佐谷田さん、恋をする【君と僕】

 恋が世界を変えてくれるから、それは良いものなんだって聞いてたのに、こんなに生きるの辛くなっちゃうってさ、おかしくない? 


「佐谷田さん」

「う、」

 毛呂山くんは尊い。その一言に尽きる。彼は前髪に触れるのが癖で、彼の薄茶色の髪はいつも光の粉を振りまいて、きらきらと風に靡く。きっとファンタジー世界に転生したのなら、彼は王子様に生まれるだろう。

 わざわざ私の机の横にきて、彼は私だけに微笑みを向ける。

「佐谷田さんが前に言ってた、カフェ行ってみたよ。チーズケーキ、すごく美味しかった。おすすめしてくれてありがとう」

 口角の上がった口からきらりと覗く白い歯。ウィンクなんかしてもきっと彼は嫌味がない。彼はそんなキザな事したりするタイプではないのだけど。いや、やってくれたらきっと尊死する自信しかない。

 彼は手を軽く振って優雅に自分の席に帰っていく。




「わかりやすくキャラ変したよね典子」

 前の席の果南に言われて、私は素直に頷いた。たしかに私は変わってしまった。聞いてないよ。私がこんなにも変わっちゃうなんて。

 会いたいとか、私には関係のない感情ですね。とか言ってた。これはかつての私。

 高みの見物決めてたのに後ろから刺されて突き落とされて、ベコベコに変形しちゃって。あんまりだよ。

「男で変わる女とか、自分なんてないんじゃない。あり得ない」

 果南はの言う通りだ。

「まあね」

 そうなのだ。

 だけど。恋が世界を変えたから、ひきづり出されて市中引き回し。あんまりだよ。




「佐谷田さん」

「毛呂山くん!」

 放課後の教室で残っていると、毛呂山くんが姿を見せた。ささっと前髪を直す。やたらとクネクネと体が動いてしまう。私は駆け寄った。

「どうしたの? 何かあった?」

「うん、ちょっと、大事な話があって」

「え?」

 茜射す教室で二人っきり。なんてロマンティック。これはキタコレ。

「あのね、今日は伝えたい事があります」

 なぁにぃ〜なんて心の中で言って期待に胸を弾ませて頷く。釣られてか、毛呂山くんも頷いた。

 そして、真剣な顔つきで言った。

「僕は前の佐谷田さんの方が好きなんだ。なんかね、自然にして欲しいんだ。最近の君はなんだか…そう、らしくない」

「ほ、ほう」

 予想外の展開にがくりと肩を落とす。でもそうか、私の変化に毛呂山くんも気が付いていたらしい。

 実は毛呂山くんには一目惚れしたわけではない。元々は同じ図書委員をすることになったのがきっかけで、話する程度だった。

 だけどあの日、恋が落ちたのだ。バラバラと、階段の上から下まで真っ逆さまに。

 委員会の仕事で本を抱えて階段を降りていた時、私は誤って足を滑らせた。下にいた毛呂山くんは、本を放り投げてまで私のことを助けてくれた。

 急転直下。ブレーキなんて折り曲げちゃったからもうとっくに捨てちゃったのよ。

 それからの私はクネクネモード。

 そうか、ずっと私、おかしかったのだ。

 でも。

「これも私なの」

「佐谷田さん?」

「あのね、私、全然大丈夫なの」

「うん?」

「男で変わる女が嫌って思ってた。だけどね、思うの。男が女を変えるっていうのが、偏見の種だって」

「うん」

 毛呂山くんはただ頷いてくれた。

「女も男を変える、同性同士だって。人は人を変えるし、それに人だけでもない。取り巻く世界は私を変えて、私だっていないよりはちょっと世界が変わるでしょう?」

「それは、つまり、君と僕が出会ったことで…君は…」

 毛呂山くんは何故だかちょっと申し訳なさそうにしゅんとした。もしかしたら自分のせいだと、彼は思っているのかもしれない。

 私は胸を張って、大きく息を吸い込んで、吐いた。胸のときめきが制御不能で主張を続ける。

 私はそれを黙らせるためにどんと胸を叩いた。

「あなたが私を変えたけど、変わったのは私なの」

「それは、つまり?」

「私は今の私もすごく好きってこと」

 目を丸くする毛呂山くんの眼は、言い表せもしないし、価値なんてつけられないくらいキラキラと輝いてる。それは私が自分に見せる幻影だってわかってる。

 それでも。

「変わっていく私も私は大好き」

 毛呂山くんは寂しげだ。そうじゃないよって彼は思ってるのかもしれない。でも、私はそう思うのだ。だからせめて。

「でも、そうね。クネクネは直したいかな」

 あまり納得していない顔で毛呂山くんはまた頷いた。

「じゃあひとつだけ条件があるんだ」

「うん」

「僕が間違った時、君はちゃんと叱ってくれ」

「…うん」

 茜射す教室で、話はそれきり。いつもの雑談に切り替わる。



「そろそろ帰ろうか?」

「ごめん、先に帰って」




 一人になった教室で私は折り紙をしていた。

 紙には日記が書いてある。ホットワードは勿論、毛呂山くん。

 できたのは、紙飛行機。

 越えちゃいけない私とあなたの境界線を丁寧に折っていく。どんなに線に沿っても、風に煽られて乱高下する紙飛行機。

 だけど受け入れたらなんだか、心が上昇気流なんかに乗っちゃって、空高く空高く落ちないでシュプレヒコール。いつか地に着くその時まで。

 今、私からは二人の関係に名前なんてつけられない。きっと壊れてしまう。でもきっと私、毛呂山くんのことが嫌いになった私も、毛呂山くんが好きじゃなくなった私のことも愛せるんだ。

 この煌めきは。ときめきは。嘘じゃない。

 私は紙飛行機を子供のように手で掴んでデタラメに飛ばしながら、教室を飛び出した。

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