甘い甘いチョコレートはいつか致死量に達する【君と僕】

 オレが桟橋の淵に腰掛けていると、背後からタタンタタンと板を踏む足音が聞こえてきた。

「チョコレートなんて、贅沢品。どこで手に入れたん」

 声に振り返ると、島一番の美少女は、健康的に焼けた肌に映える白いワンピース姿でこちらに笑いかけてくる。

 パグのエリオを連れていて、散歩の途中だったようだ。まだコロコロとした子犬のエリオはオレに向かって尻尾を振っている。

「贅沢品て。ただの板チョコだし。兄ちゃんがくれた」

「兄さん帰ってきたん!」

「うん。けど、また船に乗ってった」

 兄さんは東京で島の外で働いていて、ときたま適当な土産と共に帰ってきては、すぐに行ってしまう。今回は特に適当で、きっと向こう岸の波止場の売店で自分の弁当と一緒に見繕ったものなのだろう。

 オレは立ち上がり、未夙の横に並んだ。特に会話はせずに、エリオを先頭にしてオレと未夙は桟橋を島の方に戻る。

 波風に揺られ、彼女のスカートや黒髪が波打った。

 未夙は美人ではあるが、テレビで見るようなモデルや女優と比べてしまえば、平凡な見た目をしている。ここにいるから、彼女は特別なのだ。

「食べる?」

「うん」

 アルミホイルの上からぱきりと一列砕いて手渡そうとした。そこに未夙の手が伸びて来て、オレの手に触れた。

「!」

 動揺した指先からチョコレートのかけらが逃げる。

 落ちたかけらにすかさずエリオが飛びついて、未夙も素早くエリオの手綱を引いて止める。首が絞まって、エリオは泥酔したオヤジみたいな顔で舌を出した。

「犬にチョコあげたら死んじゃう!」

 未夙が血の気の引いた顔で焦った声をあげる。オレに言ったのか、エリオに言ったのか。ともかくオレもエリオも縮こまった。

 オレはエリオの頭に手を置いた。エリオはオレの手に戯れて指先を甘く噛む。

「あ、コラ」

 そう言って未夙が再びリードを自分の方に引き寄せようとする。エリオは首を後ろに引かれて、二足歩行で後退した。

「甘噛みだから平気だよ」

「だめったら。甘噛みを許してるとね、本噛みに発展するからね。そんなことになったら大変。適当なところで怒っておかないと」

「そうかな。甘やかしたもんがちだと思うけど」

 エリオの頭をぐりぐりと撫でると、オレの手にまた戯れて噛みつこうとする。オレは痛くない程度の力を止めて頭を上から押してやる。生来の潰れた顔がさらにぺしゃんこになった。

「犬猫だって、チョコを一口食べたからすぐ死ぬわけでもない」

「そうなの? けどほら、チョコって食べ過ぎは人にとっても、有害じゃん。食べすぎれば死に至る。ほら、君の命のためにもう少し消費してあげる」

 未夙はにやにやと笑って手を差し出してくる。

「人間の致死量って?」

「板チョコ大体60から70枚分」

「そんなん全然心配ないじゃん」

「あと、チョコレートの場合、カカオの中の有害物質のせいじゃなくて、まず、砂糖で死ぬの」

 オレは未夙にもう一列チョコを渡した。

 未夙の白い指先が黒っぽい茶色のチョコレートの上に乗る。

「甘さも毒もいつか、臨界を迎える」

 艶やかに少女は言って、笑った。そして、オレから受け取ったチョコレートを手で折った。彼女の体温でかすかに溶けたチョコレートが彼女の指先を斑らに汚している。

「あなたにだけあげる」

「…」

「私はあまいかな」

 どちらの意味なのかはわからなかった。しかし、この甘い毒に、オレは絡め取られる運命にあると知った。

 船着場はすぐそこだ。泳ぎだって、得意だ。でも、そんな勇気、今のオレは持ち合わせていなかった。

 無意識に息を呑んだが、唾液はとっくの昔に干からびていて、真夏の暑さと体温に溶けて食道にへばりついたチョコレートのせいで喉がいがいがとした。

 

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