カプリコルヌスの青の国編3
呆然と立っていた彼に再び彼女から声を掛けた。
「ひとまず、そのぼろぼろな格好を何とかしましょうか。」
彼女がそう言うとおもむろに指先を彼に向けた。すると、ぼろぼろだった防具や傷だらけだった彼の体が治っていった。治っていったというより戻ったというのが正しいかもしれないと彼は思っていた。防具に修復の魔法をかけた時や傷に治癒の魔法をかけた時のことを知っているがそのような感じではなく、元々あった状態になったというのが感覚的に正しいと感じたからだった。
「戻りましたね。ではこちらにどうぞ。お話の方伺いましょう。」
そういうと彼女は奥に消えていく。慌てて彼は階段を上り、彼女の消えていった廊下を進んでいく。進んでいった先には一つの扉があった。他に行ける場所もない以上、ここにいるのだろうと思い、扉を開く。案の定彼女はそこにいた。室内に怪しげな薬品が並んでいる様子はない。壁紙はシンプルに白で、エントランスにあったような絨毯がこちらでも敷かれている。他に室内にあるのは大きな丸いテーブルとその上に敷かれたテーブルクロスと並んだ菓子とお茶くらいのものだった。
「ここまでお疲れでしょうし、どうぞそちらにお掛けになってお茶でもどうぞ。別に毒なども入ってないのでご安心を。」
彼は言われた通り彼女の向かい側に座る。そして、置かれていた紅茶に手を付けた。少しぬるめだったが、今は体が水分を欲していたのもあり彼にとってはちょうどよかった。
「もう一杯いかがです?」
彼はその言葉に甘えることにした。ティーポットが一人でに動き彼が置いたカップに今度は湯気が立っている紅茶を注いでいく。彼は再びカップに口をつけた。彼が落ち着いた頃合いを見て、彼女が口を開く。
「貴方は、時渡し希望ということでよろしかったですよね?」
時渡し?と彼の頭の中でその単語の意味が分からず黙り込んでしまった様子を見て彼女が補足する。
「時渡しというのは、ちょっと違いますが、わかりやすく言うならやり直しでしょうかね。」
それならそうだ、と彼はうなずく。
「なら良かったです。では、早速こちらの本の上に手をのせてもらってもいいですか?」
そう言って、彼女は表紙が黒い本をこちら側に突き出した。一体何をするのか、と思った彼は少し戸惑いつつも、このままでは進まなさそうだと思い、言われたように本の上に自身の右手をのせた。
「ええ、ありがとうございます。少し時間がかかるので、その間待っていてもらえますか。そこのお菓子は自由に手に取ってもらって構わないので。」
これから何をする気なのか気になった彼が問いかける。それに彼女は答える。
「もちろん、本なのですから読むんですよ。貴方の今までの人生を。」
「とは言ったものの、必要そうなところをサラッと流すだけですからそこまで時間はかけませんよ。それこそ、貴方が一服しているくらいの時間で十分です。」
そんな言葉を返しながら、彼女の目は本に向けられ、左右に忙しなく動いている。自分のこれまでを他人に読まれるというのは気恥ずかしさを感じるものなのか、彼は居心地悪そうにしている。ただなんとなく邪魔するのも悪いと思った彼は、目の前にあったマカロンの一つを取って口に入れた。以前口にした交易で手に入る高級品の甘味よりもおいしいと思った。それ故彼は少しの間固まった。読み終えたのかこちらに目を向けていた彼女が、彼の様子を見て言った。
「おいしいですよね、それ。ある人の記憶から再現したお菓子なんですけど、ヴィルゴの蜜の国にある有名な老舗のお菓子らしいです。」
ヴィルゴの蜜の国は菓子などの甘味で有名な国である。その歴史は古く、前身となった国は統一国家の成立時に一地方になったもののその頃からなら、700年となるだろう。毎年、多くの店が開く一方で、閉まっていく店も同等程度あるという。その中で老舗といわれるならそれだけの価値があることになる。
そのことも驚きだったが、彼にとってはもう一つのことも驚きだった。再現したと彼女は言った。つまりこれらは、彼女の力で生み出されたまやかしということになる。そんなこともできるのか、と彼は感じていた。そして、本当に魔女であるという確信と自身の望みが叶う期待感が膨らんでいった。
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