第30話

 クーリアとアレスを鍛え、エレンとお茶を飲み、たまにクドーをからかう日々。


 そんな穏やかな時間を満喫しているとすぐに時間は流れ、気付けばアクアフェスティバルが開催される日となった。


「中々凄い人だね」

「一年に一回のお祭りですからね。顔は見せませんが、この日は皇族の方々もお忍びで遊びに来られますよ」

「へぇ。顔は出さないの?」

「この日は平民も貴族も、みんな平等の日ですから」


 周囲を見れば仮面を被り、分厚く派手なドレスやスーツを着て体格すら分かり辛い人々が多い。


 普段から勝手知った街という風に歩いていたルサルカだが、この日ばかりは人の多さと装飾の多さに迷いそうだった。


 二月中旬ということでまだまだ寒い日は続くが、しかしこの祭りの熱気はそんな寒さすら吹き飛ばす勢いだ。


「しかし、ルサルカ様の幻影魔法は凄いですね」

「ふふふ、意外とこういうのも悪くないでしょ?」

「はい。自分とは違う自分、というのでしょうか。姿が変わると気持ちも変わりますね」


 このアクアフェスティバルの間、ルサルカは人間の魔法使いの姿に、そしてエレンは大人の女性のような姿になっていた。


 今の二人が並んで歩いている姿を見て、公爵令嬢だと気付く者は一人もいないだろう。


「しかしその姿は大丈夫なんですか?」

「ん? ああ、ギルドのことね。大丈夫じゃない?」


 以前クーリアを誘拐した男たちを叩きのめした時は、エルフの魔法使いルサルカではなく人間の魔女ルカの姿だった。

 

 彼らはもう冒険者ギルドを追放され、公爵家によって処罰されているわけだから魔女ルカを知っている者は極々わずか。


 仮に知っている者でもルサルカをどうこう出来るのはいないだろう。


「いやだけど、ふふふ。想像以上だ」


 仮面を被っている者が多く、人々の感情は見え辛い。


 しかしそこから伝わってくる感情は、誰も彼もが『楽しい』というもの。


 それを感じて自分もまた楽しくなる。

 

「ルサルカ様はいつも楽しそうですね」

「私にとって旅は生き甲斐だからね」

「生き甲斐……ですか」

「うん」


 ルサルカはエレンを真っすぐ見て、自分の思いを伝える。


「旅先の美しい景色を見て感動し、美味しい物を食べて喜び、その土地独自の文化を体験して歴史を知り、そして人々と出会うことで新たな自分に気付く」

「……」

「旅の醍醐味だよ」


 だからこそ、死んでなお自分は旅をしたいと思った。


 この感情はきっと、これから何十年、何百年、何千年経っても変わることはないだろう。


 きっとあの死の瞬間、自分の想いが強かったから女神さまに届いたのだとルサルカは思う。


 そんな己の想いを伝えられるルサルカを、エレンは眩しく思った。


「もしも……」

「ん?」

「もしも私がオルレアン公爵令嬢でなく、ただのエレンであれば……ルサルカ様は、私をそんな旅に連れて行ってくれましたか?」


 それは――これまで他者のことばかりを想い行動をし続けてきたエレンの初めて漏らした本音。


「いろんな世界を、一緒に見て回らせてくれましたか? 一緒に、毎日が楽しいと思えるような、そんな旅をしてくれましたか?」


 そんな彼女に対してルサルカは一つしか答えを持っていない。


「もちろん。別に公爵令嬢だろうと関係ない。もしエレンがそうしたいって言うなら、私が連れ出してあげるよ」


 ルサルカは軽く微笑みながら、それが当然と言わんばかりに自然と返すのであった。




 姿が変われば想いも変わる。


 普段なら公爵令嬢として己を律するように街を見渡し、領内をどうすればよく出来るかを考えるところだが、今日は違う。


 ルサルカの幻影魔法でいつもの自分よりも少しだけ成長したような姿になったエレンは、いつもと違う解放感を感じていた。


「急ぎましょうルサルカ様!」

「まあまあ、花火は逃げないでしょう?」

「逃げないけど、いい場所が取られてまうのです!」


 そんな彼女をルサルカはただ優しく見守る。


 辺りは暗くなり始め、アクアフェスティバルの目玉でもある花火が始まろうとしていた。


 海から何千発と空に解き放たれる魔法群は、まるで無限の流星だと評判で、アークライト王国にいたときから見たいとずっと思っていたイベントだ。


 もちろんルサルカも楽しみにしていた。だが今は、毎年見ているであろうエレンの方が興奮しているようにも見える。


「ああ! もうこんなに人が!」

「これじゃあ通れないか……」


 アクアフェスティバルにやってくる人はオルレアンの人間だけではない。周辺の領地の人間も集まるし、遠い異国からすら訪れる者がいるほどだ。


 皇国最大のお祭りは皇都で行われるものだが、それに次ぐ規模であり当然ながら人も多い。


 それゆえに、こうしてもはや日が落ちた今でも人々の興奮は伝わってきた。


「……残念ですが、ここで見るしかありませんね」


 海から解き放たれるそれが一番よく見えるスポットに案内する、と意気込んでいたエレンは残念そうにうつむく。


「まあ、ここからでもしっかり見えますから――」

「いやいやエレン、ここにいるのは誰だと思ってるんだい?」

「え?」


 自分は彼女に金貨一万枚で買われた超高級奴隷だ。


 だったらそれが正しい買い物であったと思ってもらうために、活躍しなければ嘘というものだろう。


「さあ、いくよ」


 そうしてルサルカは軽く指を振るう。その瞬間、エレンの身体が宙を浮いた。


「え、え、え?」

「特等席で見せてあげる。ありとあらゆる悩みが吹き飛ぶくらいとっておきの場所でね」


 ゆっくり、ゆっくりと暗い空に向かって進む。


 足が地面から離れ、普通ならとても不安な状態でありながらも、落ちる気配はまるでなく安心感すらそこにはある。


「こんな目立つ行為――ってあれ?」


 エレンが地面を見下ろすと、空を浮いている自分たちがまるでこちらを見ていないことに疑問に思う。


「ちゃんと幻影魔法で隠してるよ」

「凄い……」


 魔法の並列発動はとても難易度の高いものだ。浮遊魔法一つにしても普通の魔法使いでは使うことすら出来ない。


 それを自分と他人の両方にかけつつ、イメージが重要な幻影魔法まで同時に使うなど、古の大魔法使いでも不可能だろう。


 それを可能とするのがルサルカ・シルフガーデン。


 魔王を倒した勇者パーティーの一員にして、世界最強の魔法使い。


「ほら、よそ見なんてしてる暇ないよ」

「え……?」 


 まるで月まで届くのではないか。そう思わせるほど高く、夜空に近い場所まで来たエレンは彼女の視線を追う。


 そして、自分が愛してやまないオルレアンの海から空に向かって解き放たれる魔法群。


「あ……」


 甲高い音が夜空に響き、弾け、とても美しい光で世界を照らす。


 それは夜空と月と星を背景に何度も何度も続き、まるで物語の幻想世界に迷い込んだような錯覚をエレンは覚えた。


「なんて、美しい……」

「ね。こういうのがあるから、旅は止められないんだ」


 ルサルカの言葉に、なるほどと心が理解した。


 きっと彼女は何度も何度も同じような経験をしてきたのだ。だからこんなにも、純粋な気持ちでいられるのだと思う。


 ――だって、こんなただ魔法が弾けているだけの光景を、こんなにもキラキラとした表情で眺めているのだから。


「なに? じっと見て」

「いえ……ルサルカ様はいつもどこか遠い場所から見ていると思っていましたが、そうじゃないのだと思っただけですよ」

「私はいつも、目の前のことをしっかりと見ているよ」


 そうなのだ。クーリアのことも、アレスのことも、そして自分のことも。


 彼女は距離を取っている踏み込まないように見えて、その実いつの間にか懐に入り込んでいる。


 そして誰よりもその人のことを見ているのだ。


「今エレンがなにを考えてるのかはわからないけどさ、こんな綺麗な光景なんだ。ただそれを楽しむのも、悪くはないんじゃないかな?」

「はい、そうですね」


 夜空に輝く月と星、そして海から解き放たれる光の流星が、オルレアンという美しい街並みを照らし続ける。


 その光景を、エレンはなにも言わずにじっと見つめ続けていた。

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