続く花園【君と僕】
「ようこそ。名も無い花園へ」
仕立ての良いメイド服に身を包んだ女性は、そういって微笑んだ。目尻と口元の皺が優しげに、深く刻まれる。
「よろしければ庭園内をご案内しますが、どうされますか」
「あ、じゃあお願いします…」
女性はまたにこりと微笑み、僕を庭園へと誘った。
女性の後ろに続いて、庭園の入り口にある樹木のアーチをくぐる。
***
園内には色とりどりの花々が植えられていた。
花には詳しくないので、名前などはわからなかった。分かるのは、薔薇の花くらい。もちろん品種などは全くわからない。
メイドの女性がそれを一つ一つ説明してくれる。
そうは言っても、その可憐さに漫然と視線を向けて、綺麗だなと、凡庸な感想が心に浮かぶだけだった。俺はここに来た意味を必死で探すように、女性の話に耳を傾ける。
ここは街の外れにある、御屋敷の庭。屋敷の方には今は誰も住んでいないらしいが、庭だけが一般にも開放されていて、こうして運営されている。
けれど、幽霊屋敷とも呼ばれるこの隣の建物の雰囲気が原因で、訪れるものは少ない。一部の廃墟マニアの間では人気があるようだが、市街地から遠く離れているし、今日は平日の昼ということもあって、他に人はいなかった。
僕が今日ここにやってきたのは、執筆に行き詰まったからだった。
すっからかんに枯れたアイディアを探し求めて彷徨い歩き、ここに辿り着いたのだ。前から存在は知っていたが、訪れるのは初めてだった。
最新作は自分が思うよりずっと評価されて、身に余るような賞賛を受けた。作品は飛ぶように重版し、映像化の話まで企画が進んでいる。
だからこそ、見えないハードルを感じていた。
普段ならくぐり抜けたっていいことも、同じ高さで登っていければいいことも頭の片隅ではわかっている。それなりの自負とカンが長い作家生活の中で培われていた。
しかし、今回は違った。
跳ね上がった期待。それが、次が、恐ろしいのだ。一度上がってしまったら、次への期待は大きくなり、その落差も比例する。常に前作を上回るものを作っていかなければ、見放される。それが現実。
栄華を誇ったものも、いつの日にか、必ず衰退する。いつかは窪みに落ちる。谷が深ければ深いほど、戻るのは難しくなる。
俺は新緑の向こうの御屋敷を見やる。
ふと、風に乗って、唄が届いた。
——水をあげに参りましょう
枯れないように
伸びた枝は綺麗に整えて
止まった時間が動き出すまで
変わらずに 麗しく
年配の男の声だ。伸びやかで自由な旋律。下手くそともいえた。でも、ずっと聴いていたいような。
「庭師ですよ」
きょろきょろと視線を巡らせていた僕の顔色を見ながら、女性は正面の生垣の向こうを指さした。
何層か越しにある生垣の頭から、麦わら帽子のてっぺんが覗き、旋律に合わせながら、ゆらりくらりと揺れている。
「あの人は気ままだし、手も動かさずに唄ばかり歌っているんですよ」
女性は頬に手を当てて、ため息をつく。
「ああでもね。ああ見えて情に厚いところもあるんです」
女性は我が事のように誇らしげに胸を張った。
「彼が一番長くここにいるんですよ。先代からあの屋敷に仕えていて、今も彼は使用人部屋に暮らしてるんです」
「え、まだ住んでたんですか」
「ええ。あの屋敷には、彼一人だけ。先代の主人は何年も前に亡くなっていて、ここも御子息が所有しているんですが、一度ここを手放そうとされたんです。その時、あの人がどうしてもここを残したいと言って、今の主人を説得して」
「そんなことが…」
「約束したんですって。先代の主人にこう言われたそうです。“君の命がある限り、何があっても、この庭は君が守り続けろ”と」
「何があっても…」
思うところがあって、僕は少し迷ってから、女性に尋ねた。
「彼には約束がある。あなたは? どうしてあなたはここにい続けるんですか?」
「ふふふ。彼と同じ。ここが好きだからですよ」
自分よりも一回り上くらいに見える女性は、少女のような軽やかな声で言った。
「かつての煌びやかな歴史に拘っているわけでは無いのですよ。ただ、主人と私たちが愛したものを残しつづけたい。それだけなんです」
花々が風に揺れてざわざわとしている。
過去から今へと続く、僕の知らない時間が頭の中に吹き抜けていった。
「だから私達のこの想いだけは、まだ燃え尽きさせるわけにはいかないんです。大体あの屋敷だってちゃんと手入れしてれば幽霊屋敷だなんて呼ばれなくて済むのに。あの人は全く適当なんだから」
「ははは…」
「それにね、こうしてやってきてくれる人もいますし。今はここにいなくても、今の主人だってここには大切な思い出がここにあるんです」
初見の印象よりずっと饒舌だった女性は、また花のように微笑む。
「また来てください。必ずここはありますよ」
「——でも、僕、また来れるかは…」
見えない先が恐ろしかった。空の手を意味もなく揉む。
すると、女性は持っていたバケットの中から剪定鋏を取り出して、薔薇の花を一輪切り出した。
そうして僕に差し出し、言った。
「【孤独もまたいつしか、花となる】」
僕は聞き覚えのあるフレーズにハッとした。女性は胸に手を当てて、微笑む。
僕が初めてこの世に送り出した本の言葉の一つだった。
「僕のことを知っていたんですか?」
「この街じゃあなたは有名じゃないですか」
「いや、そんなことはないと思いますけど…」
なんだか照れ臭くなって、首の後ろに手を当てる。
「【言葉は残る。どんな未来を迎えても。】——。『影とともらう』の主人公が好きなんですよ」
「…はは、ありがとうございます」
「…またいらっしゃい。ここはいつでもありますから」
手元の花を見た。
あの庭師の作品であり、命であり、想いが手の中にあった。摘み取られても芳しく、例えばその姿が消えても、大事なものはこの庭のある限り、残り続け、受け継がれていく。
***
僕は女性に見送られて庭を後にした。僕は再び悩みと不安を抱えてここを訪ねることになるだろう。
枯れない想いのある限り。
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