第29話 オルレアンの公女
ルサルカが水の都オルレアンにやってきた頃は色んな事件が起きたものだが、それも気付けば落ち着きを見せて時は緩やかに流れていた。
そんな日々も二月に入り、街の様子は徐々に騒々しくなり始める。
「そろそろアクアフェスティバルの時期ですから」
そう答えるのは、十個の魔弾を小さくしながら維持するクーリア。
彼女に魔法を教え始めてから二月ほどが経過したが、順調に成長しているようでルサルカとしても満足だ。
「アクアフェスティバルか……」
以前ゴンドラの漕手に話を聞いて以来、ずっと楽しみにしていた行事。
その歴史は二百年を超えており、今もなお語り継がれている大規模なお祭りだ。
年に一度、三日間だけ行われるこの祭りは、元々水害の多いこの地域の住民たちが一年を安全に過ごせるように祈るものであった。
それがいつの間にか、大水害の前には貴族も平民も平等という意味が込められ、顔を隠して仮装しながら誰とでも一緒に騒げる祭りとなる。
「この期間、仮面さえ被れば地位も名誉も関係ない。良かったねクーリア」
「え?」
「好きなだけ、アレスといちゃいちゃ出来るよ」
「――っ⁉ からかわないでください!」
興奮したせいかせっかく作っていた魔弾がボン、っと音を立てて弾けてしまう。
前に比べたら余裕があったそれだが、やはり集中力が乱れるとすぐにこうなってしまうのだ。
「あぁ……せっかく頑張ってたのに」
「まだまだだね。それじゃあ罰として、二十個いってみよう」
「――鬼」
「え? 三十個がいいって?」
「二十個頑張りますと言ったんです!」
そうしてすぐに魔弾を作り直すと、そのまま一つ一つ小さくしていく。
そしてその横でルサルカは百を超える魔弾を作り、ルサルカよりもさらに小さくしながら適当に飛ばしまわる。
「……嫌味だ。ぜったいこれ、嫌味だ」
「ほらほら、まだ十一個しか小さく出来てないよ?」
「もぉー! こんなの無理ぃー!」
だいたいいつも言ってるな、と思いながらルサルカは笑う。
これを言って、本当に無理だったことなど今まで一度もなかったのだから。
そうして魔力を使い過ぎて倒れ込んだクーリアを空中に浮かせながら、近くで鍛錬をしているアレスに近づく。
生まれつき凄まじい力を持っている彼は、最近は剣よりも大矛を使うようになっていた。
単純な実力はともかく、技術という面ではまだまだ未熟。
それでもクーリアを守りたい、強くなりたいと思うようになった彼は、たまに冒険者ギルドに行ってAランク冒険者のザックスの教えを受けているらしい。
おかげで最初のころにあった違和感もだいぶ減り、いっぱしの戦士ようにも見えた。
「やあ、だいぶ良くなったね」
「本当⁉」
身体は大きいが、まだ十二歳の子ども。誉めてあげると嬉しそうににっこり笑い、愛嬌があって中々可愛らしい。
こういう人畜無害そうなところが、普段からツンツンしているクーリアの琴線に触れたのかもしれない。
「そうだ、ちょっと鍛錬付き合ってあげようか?」
「いいの?」
「うん、この通りクーリアもダウンしちゃってるからね」
尋常ではないパワーを持つアレスの鍛錬が出来る者はそう多くはない。この屋敷の中でも老執事のエドワードくらい。
冒険者ではザックス以外は相手にならない状態だ。
その二人にしても、アレスの攻撃を直に受ければまともには済まないだろう。
力を持て余した怪物、なんて揶揄されてしまう程度に彼は強かった。
「ルサルカさん相手なら安心して攻撃できるから助かるよ」
「まあお前は力だけならかなり強いからね。ほら、かかってきな」
そうしてまるで台風のようにブンブンと大矛を振り回しながら仕掛けてくるアレス。
しかしその攻撃は当たらず、それどころかあっさり懐に入られては一撃を入れられ続けていく。
それがしばらく続き、最終的にはかなりの勢いで蹴り飛ばされた。
「ま、こんなもんかな。前よりは良くなってたよ」
「はぁ、はぁ……ほ、ほんとに?」
「うん。このまま鍛錬続けたら、ザックスくらいなら簡単に叩きのめせるね」
ザックスはこの街で一番の強さを誇る冒険者。そんな彼を超えられると言うと、アレスは嬉しそうだ。
「まあでも慢心は駄目だよ。私から見たら、お前は簡単に死んじゃうくらいには弱いんだからさ」
「うん。俺、まだまだ弱いし、もっと強くなってクーを守れるようにならないと」
「素直なのは良いことだ」
アレスは自分の中に昏い感情があると言っていたが、誰かを守りたいという気持ちがあれば大丈夫。
この子はきっと道を踏み外さないだろうと、そんな確信がルサルカにはあった。
そうしてアレスと別れたルサルカはエレンの部屋でお茶会を楽しむ。
「と、言うわけでクーリアはアレスとのデートを企画しているわけだけど、エレンはそういう人いないわけ?」
「この数ヵ月、私に男の影でもありました?」
「それがまったくないんだよねぇ」
エレンは十五歳。オルレアン公爵令嬢ともなれば引く手数多だろうに、彼女に浮ついた話は一つもない。
そこに理由があると言うが、それは教えてもらえないまま今日まできてしまった。
この世界の貴族は十代で結婚が当たり前。
ルサルカが人間の魔女ルカの姿をしていたときは、貴族からうるさいくらいに縁談の話があったものだが、どうやら彼女にはそれすらないらしい。
「まあいいけどね。別に結婚が女の幸せだなんて言う気もないしさ」
ルサルカ自身、前世では三十でも独り身だった。だからこそ自由に旅も出来たし楽しい思い出も作れたと思う。
そこに後悔はなかった。あったのは、もっと旅をしたいという願望だけ。
「そういえばクドーも独り身なんだよねぇ」
ああ見えて中々堅実な男であるし、見た目も実はそう悪くはない。公爵家とのコネもあり、お金もある。
人情厚く、からかうと面白い。
「……恐ろしいことに、私が知ってる男の中で一番の優良物件だ」
「え? でもルサルカ様のお知り合いなら、勇者パーティーの面々もいますよね?」
「ああ、あいつらは駄目」
なにせ人が作った肉じゃが一つを奪い合って喧嘩するくらい子どもなのだ。
その喧嘩で龍の巣が壊滅したのは駄目な思い出だと思う。
「ふふふ、良ければルサルカ様の冒険譚をお聞かせください」
「いいよ。そうだね、そしたら勝手に人のお菓子を食べたお馬鹿三人組を吊るして龍の餌にしようとした話でもしようか」
巷で英雄と呼ばれている三人が、涙目で命乞いをした姿はとても滑稽だったものだ。
他にも話題には事欠かない旅だったとルサルカは思う。この数ヵ月、色々な話をしてきたが、まだまだ尽きることはないのだ。
問題なのは、そのほとんどが彼らが情けないことをした話ばかりということだろう。
「まあそれも、楽しい思い出なんだけどさ」
「ええ、とても素敵なお話だと思います」
そんな他愛のない話をしながらお茶会を楽しみ、オルレアン家の穏やかな日々は続いていくのであった。
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