ボールとテレビ【君と僕】

「どうしてテレビはしかくいの?」


 部屋の中にいる娘はテレビの枠の上部を4本の指でなぞった。案の定、ホコリがついたようだ。悪びれる様子なく、着ていたユニコーンのプリントの服になすりつけた。そこだけピンク色が微かに灰色にくすむ。


 庭に出てしゃがんで草むしりしていた俺は、軍手についた土を払う。それから、首にかけたタオルで汗を拭った。


「…どしてかなぁ。最初の頃は丸かった時もあるんだって」

「むかしはボールだったのかな」

「はは、昔もテレビはテレビだよ」

「パパぁ! あついのに外でてると、またママに怒られるよ!」

「ん、内緒ね〜」


 かんかん照りのこんな日は特に、クーラーのついた涼しい部屋で寝ていた方が良いのはわかるが、今日は調子がいいので何かしないではいられなかった。最近はすっかり筋肉の落ちた足に力を入れて立ち上がると、立ちくらみがしたので、一度目を瞑ってやり過ごす。


 すると、部屋の中で娘がボールを持ってきて、跳ねさせて遊び出した。乱暴でいてコントロールされた力が加わって、娘の掌と床の間を行き来する。


 娘は床から跳ね返ってきたボールをキャッチする。そして、にかりと笑うと、こちらに投げてきた。俺は軍手をした手でそれを受け取る。心配していたのかと思ったら、子供というのは気まぐれでお構いなしだ。


「つよ」

「きゃはは」


 速度に気をつけて投げ返すと、娘はうまくキャッチした。たったそれだけのことで、つい微笑ましくなってしまう。


 娘が僕の動きを見て、何かを閃いたような顔をした。真昼の空の頂点に浮かぶ太陽の輝き似たものが、その瞳に浮かんでいた。


「そだ! おとうさんのむかしのやつみたい」

「んー、別にいいよ。ほら投げて」

「えー、みたいみたい!」

「いいよ。もういいの。今はお前のパパだから」

「んー? ん、パパだね」

「ふふ、そう、パパ」

「ずっとパパ?」

「勿論。ずっとだよ」


 娘はまた、ボールを投げ返した。力が分散していて、大きく左上にずれたが、手元を見る必要もなく受け取る。か弱い感触だった。


「じゃあモモがパパの"かわり"する」

「ふは、何それ、どう言うこと?」


「よしくんがね、チームはいるんだって。あと、よしくんの同じクラスのけいくんとか、りきくんとかもいるんだって。あたしもはいるの」

「…。吉くんたちは、モモよりずっとお兄ちゃんだから入れるんだよ?」

「モモ、大っきくなったら入るの」

「…………そう、いいね」

「いいでしょ。ほんとうだよ」

「……うん。楽しみ」


 俺はボールを見つめる。デジャブ、或いはコマ送りのように、今までの人生で受け止めてきたものの残像が手中に重なる。無意識に手に力が入って、ボールは胸に深く潜り込んだ。ぐらりと視界が揺れる。


 そして、耳の中に遠く聞こえる歓声が再現された。遠近構わず、過去の言葉が錯綜する。息が上がって、さらに汗が体から染み出した。


「   !」


 ホイッスルに似た甲高い声が聞こえて、反射で投げたら、力んでしまった。しまったと思って、胃が瞬間的に縮む。


 しかし、娘は難なく受け止めた。


「つよぉぉ」


 娘はケタケタと嬉しそうに笑う。ほっと何かが心で解きほぐれたような感覚があった。


「早く大きくなりたい!」

「じゃあパパも頑張らないと」

「絶対ね」

「うん、頑張る。絶対頑張るから」

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