汚い靴下【君と僕】

「孝治」

「何」

「何じゃないのよ。コレ」


 私は弟の目の前に、汚物をこれみよがしに差し出す。

 あんたのでしょうと、思いきり渋面を作っとやると、孝治は私に負けずおとらずの渋さで、私の手から靴下を引ったくった。いつもいつもこうなのだ。

 私と弟のくるぶしソックスは、とてもよく似ている。

 足のサイズはほぼ一緒。目立った特徴もないものだから、お母さんはいつも取り違えて、私の洗濯物の山に弟のものを、私のものを弟の方に置く。

 母に怒るのがスジだということも分かっているが、そもそも許­せないのが、汚れだった。

 スポーツもしていないのにこんなに汚れることがあるだろうか。 大体、自分で汚したのだから、自分で洗うべきだと思う。だって弟はもう十六歳。それくらい出来て当たり前のはずだ。




「またか、お母さん...」

 また紛れ込んでいた私のものでない靴下を見ながら、スジ通りに母に対してぼやく。五つの山の内の、自分の分を部屋に持ってきてから気がついた。カットソーの下に忍び込むように、靴下はまたしても隠れ込んでいたのだ。

 それにしても私は母に汚れを気にしない娘として認識しされているのだろうか。

「今日も酷いな…」

 下洗いなんてしちゃいないのか明らかな、元はへどろのような文様が、洗濯で薄くなってはいるものの、白地にこ­びりついていた。

「まったく、あいつはいつも何してんのかしら」


 すると、玄関の方でドアが騒々しく開いて閉まる音がした。あとは無音だ。この家でただいまも言わずにトビラをあけるようなや­つは一人だけ。

 私は階段を下りて、玄関へと向かった。

 入り口のすぐ近くに階段があるので、すぐにドアの前の人物に出くわす。


 弟はひどく驚いた顔した。

 私が現れたからというのは見当がついた。私は顧問の先生の用事の影響で、普段より早く家に帰っていたので、私がいることは帰宅部の彼にとって予想外の出来事だったはずだ。家のルールで、カギは全員が一人一個管理していて、防犯のために家に入ったらすぐに内鍵をかける。

 だから、働きに出ている両親を含めて誰もいないと、彼は思っていたのだと思う。

 私はそんな事には構う事なく、文句を言ってやろうと口を開きかけて、ハッとした。


 孝治の足元は泥々に汚れていた。


 真っ白だったはずのスニーカーは、焦茶の泥まみれで、影が刺したところなどは真っ黒に見える。ズボンの裾にまで泥が跳ねていて、まだら模様が描かれている。よく見れば、袖にも同様の模様が見て取れた。

「何よそれ、どうしたの」

「…」

 声をかけても、孝治は俯いて黙り込んむだけだった。

「……なんでもない」

「なんでもなくないでしょ、そんな泥まみれで」

 弟はどこか深刻な、そして異様な雰囲気になって押し黙る。

「何してたのよ」

「さがしもの」

 いつもより奇妙に明朗な声で、言う。

「さがしもの? 何を探してたっていうの」

「…」

「…大体どこで何すればそんな格好に…」

「お墓だよ」

 急に目線を合わせて、彼は言った。

「墓…?」

 なんでまた、と言いかけた私に弟は、繰り返す。

『探してるんだ。取り違えてしまったんだ。きっとそうなんだ』

 肌が泡立つ。弟と同じ声であるはずなのに、異様な響きがあった。

 まるで弟によく似た人間が話している様な。

 私は思わず聞いた。

「それは見つかるの…?」

 《弟》はショックを受けたような顔の後、にたりと笑ってーーー。





 目が覚めた。自分のベッドの上だ。


 洗濯物の上にはまた泥のついた靴下。

 私はそれを手に取る。


 その時、ゴンゴンっとドアが廊下側から叩かれる音がして、縮み上がる。


 私は、意を決して、ドアを開くと弟の姿があった。


「…何か、用?」

「これ」

 緊張で強張った顔の前に、白いものが差し出される。

 白い靴下だった。

「私の…」

「似ているから間違えられちゃうんだ」

「…」

「似ているから間違ったところに連れて行かれるんだ」

「…。なんの話をしているの?」

 受け取ろうとした靴下から、弟は手を離さない。

「…これ、やっぱ俺のだったかも」

 スッと抜き取られそうになる靴下を、何故だか私も離せなかった。そのまま扉を開けて、弟はどこかへ行ってしまうような気がしたからだった。


 その時不意に、赤ん坊の泣き声が頭の中で聞こえた。まだ赤ん坊の時の弟。その隣の空っぽのコット。


「やっぱり何かの間違えなんだ。捜さなきゃ、いけないんだ」

 泣きそうな声で弟はいう。

 私は弟の血色の悪い手ごと手前に靴下を引き寄せた。

「これは私の」

 言ってから、手を離した。そして、洗濯物の上にあった汚い靴下を持ってきて、弟に突きつけた。

「これはあんたのよ」

 弟は戸惑いながらも、汚い靴下を見ている。

「あんたのものよ。間違えようがない。あんたのもの」

「…」

 張り詰めていた空気が放解する。

 弟は私の手から靴下をふんだくった。汚ったない靴下を大事そうに抱える。

「…間違えんなよ」

「お母さんに言いなさいよ」

 そのまま弟は自室に引っ込んだ。残されたのは私と、私の白い靴下。

 私は他の洗濯物と一緒に自分の白い靴下をを箪笥にしまう。



 そうしてから階段を降りて、今の仏壇の前に座った。

 おりんをたたき棒で鳴らし、手を合わせる。


 私のもう一人の弟の為に。

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