ものかたり【君と僕】
ーーとは言ったものの、俺は物質こそが世界に先立ち、この世界の全ては"モノ"にその根源があるのだと信じていた。そう、先刻、数秒前。俺は嘘をついた。
「精神こそがすべての事象の根源たりうるもので、全く君の言う通りさ」
俺はそう、宣った。何故か。そんなことは決まっている。彼女が唯心論者であったからだ。
「そうでしょうとも、いかにも」
そう言う彼女のつぶらな瞳は三角の形をしていた。
こうして自分の考えが肯定されることに彼女は至高の喜びを感じるらしいのだ。もし反対の意見など言おうものなら、彼女の持ち得る言語を総動員させて、反する言説を完膚なきまでに叩くだろう。実際、その様子を幾度となく見てきた俺は、また今日も嘘をつく。何故って、彼女は自分に反するものを決して許しはしないし、俺は彼女に嫌われたくなかった。
「何故かって、もし"私"と言う存在が現存していなければ、いくら物で溢れかえっていても、それらは意味を紡ぐことができない。"私"という精神が存在することで初めて、万物は知覚され、意味を帯びることができる」
俺は彼女の言葉に首肯した。もちろんそれに意味などない。反射のようなもので、俺は彼女の前ではただ首を縦に振るだけの人形だ。
因みに、先ほど彼女が"私"と言ったのは、個々の存在を指していうものではない。
彼女の言う"私"は彼女以外の何者でもない、彼女のことであり、それほどまでに彼女は傲慢だった。
しかし、そうであって然るべきなのだ。何故って、彼女は神なのだから。
世界の終焉はそれから程なくしてだった。世界と言っても、この主語は俺と彼女の、なのだけれども。でも、片方が神様なのだから、世界と言っていいのだろう。
きっかけは、忘れてしまった。だけど、その引き金は明白なまでに俺の嘘だった。
彼女は厳しい眼差しを俺に向けていた。臨界まで溜まった涙が表面でつるりと光る。
俺は、その時初めて、これが欲しかったのだと気がついてしまった。
彼女一辺倒な世界を一度崩してみたかった。ただ、それだけの理由で、心の中だけで唯物論を展開していたのだ、と言うことにも。
そうしている間にも彼女は、何か喚いている。自分を肯定しない世界の理を全否定する言葉の数々を。しかし、そんなことはもう刻すでに遅い。何故なら彼女は世界を生み、自分でない物を生み、俺という他者を生み出したのだから。
世界は俺が気がつくより前に崩壊していた。しかし、終局ではない。幕が一度下されようとも、また再び、始まるものだ。彼女も、俺も、世界も、彼女と俺も。
俺は、泣きじゃくる彼女を引き寄せた。そうして、できるだけの温もりを込めて、囁く。
「もう世界に君はいらなくなった。だから俺、唯心論者になるよ」
「今更。死んでしまえ」
そう言って彼女は俺の背中に爪を立て、俺の方はと言うと、この悠久の時に微睡を感じていた。
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