱から靴を下に乱雑に落として、足で掬った。そして、トントンとつま先で地面を叩いて足を靴に収める。彼はいつもそうする。

 僕は高木の顔をじっと見つめながら言った。


「僕は、忘れるつもりなんてない。明日も、どんな君だって、君に会いたいっていう自信があるよ。何度だって」


「…その明日が来ない可能性だってあるだろう」

「それでも僕は君が好きさ。だから、僕から君に会いに行く。会えるのは宇宙人だって構わないから」

「…それも僕か?」

「きっとそうさ。君自身も、僕と君も、すべてがいつも同じである必要なんて、どこにもないんだから。僕は君が好きさだぜ。それがわかってれば、君がどうしたって構わないよ」

 高木はコクリと頷くと、さっさと廊下の先に行ってしまった。



 俺はいつものように、その背中を追いかける。

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