第9話
「とりあえず、この国で私の正体を知ってるのはエレンだけだけど、これを言って殺されるとは思わなかったの?」
「ここで殺されるなら、最初から助けられていないです。それにここまでの一緒にいた一週間で、ルサルカ様のことは信頼していますから」
そう言いながら、彼女の呼吸が一瞬だけ乱れたのをルサルカは見逃さない。
身体も緊張しているようで、まだまだ腹の探り合いは未熟と言ってもいいだろう。
「まあ、実際殺す気はないけどね」
とはいえ、そもそもそんな探り合いをする気などサラサラないので、彼女を安心させてあげる。
明らかにホッとした様子を見せるエレンに対して、今後の動きだけは確認しておきたいと思う。
「それで、私はどうしたらいいのかな?」
「そうですね。とりあえず私の客人として自由にして頂けたらいいんですけど、出来れば父上が戻ってくるまでは滞在していて欲しいかなと」
「別に急いでる旅じゃないしね。いいよそれくらい」
そう言いながら、ルサルカは軽く魔力の質を変える。するとエレンの周囲にいた精霊たちが少し騒めいた。
「……今、なにをされました?」
「ちょっと魔力でバレるって話だったから、魔力の性質を変えればいけるかなって思って試してみた。案外出来るもんだね」
「普通は出来ませんが……そこはさすが英雄と賞賛させて頂きます」
そう言いながらエレンは少し視線を泳がる。おそらく、周囲にいる精霊たちに本当かどうか尋ねているのだろう。
そして驚いた顔をして、どうやら事実だと理解したらしい。
「出来ればその魔法の極意でも教えて頂けたら……」
「極意って言われても、魔法はイメージで感覚的なものだからね。人間たちみたいに後世に残すって習慣もエルフにはないから、あんまり役に立てるかわからないよ?」
「え? つまりそれって」
「別に教えられることだったら教えるって。どうせ時間はたくさんあるんだしね」
「本当ですか⁉」
「わっ!」
いきなりソファから立ちあがり、詰め寄ってくるエレンに少し驚いてしまう。
彼女の丸い瞳はキラキラと輝いていており、まるで尊敬する人に出会えたような表情だ。
「あの大魔法使いルカ様に魔法を教えて頂けるなんて、感動です!」
「でもエレンは精霊術師だよね? だったら魔法を覚えても、あんまり役に立つとは思えないけど……?」
「それは――」
ルサルカの指摘にエレンはなにかを言いかけて、その口を閉ざしてしまう。
大気中の魔法と自身の魔力を混ぜ合わせて奇跡を起こす魔法使いと、己の魔力を対価に精霊に魔術を使ってもらう精霊術師では、そもそも向いている方向性が違う。
出来ることも変わってくるので両方覚えることにメリットがないとは言わないが、やはりその分覚えなければならないことは単純に二倍になることだろう。
はっきり言って、器用貧乏になるのが目に見えていた。それを指摘してみると、エレンは急に声のトーンを落として呟く。
「精霊術師でも、魔法を覚えたら役に立つことがありますから……」
力強く微笑む仕草に、なにか理由があるのだろうと理解する。
そしてルサルカはその理由を追求することはしない。人はみんななにかを抱えていて、それを乗り越えていくのは自分自身だからだ。
少なくとも、あの弱かった勇者セリカはいつも自分の足で前を向いて歩いていた。
「まあ金貨一万枚で買われた身だからね。それに見合った物を教えられるかはわからないけど、教えてあげようじゃないか」
「っ――! ありがとうございます!」
そう頭を下げるエレンを見ながら、百億円分の教えとはいったいなにを教えればいいのか、つい悩んでしまう。
「まあ、それは後で考えればいいか……ん?」
不意に、ルサルカはエレンとは違う方向から視線を感じた。
見ればこの部屋の出入り口である扉に隙間が空いており、そこから自分たちを睨んでいる少女が見える。
「……クーリア」
そう呟いたのは、目の前のエレンだ。
扉の隙間から覗き込んでいるから分かり辛いが、目の前のセレンを少し小さくしたような立ち姿。
恐らく妹だろうと思うが、どうにも雰囲気が良くない。
クーリアと呼ばれた少女はこちらを睨みつけているし、エレンはどこか気まずそうな表情。
きっと二人の間になにかがあるのだろうが、そこは部外者である自分には関係のない話だ。
クーリアはしばらくじっと見つけてきたあと、そのまま扉から離れていってしまう。
「……」
黙り込むエレンに対して、ルサルカから言えることはない。
「とりあえず、私の話はここまでにしようか」
「……そうですね。とりあえず、客間を用意していますので、我が家だと思ってゆっくり寛いでください。これからのことは、夕食時にでもしましょう」
そう言って立ち上がると、エレンはテーブル脇に置かれたベルを軽く鳴らす。
すると一度は出ていった老紳士や使用人たちが音もたてずに部屋に入ってきて、彼女の背後に並んだ。
よく訓練された使用人たちだと、思わず感心してしまう。
「本日より、ルサルカ様は私の魔法の師匠です。このことを周知徹底させますので、もし貴方に害意を持つ者が現れたら、すぐに処罰致しますので教えてください」
「そんなこと言われたら教えづらくなるじゃないか……」
「それくらい重要な人物である、という話で受け取ってください」
「まあいいけどね。それにしても、師匠か……」
師匠という言葉にはどこか不思議な響きがある。
エルフの国であるシルフガーデンでは、魔法を誰かに教えるという習慣はなかった。
各々が勝手に学び、勝手に使い、そして魔法を覚えていくものだった。
人間と違って寿命が長いため、そもそも時間に対する感覚が異なるのだが、それゆえに誰かになにかを教えるということは滅多にない。
だがしかし、元々は世界で人間として三十年も生きてきたのがルサルカ・シルフガーデンという少女だ。
人間の感覚もまだまだ残っており、誰かになにかを教えるということに、疑問を覚える余地などない。
「人生は一期一会。せっかく出来た縁だ。私で教えられることは教えてあげるよ」
もっとも、魔法はイメージであり、そしてルサルカは女神によって特別に与えられた才能がある。
特に精霊術師と魔法使いの相性は非常に悪い。そう言った意味でも、ルサルカがエレンに魔法を教えられらかといえば、また別の話であった。
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