第16話
それからしばらくは穏やかな日々が続く。
すでに完全に冬の時代が到来し、ここ数日は毎日のように雪が辺り一面を白く染めていた。
雪国というほどではないが、それでも防寒具が揃った現代日本と違い、冬はこの世界に人々にとって脅威なものだ。
作物は取れず、動物は眠る。
食料はそれまで必死にため込んでいたもので食いつなぎ、寒さ凍える日々を過ごす。
余裕のない村であれば、毎年老人や子どもの命が失われるのが当然の季節だ。
「すみませんルサルカ様。このような些事を手伝って頂きまして……」
「いいっていいって。私はエレンに買われた奴隷だからね」
水の都オルレアンから馬車で半日ほどのところにある小さな村。
エレンは視察と称してこの村までやってきた。
小さな村にとって、大雪は死活問題。
普通に食料が育たないことも一つだが、それ以上に家に積もった雪が屋根を潰す。
外を出歩けなくなって餓死する。そんな危険が付きまとうのだ。
とりあえずルサルカは火の魔法を使いながら、村の家々に積もっていた雪を溶かしていた。
そうすることで一時的にだが、家の寒さもマシになるし、雪に潰される心配もない。
「とはいえ、こんなのは気休めだけどさ」
「……やはり厳しそうですね」
「うん……多分、このままだと何人かは口減らしのために奴隷行きだと思うよ」
ルサルカはこの世界に来てから貧困というのに直面したことはなかった。
元々生まれたシルフガーデンでは王族として不自由ない暮らしをしていたからだ。
その分自由もなかったが、少なくとも飢えるという心配はない状況。
そしてセリカたちと一緒のときは、路銀が尽きたこともあったがその辺の魔物でも狩れば食料はなんとかなった。
だから、こうして食料が足りずに苦しむ村人たちの気持ちは、正直わからない。
「だけどさ……やっぱりご飯は美味しく食べないといけないと思うんだよね」
この世界に転生する切欠は、水に溺れて死んでしまうことだった。
今でも鮮明に思い出せるのは、死の瞬間。
――もっと生きたい。もっと美しい景色を見たい。もっと美味しいものを食べたい。
死んだら当たり前のことも出来なくなる恐怖というのは、ルサルカは今でも覚えていた。
この村人たちは、毎年冬が来るたびにそれを味わう。
それはとても怖いことだし、見過ごせないことだとも思う。
「公爵家の力でなんとかできないの?」
「もちろん、尽力しますが……貧困に悩む村はここだけではありませんから……」
「そっか」
「はっきり言って、これは自己満足の行為です……根本的な解決には、なにもなっていないのですから」
そう悔しそうに絞り出すエレンを見て、ルサルカはそれ以上追及しない。
今回、エレンは公爵領から支援物資をもって村々を回っている。
最初から決められたスケジュール通りに物資が到着すれば、おそらくオルレアン領の村人たちはこの冬を乗り切れるはずだ。
だがエレンの言う通り、それでは根本的な解決にならない。
なぜなら今回の行動は、わざわざ一度払った税を戻すような真似に過ぎない。
このようなことが続くのであれば、なんのために税を取っているのかわからないだろう。
普通なら見捨てるし、恐らく今はまだアークライト王国にいるであろうオルレアン公爵も行わない愚策。
それがわかっていながら、領主代行の権限を持って視察と称した支援物資の提供を行う彼女は、普通の貴族とは少し違う在り方だ。
そして、村人たちにとって良い行いが、領主とオルレアン領にとってよい行いかどうかは、また別の話である。
「魔王を倒したって、結局世界はそう変わらないんだね」
「ルサルカ様……」
自分と仲間が成した功績は、偉大であり偉業であるが、しかしそれは無数に広がる問題の一つでしかなかったということだろう。
魔王を倒しても、下々の生活は変わらず命がけ。
それでも、魔王軍に食い荒らされるという危険性だけは減った以上、無駄ではなかったのだと思う。
もし魔族や凶悪な魔物がまだ生きていたら、この村は冬を越すことも出来ずに全滅だ。
ただ、死ぬ確率は減った。
それはセリカたちと成した旅が、世界を一つ変えたということ。
「まあ、一個人が世界をどうとか考える方がおこがましいってことなんだろうね」
そう気を取り直したルサルカは、村を回りながら危なさそうな雪を溶かしていく
多分、あのお人好しの勇者や仲間たちなら率先してやったであろうことだから。
前提として、ルサルカが魔王を倒す旅に出た理由は、自分が楽しく旅をするためだ。
そして楽しい旅というのは、自分たちの歩む先もまた楽しい空気であること。
かつて魔王との戦いの最前線、アークライト王国では魔王軍による被害が多数出ていた。
もちろん抵抗出来ている都市などもあったが、それは極々一部。
そのほとんどが、魔族の奴隷として苦しい日々を過ごしていたのだ。
「だから、セリカは立ち上がったんだけどね」
「なるほど」
村長の家を借りたエレンとルサルカはその夜、エレンにお願いされて勇者パーティーの昔話に興じていた。
「セリカ自身は普通の村人だったんだけど、偶然クレアに気に入られて王国の兵士になるんだ」
「有名な話ですよね。魔族に捕らわれたクレア王女を勇者セリカが救う、という英雄譚の序章。女の子なら誰もが憧れる、とてもロマンチックな……」
「うーん……」
「ルサルカ様、どうされました?」
「いや、いいや」
王女クレアが捕らわれたのは本当。
だがそのとき一緒に名もなき村人も『おまけ』で捕らえられ、そして王国の騎士たちによって救出されることとなった。
クレアいわく、セリカは情けなく大泣きをしたらしい。
その姿がどうも庇護欲を誘ったのです、という理由でクレアに気に入られたセリカは、そこから初めて剣を握ることになったのである。
「真実を伝えることが、すべてじゃないからね」
「……?」
どうにも勇者パーティーの英雄譚に夢見る様子のエレンに対して、ルサルカは苦笑する。
ルサルカの知っている事実と、逸話には大きな齟齬があるのだ。
元々英雄譚などは後世に残すために美化されまくったもの。
それこそパーティーメンバーが聞けば腹を抱えて笑うに違いないものばかりだった。
真実は意外と情けないものなのだが、ルサルカはそれを伝えるのも野暮だろうと思い、今回は黙ることを選択。
世の中には、知らない方がいいことが沢山あるのだと、少女の夢を守ることにした。
「それにしてもエレンは中々熱心だね」
「え?」
「この村の視察のことさ。明日には別の村にも向かうんだろ?」
「あ、はい。だって、この領のことですから……」
そう言いながら歯切れが悪いのは、ただ視察をするだけでなにも出来ないからだろうか。
「私は、自分が背負うべき物を一つでも多く知っておきたいのです」
「ふぅん」
いい心がけ、というには少し覚悟が重すぎる気がする。
普通の公爵令嬢なら、自領のことを心配しても、背負うことはしないものだ。
そういうのは当主の役目。
貴族令嬢は、将来を共にする伴侶のために作法と花を学ぶのが一般的のはずだが、エレンの態度はそれらとは一線を画している様子に感じる。
「そういえば、エレンには婚約者とかいないの?」
「え? あ、その……オルレアン家は少し特殊で、まだいないのです」
「へぇ。クーリアなんかは自分で良い人見つけてるし、このままだと妹に負けちゃうよ」
少しからかい混じりに言葉を発すると、エレンは一瞬目を丸くして、そのあと優しく微笑みながら――。
「それであの子が幸せになれるなら」
憂いを帯びたその表情の意味を汲み取れず、ルサルカは少しだけ首をかしげるのであった。
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