第15話

 エレンの鍛錬が終わった頃には、すでに太陽は沈み始めていた。


 夕食の前に風呂を済ませようと思い、大浴場に向かうと前を歩くクーリアの姿。


「やあクーリア」

「ん……ああ、ルサルカ様ですか」


 お昼を共にしたおかげか、これまでは敵を見る目であったクーリアの瞳からはだいぶ険が取れているような気がする。


「これからお風呂?」

「うん……もしかしてルサルカ様も?」

「そのつもり。せっかくだから一緒に入ろうか」


 ルサルカがそう誘った瞬間、クーリアは目に見えて嫌そうな顔をする。


 どうやらこちらが思っているより心を開いてくれていないらしい。


 そうとわかれば、より一層一緒に入りたくなってきた。


「先に入ってくださいよ。私は後で構わないので」


 ツンとした態度。それがおかしく、少し意地悪気に近づいていく。


 不穏な空気を感じ取ったのか、クーリアは顔を引き攣らせながら一歩後退り。


「まあまあ、そう言わずに。女二人、せっかくだから裸のお付き合いをしよう」

「な、なんで近づいて来るんですか⁉」

「だってせっかくオルレアンの大浴場は広いんだ。なら一緒に入るのが通りってもんだろう?」

「私は一人で入りたいんです!」


 ルサルカは軽く指を振るうと、それまで抵抗を示していたクーリアの身体がわずかに宙を浮いた。


「きゃっ、わ、わ、わわ」


 いきなりの出来事に驚いたクーリアが、抵抗するように足をバタバタと暴れている。


 しかし当然ながら、地面と接していない彼女がどう動こうとなにも変わらなかった。


「よーし、それじゃあお姉さんが髪の毛を洗ってあげよう」

「ちょっと下ろしてください! なにを勝手に話を進めてるんですかぁ!」


 ルサルカは熟練の魔法使い。そして浮遊の魔法は彼女の得意魔法でもある。


 よって、抵抗は無意味とそのままお風呂場までクーリアを連行することになった。




「そういえばさ」

「……」


 むすーと頬を膨らませるクーリアの頭を洗いながら、ルサルカは思い出したように声を出す。


「クーリアは、なんでこんなに汚れてたの?」

「貴方は本当に失礼ですね」

「いやだって、お昼にあったときはこんなに汚れてなかったじゃないか。それに動きやすい服装もしてたし……」


 アレスと一緒に食事をした時、クーリアの格好はとても公爵令嬢のものではなく、動きやすそうなシャツとパンツだった。


 初めは市井に紛れるための変装かなと思ったが、それにしてもデートならもう少しお洒落にしたいのが女の子というものだろう。


「貴方に応える義務はありません」


 相変わらずツンとした態度を取るクーリアに、ルサルカはまた悪戯心が湧いてきた。


「そう。ところで魔力がだいぶ乱れてるよ?」

「……嫌な人。全部わかってて聞くなんて、性格が悪いってよく言われません?」

「面倒なやつ、とはよく言われてたね」


 もっとも、勇者パーティーに面倒じゃないのは一人もいなかった、というのがルサルカの感想だ。


「魔法の練習してたんだ」

「悪いですか? 誇りあるオルレアン公爵令嬢が、精霊術ではなく魔法を選んだこと」

「まさか、とても良い選択だと思うよ」


 ルサルカがそう言った瞬間、クーリアは驚いたように振り向き――。


「――ぁっ!?」


 そしてすぐに痛そうに眼を思い切り閉じた。


「ああもう、髪を洗ってるときに目を開いたらそうなるに決まってるじゃないか」

「っ――貴方がいきなり変なこと言うからじゃないですかぁ……」

「変なことなんて言ってないよ。ただクーリアが魔法を選んだのは良い選択だと思ったのは本心だしね」


 浴場を流れるお湯を汲み取り、クーリアの髪を洗い流す。


 ルサルカと違い、長い髪の毛は何度も流す必要がある。


 普通なら使用人にやってもらうはずだが、どうやら彼女はあまりその行為が好きじゃないのか、自分でやりたがった。


「さて、これでよし」

「ふぅ……」


 髪の毛に付いた泡を一通り洗い流し、クーリアはようやく一息吐いたと言わんばかりにホッとする。


「それじゃあ次は身体だね」

「それは自分でやりますから!」

「遠慮しなくていいって」

「貴方はちょっと遠慮してください!」


 結果的に、思いきり洗ってやった。


 そうして二人並んでお湯につかり、先ほどまでの騒がしい時とは違う、まったりとした時間が流れる。

 

「やっぱり大浴場はいいねぇ」

「……」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

「もう、お嫁に行けません」

「大丈夫だって。そのときはアレスが貰ってくれるよ」


 ルサルカの言葉にクーリアは顔を紅くする。どうやら自分とアレスが結ばれる未来でも想像しているらしい。


 こういうところは年相応で、普段の態度がどこか無理をしているのがよくわかる姿だ。


 せっかく幸せそうな想像をしているのだから、声をかけては無粋かなと思いお風呂を堪能しておく。


 しばらくして、クーリアは想像の世界から戻って来たらしく、真剣な表情でこちらを見てきた。


「……貴方は、私が魔法使いになるのが良い選択だと言いましたね」

「うん」

「それは何故ですか? 私が、精霊に嫌われているから?」

「違うよ。魔法使いが向いているからさ」

「え?」


 思っていたことと違うことを返されたからか、クーリアが驚いたように声を上げる。


 しかしルサルカからすれば、当然のことを言ったつもりだった。


「精霊使いは生まれ持った才能に左右される。精霊に愛されるという才能にね」

「はい……」


 わかりやすいのは、クーリアの姉であるエレンだろう。


 彼女はルサルカから見ても、特別精霊たちに愛されている存在だ。


 きっと彼女がこのまま大成すれば、歴史に名を残す精霊使いになるに違いない。


 そして精霊使いとしての才能がないクーリアは、幼いころからそんな姉と比べられてきた。


 それゆえに、姉妹間の関係はぎくしゃくしているのかもしれない。


「人間の魔法使いは才能じゃなくて、どれだけ努力できるかが重要だ。そう言う意味では、公爵令嬢でありながら泥に塗れてでも鍛錬が出来るクーリアは、魔法使いに向いてるよ」

「でもっ! オルレアンは精霊使いの一族で――!」

「最初から精霊使いだったわけじゃないさ。たまたま初代に才能があって、たまたまそれが今まで引き継がれてきた、どれもこれも偶然の産物だよ。だから、別にそれに縛られる必要なんて、どこにもないと私は思うな」

「っ――⁉」


 クーリアはその言葉に一瞬衝撃を受けたような表情をして、すぐに顔を背ける。


 横顔を見ると、耳まで真っ赤に染まっていた。これは熱い湯に当たったからではないだろう。


「ルサルカ様……私は姉に負けない立派な魔法使いになれると思いますか?」


 しばらくして、自信なさげにぽつりと彼女は問う。それに対する答えを、ルサルカは一つしか持ち合わせていなかった。


「それはクーリア頑張り次第だよ」

「そう……ですねっ」


 クーリアが勢いよく立ち上がる。その衝撃でお湯に大きな波紋が生まれるが、彼女は気にした様子はない。


 少し気弱になっていた彼女の姿はもうなく、今は堂々とした様子を全身で表せていた、


「私は、もっと頑張ります!」

「うん」


 そしてルサルカはというと、そんなクーリアの胸を見てから自分の胸を見て、この差はいったいなんなのかと一人呟くのであった。

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