第32話

 もうすぐこの街ともお別れだな、と思いながらゆっくり見回りをしていると、見覚えのある少年少女が目に入った。


 どうやらエレンが主体となって、清掃のボランティアを指揮しているらしい。


「や、精が出るね」

「ルサルカ様。ええ、こうして皆さんが協力をしてくださるからこそ、この街は美しいのです」


 見れば老若男女、みんながアクアフェスティバル時期に出たゴミを拾っていた。


 その姿は決して嫌々ではなく、自分たちがこの街を綺麗にしているのだという自負があるようにも見える。


 その様子を見守るエレンは、まるで母が子供を見守るように穏やかな表情。


「いい街だね」

「そうですね……だからこそ、私はここを守りたいのです」

「命を懸けて?」

「っ――⁉」


 驚き、そしてどこか納得した様子。


「エドワードですね」

「あまり叱らないで上げてね。彼は、エレンが心配で仕方がなかったみたいだからさ」

「ええ……私が生まれた時から、父のように育ててくれた方ですからね。怒りませんよ」


 オルレアン公爵はエレンとクーリアの母親である妻が死んだ頃より、この街に近づくことは極端に減った。


 その中でも母によく似たエレンは可愛がられ、クーリアには興味も持たず、ただ自分の気が向いたときだけやってくるのだ。


 たまに帰ってくる父親が、姉ばかりに構って拗ねてしまったクーリア。


 たまに帰ってくる父親が、母の面影を追っているだけだと気付いていたエレン。


「言えばいいんじゃない? 帰ってきてって」

「言いませんよ。父になにかを思うことも多分、この先ずっとありませんから」


 母が死んだとき、まだ小さかったクーリアは自分が守るのだと、母の愛したこの街を守るのは自分の役割なのだと、エレンはずっと思ってきた。


 そんな自分を支え続けてくれたのが、母の代から仕えてくれているエドワードなのだ。


「あの人に頼まれたよ。エレンの傍にいて守ってくれって」

「ふふふ、そんなのルサルカ様をちゃんと見れば無理なことくらい、わかるでしょうに」

「そうだね」


 ルサルカにとって世界を旅することは、人々が呼吸をすることに等しい。


 時々、宿り木のように一部の場所に留まることはあるかもしれないが、しかし一生をそこで過ごそうと思うことはないのだ。


「まあ駄目元みたいだったけど」

「女性を誘うのに、駄目元なんて失礼です」

「まったくだ」


 そんな軽口をたたきながらボランティアをしている面々を見ると、クーリアとアレスが仲良くしていた。


 少し離れたところでは、クドーがせっせと働いている。


「クドーはいつも頑張ってるねぇ」

「ええ。領内でも色々新しい商売を始めているみたいで、評判もいいみたいですよ?」

「顔に似合わず真面目な奴だ」


 冒険者たちもこの日はきちんと掃除をしていて、この日は人々の垣根などもないらしい。


 この環境を作ったのが隣で立つ十五歳の少女だというのだから、本当に頑張っていると尊敬すら思った。


「で、どうするつもり?」

「もちろん……この街を守るために戦いますよ」

「そっか」


 これまで何度も見てきた、不退転を心に決めた者だけが出来る強く覚悟を秘めた瞳だ。


「そのために私はこれまで、生きてきたのです」

「それは違う」

「……え?」


 まさか否定されるとは思わなかったのか、エレンは驚き目を見開く。

 

 だがルサルカからすれば、この街に巣食う化け物なんかのために生きていたなんて思って欲しくはなかった。


「エレンが生きてきた意味は、もっと前向きであるべきだから」

「守るために生きてきたことが、前向きではないというのですか?」

「うん。誰かのために生きるのもいいよ。だけどさ、そこにエレンの未来はある?」

「未来?」

「そう。エレンは、自分が将来幸せに生きる姿をイメージ出来る?」


 エレンは自分の未来を想像する。

 そして、まったく幸せな自分の姿を思い浮かべることが出来なかった。


「……ぁ」

「お前は今、ここで止まってるんだ。そして未来を諦めてる」

「でも……でも……」


 いつの間にか周囲には人がいなくなっていた。


 遠くでは清掃している者が見えるが、誰も二人のことを気にしない。


 ルサルカが風の魔法で周囲から音を遠ざけたのだ。


 さらに風の流れを変えることで、自然と人々の動きを誘導した。


 その結果、まるで彼女たちの周囲だけが自然と人がいなくなる結果となる。


「自分の未来を諦めたやつが、誰かを守れると思っちゃ駄目だ」

「では、どうすればいいと言うのですか⁉ あれはこの街に何百年も前からいる化物! ただの人で敵う相手ではないのです!」

「……」

「逃げられるなら逃げたい! だけど私には守らないといけない物があって……この街を、守らないといけなくて……」


 初めて見せるエレンの慟哭。


 自分の思いをこれまでひた隠しにしてきた少女は、今ここでその思いの丈をすべて吐き出す様に声を上げた。


「どうして、私ばっかり……ずっとそう思ってました。だけど、その度にこの街を見て、母の想いを思い出して……」

「逃げられなくなっちゃったんだ」

「……ぅ」


 コクリ、とエレンは黙って頷く。


 ポロポロと涙を流し、まるで幼子のように無言で地面を濡らしていった。


「よく今まで頑張って来たね」


 そんな少女の頭をルサルカは軽く撫でる。


「ねえエレン。私は今お前の奴隷だ。だから、エレンが望むならなんでもしてあげられるんだよ?」

「なんでも……?」

「うん。なにせ私は『大金貨一万枚』で買われたエルフだからね」


 きっと自分よりも高い奴隷はいないだろう。

 そう自慢げに告げると、彼女はただ呆然とこちらを見る。


 そういえばふと、少女が主役の昔話では魔法使いが未来を開いてあげることが多いことを思い出した。


 悪戯気に笑いながら、ルサルカは軽く指を振るい、先日と同じようにエレンを宙に浮かせる。


「えっ⁉」

「ここじゃ言えないなら、言えるところに行こうか」


 そうして急上昇。青い海を反射した空に向かって飛び出し、ある程度のところで止まる。


「ほら、見てごらん」

「……ぁぁ」


 そうして下を見下ろすと、白と青が広がる美しい街並が広がっていた。


 小さく動くのは、今まさにその美しさを保とうと頑張る人々。


「あ、あ、あ……ああぁ!」

「エレンはこの街を守りたいんだよね?」

「う、ううぅ……はい……守り、たいです! 私はこの街が大好きで、だから……ずっとずっと守りたい!」

「だったら私は、どうすればいいかな?」


 ルサルカがそう尋ねると、エレンは涙を拭ってまっすぐ顔を上げる。


「この街を、一緒に守ってください!」

「うん」


 ――よく言えたね。


 そう優しく微笑みながら、ルサルカはエレンを連れて化物が住まうと言われている精霊宮殿へと、一気に向かうのであった。

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