第35話

 精霊宮殿は元々海に囲まれた場所にある。


 そのおかげか、エレンが解き放った超巨大な水球はそのまま海へと流されていき、徐々に消えていく。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「エレン、頑張ったね」

「ルサルカ様……私は……やったのですか?」

「うん。もうこれ以上オルレアンがあいつに脅かされることはもうないよ」

「そうなんですね。良かっ……た」


 そうしてエレンは気を失って瞳を閉じる。


 これまで使ったことのないような巨大な魔力を一気に解き放ったのだ。もはや欠片も魔力は残っていないだろう。


 その顔はとても清々しく満足そうだ。

 きっと今はとてもいい夢を見ていることだろう。


「精霊たちもご苦労様」


 そう言うと精霊たちはルサルカの下に集まり、魔力だけを奪って去っていく。


 まったく現金な奴らだと思っていると、精霊宮殿の外に強大な魔力が高まっていることに気が付いた。


「ま、さすがに神を名乗るだけあって、あれじゃ倒しきれないか」


 エレンの力で倒されたかに見えたリヴァイアサンだが、その直前で精霊宮殿に押し込められていた封印が解けていた。


 そのおかげで本来の力を取り戻したあの神は、そのまま海深くまで消えていったのだ。


 すぐに襲いかかって来ないのは、おそらく力を取り戻したばかりでまだ制御がうまく行っていないからだろう。


 エレンからのダメージも合わせて、少し時間を置いてから復讐するつもりらしい。


「精霊たち、エレンを守っといてね」


 ルサルカは穏やかに眠るエレンを守るため、魔法で結界を作った。その周囲を、精霊たちがクルクルと回っている。


「さて、それじゃあ大金貨一万枚で買われた分の、最後の仕事といこうかな」


 そうしてルサルカは自身の身体も丸い結界で覆うと、そのままゆっくりと海の中へと入っていった。




 光すら満足に通さない深海に、それはいた。


「やあリヴァイアサン。さっきよりもずっといい格好じゃないか」

『貴様! どうしてここに!』

「そりゃあのまま逃がすわけにはいかないからさ」


 先ほどまでの人のような姿とは違う、海をすべて支配するその姿はまさに『龍』。


 全長がどれほどの大きさなのか想像も出来ないほど巨大な姿は、海を統べるに相応しい様相をしていた。


 もし今のこのリヴァイアサンが街に現れれば、そう時間を置かずにオルレアンは壊滅してしまうだろう。


『逃げる? 神である我が、逃げるだと?』

「ああそうさ。お前はオルレアンで生きる少女、エレン・オルレアンに負けて逃げ去るんだ」

『ふ、ふざけるなよ! この姿を取り戻した今、あのようなちっぽけな人間など街ごと沈めて――っ!』


 その言葉をリヴァイアサンは最後まで紡ぐことが出来なかった。


 なぜなら、彼を見るルサルカの瞳があまりにも深く昏いものだったから。


「リヴァイアサン。私はさ、旅の思い出は綺麗なものであるべきだと思っていてね」

『な、なんなんだ貴様は……』

「エレンは今、自分の力ですべてを解決できたと思っているんだ。明日からあの子はこれまでずっと追ってきた闇を振り払って、明るい未来が待っている。そして私はそんな彼女と、笑顔で別れるんだ」


 ――だから、お前は邪魔だよ。


 ルサルカが軽く腕を振るう。それだけで凄まじい海流の嵐がリヴァイアサンを襲いかかった。


 その勢いは留まることを知らず、超巨大な身体を巻き込みながら遠くに飛ばしていく。


『ぬ、ぐ、おお……馬鹿な、我は海神リヴァイアサンだぞ! 海の神である我が、なぜこのようなぁぁっ⁉』


 そしてオルレアンから遥かに離れた海上へと飛ばされたリヴァイアサンは、目の前にいる矮小なエルフを睨みつける。


『貴様! 貴様! 貴様ァァァァァァ!』

「怒ってるとこ悪いけど、あんまり時間をかけたらあの子が起きちゃうから、さっさと終わらせよう」

『我を舐めるのも、いい加減しろぉぉぉぉぉ!』


 リヴァイアサンが口から白い閃光を放つ。


 大都市すら一撃で吹き飛ばすそれを――。


「無駄だよ」


 ルサルカはただ手を前にするだけで防いでしまった。


 半透明で出来た魔力障壁は罅一つないまま壊れる様子もなく、リヴァイアサンの攻撃など最初からなかったかのように霧散する。


『なっ、なっ、なっ……』

「まあまあな威力だね」

『あり得ない……我は海神リヴァイアサンだぞ? それが……なぜ!?』


 理解出来ない現象にリヴァイアサンが慄く。


 かつて地上を支配しようとしていた魔王と戦った時でさえ、このような『恐れ』を抱くことはなかった。


「まあもし神を名乗りたいんだったらさ、最低でも私を超えたときに言った方がいいよ」

『……お前は本物の神だとでも言うのか?』

「いんや。女神様には会ったことある、ただの旅人ってところかな?」


 この世界に転生させてくれた女神に与えられたこの力。それはつまり、神であればもっと強い力を持っていることだろう。


 だからこそ、この程度で神を名乗られても、ルサルカからすれば残念な話である。


「お前はせいぜい、海龍ってところだね」

『……海龍? 我が、絶対の力を持ち海を支配している我がただの海龍だと? ふ、ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁ!』

「おお?」


 リヴァイアサンの咆哮と共に天が暗くなり、周囲一帯に凄まじい雨風が辺りを包む。


 雷が鳴り響き、辺り一帯に大渦と竜巻が海を暴れさせ、世界の終わりすら想像させるような光景。


『我は神! 見よこの圧倒的な力を! 我こそが、天空すら操る最強の支配者だ!』


 その中心で蠢く海神リヴァイアサンは、己の力を鼓舞するように叫ぶ。


 そうして再び放たれる閃光をルサルカが防ぐと、目の前には超巨大な津波が迫ってきていた。


「これは……」

『貴様がどれだけ出鱈目であろうと、世界を覆う海そのものであるこれが防げるか! このまま津波で貴様も、そしてオルレアンも全て沈めてくれるわ!』


 ――ダイダルウェーブ。


 それはもはや街一つを飲み込むどころではない大きさ。


 神を名乗る怪物が、自身の力を振り絞った最大最強の一撃。


 それを見たルサルカは――。


「悪いけど、この程度じゃ私を止められない」


 空一面に浮かぶ巨大な蒼の魔法陣。


 圧倒的な大きさのそれは、まるで天空を支配する神が舞い降りるように、神々しい光となって辺りに荒れていた嵐を消し去っていく。


『あ、あ、あ……』


 空が、堕ちてくる。


 最初に、風が凍った。次に、雷が凍った。


 巨大な津波は、まるで時が止まったかのように凍り付き、その範囲をどんどんと広げてなお止まらない。


 堕ちてくる魔法陣は、自然現象すらも『終わらせながら』、徐々に、徐々に海上へと向かってきて――。


『わ、我は……我は……』


 それを見上げることしか出来ないリヴァイアサンは、ここに来て初めて己の取るべき選択肢を間違えたのだと理解した。


『あ……ぁ……』


 神を名乗る自身の身体が、本体から一切の命令を無視して止まっていく。


 凍る……終わる……死ぬ……。


 リヴァイアサンは自身の最期を自覚しながら、目の前の存在は自身などはるかに超越した――。


「さあ、これで終わりだ」


 パキン、と小さな音が凍てついた海上に響き、次の瞬間にはこの場のすべてが砕け散った。


 かつて海の神を名乗り猛威を振るった海龍。


 その力は世界を崩壊させることも出来るほど強力だったが、一度は魔王に敗れ、その後は力を封印された。


 いずれ再び世界を喰らおう。


 そう誓っていたが『たまたまそこにいた』旅のエルフによって長い時の終わりを迎えることになる。


「どれだけ悠久の時を生きようと、終わりは来る……」


 凍てついた海は粉々に砕け散り、元の姿を取り戻す。


 氷の破片が太陽の光を反射させながら風に乗り、世界を美しく照らしていた。


「私に最期のときがあるのかは分からないけど……そうだね。出来ればこうして美しい世界の中で死ねたらいいと、そう思うかな」


 そうして、ルサルカはゆっくりとオルレアンに戻る。


 彼女がいずれ未来に連れて行くべき想いを受け取るために。

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