第33話

 精霊宮殿はオルレアン公爵家が生まれるよりははるか昔から存在する。


 一説には過去に強力な力を持った精霊が作り出したと言われているが、その真偽は定かではなかった。


 ただその宮殿があるからこそ、そこには美しい都をつくろうと時の支配者たちは考えたらしい。


 そうして生まれたのが水の都オルレアン。


 水の精霊たちに見守られた、世界でもっとも美しいとされてる街である。


「で、今は化物の巣になってるわけだ」

「はい……もう何百年も昔の話になります。当時強大な力を振るったその化物は、地上をすべて海に沈めようと画策しました。その際に地上にいた他のなにかと戦い敗北。大きな傷を負ったそれは、精霊宮殿に乗り込み精霊たちを殺しまわり、自分の物としたのです」

「ふーん」


 精霊宮殿の入り口。

 荘厳な紋章や美しい石造などが並び、ただそこにあるだけで神聖さすら感じられた。


 それはまるで古の神話に出てくる神の庭園を思わさせるほどで、ルサルカはエレンの話半分くらいで意識でそちらに向いてしまう。


「いいね、噂通り綺麗な場所だ」

「そう……ですね」

「エレンはここが嫌い?」

「……はい」

「そっか」


 それも仕方がないことだろう。


 聞けば彼女の母親はそんな化物を倒すためにここに乗り込み、そして敗北して死んだのだから。


「ほ、本当に今から行くんですね……」

「ん、だって早い方がいいでしょ?」

「そんな、簡単な話ではありませんよ……」


 覚悟はとっくに出来ていると思っていた。だがそれは勘違いだった。


 この先にいる化物を倒すことに失敗すれば、これまで守りたいと思っていたすべてを失うことになってしまう。


 憎くて憎くて仕方がなかったこの精霊宮殿。


 現在は封印されているが、その封印が解かれるのも時間の問題だ。


 だからこそ、エレンは自身の代で決着をつけるのだと決めて、これまで力を蓄え続けてきた。


 精霊使いとして神童と呼ばれ、歴代の誰よりも才能あふれていると周囲は言う。


 だがそれは死に物狂いで鍛えてきた結果であり、決して才能と呼ばれるようなものでないことは誰よりも自分が理解をしていた。


 だからこそ、不安だ。この力は、本当に化物に通用するのだろうか……。


「とりあえず、挨拶に行こうか。その化物とやらにさ」


 緊張した面持ちのエレンとは異なり、ルサルカはどこまでもいつも通り。


 その様子が心強くもある。


「ルサルカ様は、強大な力を持った化物を前にしても怖くはないのですか?」


 ――ルカたちは、戦うことが怖くないの?


 エレンの言葉にルサルカは少しだけ昔を思い出した。


 ――俺は怖くないぜ! だって最強だからな!

 ――私も怖くはないですね。我々には女神様の御加護がありますから。


 筋肉馬鹿であるガイアと、信仰馬鹿であるレザードの二人はそう言うが、真面目馬鹿だったセリカは違う。


 彼はいつも戦うことに怯えていた。

 震える手で剣を握り、震える身体で自分の何倍も大きな敵に立ち向かった。


 ――臆病者の勇者。


 誰が勇気ある者なんだろうってくらい、いつも怯えていたなと思う。


 だけど、彼は誰よりも強かった。ガイアよりも、レザードよりも、そして自分よりも。


「エレンは怖いんだ」

「怖いです……母が殺されてから十年、人生のすべてを捧げてきた。だけど……怖いんです」

「うん。それでいいと思うよ」

「え?」


 ルサルカの言葉にエレンは目を丸くする。


「私はさ、この世界に生まれた時から色んなものを与えられて、その代わり色んなものを失った」


 たとえば、命に対する恐怖。

 

 女神によって転生させられたとき、彼女は死という概念を失った。そしてそれは自分のことだけではなく、他者に対するそれも同じだ。


 敵を殺してもなんとも思わないし、多分味方が殺されてもお別れだなとしか思わないだろう。


「だから、失ったものを埋めるために私は今ここにいる」

「それは……」

「命の恐怖はなくても、美しいものが壊されるのは気に入らないってことさ」


 この世のありとあらゆるものは自分を置いていなくなる。消えていく。


 だからこそ、その一瞬一瞬の光を自分の心に残したい。


 人の想いは誰かが未来に繋がないと、簡単に消えてしまうくらい儚いものだから。


「心配しなくてもいい。エレンが怖いと思うのは、守りたいって心の裏返しだ」


 ――だから、その想いを否定しないでいいよ。


 ルサルカの言葉にエレンはただ立ち尽くす。そしてゆっくりと扉を見上げた


「大丈夫」

「ルサルカ……様」

「エレンはこれまでずっと頑張ってきたから、大丈夫だよ」


 いったいなにが大丈夫なのだろうか。頑張ってきたからなんだというのだろうか。


 この世の中、どんなに頑張っても結果が出なければ意味がないのだ。


 頑張ってなんとかなるなら、クーリアだって精霊使いになれた。アレスだって、両親には捨てられなかった。


 そんな反抗的な言葉は、しかし誰よりも澄んだ瞳を持つルサルカを見て出てこなかった。


 彼女の瞳には真実だけが映されていて、嘘はない。


 再び大きな扉を見上げる。

 

 まだ怖い。だが同時にある高揚感も覚えていた。


 ――私は、頑張ってきた。だから大丈夫。


 誰からも言ってもらえなかった言葉を、一番言って欲しかった言葉を聞けたから。


「我、オルレアンの直系になり……」


 凄まじく大きな扉は、オルレアン公爵家の者だけが開くことが出来る特殊なものだった。


 それがエレンの言葉とその魔力に反応して、ギギギと鈍い音を立てる。


 青と白の世界が広がるように、巨大な海のような大きな通路が開かれ――。


「正直、そんな何百年も一ヵ所に巣食う化物とやらにも興味があるんだよね」

「興味本位でここに入った人は、きっとルサルカ様が初めてでしょうね」

「そう? 人の好奇心は私なんかよりもずっとずっと、凄いものだと思うけどね」


 ――人類はその好奇心を持って、地上の支配者なったんだから。


 二人は通路に足を踏み入れる。


 その後、まるで逃がさないと言わんばかりに巨大な扉はゆっくりと閉まっていくのであった。

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