第36話
エレンが目を覚ました時、すでに空は暗く満点の星空が広がっていた。
すぐ傍には星を背にする小さな少女。
自分が今、空を飛んでいると気付いたのは、下にあるオルレアンの街の光を見たからだ。
「おはようエレン」
「おはよう……ございます?」
ルサルカ・シルフガーデン。魔王討伐を祝したパーティーの帰り道に出会った、世界最高の魔法使い。
「あの……私は……」
自分はいったいどういう状況だろうか。
そんな寝起きで回らない頭を働かせようするが、気怠さが勝ちすぎてなにも考えられない。
「今はなにも考えなくてもいいよ」
「そう、なんですね」
「うん。今は急激に魔力を失ってしんどいだけで、休めば治る。あるがままに身を任せればそれでいいんだ」
彼女がそう言うなら、そうなのだろう。
エレンは力を抜いて空を見上げる。
綺麗な星空だ。慣れ親しんだ優しい海風が気持ちいい。
思えばこんな穏やかな気持ちでいることは、今まであっただろうか?
母を無くし、オルレアンの闇を知り、そしてすべてを守ろうとずっと駆け抜けてきた。
そこに一度の安らぎもなく、それでも家族のため、街のために自分を殺してきた。
「あ、そっか……」
ようやく、今自分がどういう状況なのかを思い出した。
「もう、私は……」
「だから今は考えなくていいって。もう一度目を閉じて。次に目を覚ました時、お前はきっと前を向けているから」
「はい……」
そうして、彼女がこれまで守り続けてきたすべてに身を委ねながら、再び目を閉じるのであった。
「お休み、頑張ったね」
そんな、一人の魔法使いに見守られながら……。
翌日。
エレンが目を覚ますと、すでにルサルカが旅支度を始めていると聞いて、寝巻の姿そのままで慌てて駆け出す。
「ルサルカ様!」
「あ、おはようエレン」
「おはようございます……いえそうじゃなくて!」
慌てた様子のエレンに、いったいなにをそんなに焦っているのだろうかと不思議に思う。
「いったいなにをしているのですか⁉」
「なにって、そろそろ次の旅に出ようかなって思ってさ」
ルサルカからすれば、すでにこの街には半年近く滞在していたことになる。
雪解けは始まり、旅を再開するには丁度いい頃合いなのだ。
「まだ私はお礼が出来ていません!」
「お礼? なんの?」
「え……と」
心底わからない、という風に首をかしげるルサルカに、一瞬言葉に詰まる。
エレンからすればルサルカは恩人だ。
彼女がいなければ、あの海神リヴァイアサンを倒すことが出来なかった。
だからそのお礼を言いたいのに、ここでお礼を言ってしまったらその瞬間に彼女は消えてしまいそうな、そんな気がした。
「この街に巣食ってたリヴァイアサンはお前が倒したよね?」
「私の力ではありません。ルサルカ様が一緒にいてくれたからです」
「ふふ……」
エレンの言葉にルサルカは笑う。その言葉を聞いて、勇者セリカを思い出してしまったからだ。
彼もまた、魔王討伐の際に同じことを言った。
最期に止めを刺したのは彼なのに、自分の力が大きかったのだと譲らなかった。
「まったく、みんな自分の功績だと誇ればいいのに、なんで揃いも揃って人のことを持ち上げようというのかな?」
「え?」
「こっちの話。さてさて、とりあえず私から言えることは、今日この日を迎えることが出来たのはエレン。お前がずっと頑張ってきたからだ」
「だから、それは――!」
ルサルカはこれ以上言わせないよう、彼女の唇にそっと指をあてる。
「足掻かない者に未来は訪れない」
「……」
「絶望的な道しか繋がっていない中、お前は最後まで諦めなかった」
始まりはきっと偶然だったのだろう。
もしエレンが魔王討伐の祝勝パーティーに参加をしなかったら……。
もしルサルカが精霊をも誤魔化す幻影魔法を先に使っていたら……。
もしルサルカが奴隷としてクドーに捕まっていなかったら……。
歴史にIFはない。
しかしそのどれか一つでも歯車がズレていたら、ルサルカ・シルフガーデンというエルフの魔法使いと、エレン・オルレアンという人間の少女は出会うことがなかった。
そして出会ったとき、エレンは足掻いたのだ。
大金貨一万枚という普通なら出せるはずもない大金を持って彼女を買い、そしてルサルカがこの街を守りたいと思わせるだけの行動を取ってきた。
そこに打算もあっただろう。
だがそれ以上に彼女にあったのは、妹を守って外の世界に連れ出して欲しいという家族を想う純粋な気持ちだけ。
そんな彼女のために行動してあげたいと思うのは、当然ではないだろうか?
「あ……う……」
「誇ればいいよ。足掻いた結果、お前はたしかな未来を掴んだんだ」
「あ、あ、あ……あぁぁぁぁ!」
大きく声を上げながらエレンはルサルカに抱き着く。
なにかを言いかけて、しかし声を詰まらせて言葉にならない。
もはや嗚咽で表情は歪み、美しい顔が台無しだ。
だというのに、その涙はこの水の都のなによりも美しいものに見える。
ルサルカはそんな子どもみたいに泣き続ける少女を頭を優しく撫でながら、なにも言わずにただ黙り続けていた。
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