第5話 ここにいる意味

 「うーん……。もう朝か」


 目覚まし時計の音と共に金剛寺ヒロは目を覚ます。枕元に置いてある時計に目をやると、針はちょうど午前6時を指していた。もうそろそろ登校の準備をしなければならない。


 「んー! っふう」


 ベッドから起き上がって背伸びすると、一階の洗面所へと向かう。そして鏡の前に立ち、そこに写る自分の姿を見つめた。


 金剛寺ヒロ。17歳の高校2年生。短く借り揃えたソフトモヒカン……もといスポーツ刈りのような髪型。176cmほどの身長にひょろリと細長い身体。全体的にへーロスによく似ているが、その自信なさげな目と猫背気味の姿勢は彼には無いものだった。


 (これが俺のリアルの姿。へーロスとは……大分違うな)


 自信に満ち溢れたへーロスとは違って、鏡に映る自分からは弱々しく自信なさげな雰囲気しか感じられない。これ以上現実を直視するのが嫌になり、思わず鏡から目を逸らした。


 すると突然後ろから足音が聞こえた。

 振り返れば、そこには黒いスーツに身を包んだ母の姿がある。部屋と廊下を慌ただしく行き来しており、カバンに書類やらファイルやらを詰め込んでいた。


 「母さん、おはよう。もう仕事行くの?」

 「あら、ヒロ。おはよう」


 母はこちらに目を向けず返事だけをよこす。


 「急に部署の会議が入っちゃってもう行かないといけないのよ。机にコンビニのおにぎり置いといたから食べていって。あと今日も多分遅くなるから、晩御飯も先に食べていてちょうだい。冷蔵庫の中に入ってるから」


 事務的な口調で矢継ぎ早にそう言うと、支度が終わったのか玄関の方へと歩いていく。


 「う、うん。ありがとう。仕事がんばっ……」


 見送りの言葉をかけようとしたが、言い終わるよりも早く母は扉の向こうへと消えていってしまった。


 「はぁ……」


 思わずため息が漏れる。父と離婚してから女手一つで自分を育ててくれた母だ。彼女のお陰で自分は何一つ不自由することなく生活できている。だが……


 (最後に一緒にご飯を食べたのって何週間前だったかな……)


 母はいつも忙しい。朝早くに出勤して、帰宅するのは夜遅く。休日出勤も多く、たまの休みで家にいるときも疲れ切ったようにぐったりとしている。二人で会話らしい会話をすることもめったになく、いつもこうして互いにすれ違っているのだ。


 自分に構ってくれない彼女を恨んだことはない。しかし、それでも寂しいという気持ちが湧くのを抑えることはできなかった。

 

 「おにぎりか。具、昆布だといいな」


 がらんとした家の中に自分の声だけが寂しく響いた。





「……はぁ」


 ため息を吐きながら帰りの電車を待つ。

 今の時刻は夜の7時30分ごろ。都会ならば混み合う時間なのだろうが、ここは地方都市の駅であり、ホームには人がまばらに立っているだけだった。


「今日も散々だったな……」


 そう呟きながら1日を思い返す。


 勉強では周りについて行けず、授業で教師の質問に答えられなくて恥をかく。

 友達は少なく、昼食はいつも教室の隅で一人ぼっち。

 運動神経も悪く、球技で自分にボールが回ってくることなど一度も無い。

 意を決して入部した部活でも、今や後輩にすら後れをとっている。


 勉強もスポーツもからっきしで友達もいない落ちこぼれ。それが俺なのだ。



 ……俺は自分が大嫌いだ。


 幼いころから何をするにも要領が悪く、いくら努力してもせいぜい人並み程度にしかできない。他の人が1時間でできることでも、俺は2、3時間以上もかけなければできないのだ。


 そんな自分に嫌気が差し、いつしか努力することを諦めてこうして落ちぶれてしまった。今や気概も情熱もなく無気力に毎日を生きているだけだ。


 だが、昔からこうだったわけではない。


 以前は要領が悪いなりに努力し、周りに追いつこうと必死に足掻いていた。このままではいけないと思い、高校入学時には勇気を出して陸上部に入部したりもした。こんな自分でも努力すれば変われるのではないか。そんな希望を胸に頑張っていた時期もあったのだ。


 しかし現実は非情だった。


 いくら頑張っても周りに追いつけない。自分が悪戦苦闘している間に、他の人間は楽々と上へ登って行く。周囲との差はどんどん開いていき、いつも自分だけが取り残される。


 部活だって同じだ。


 運動神経が悪くても体力さえつければ何とかなるのでは……と思って入部した陸上部だが、同じ量の練習をこなしても周りからは離される一方。練習や大会ではいつも最後尾で、今や練習について行けず後輩にすら心配される有様。惰性で続けてはいるものの、退部するのも時間の問題かもしれない。



 ……工夫が足りないと言われればその通りなのだろう。効率を改善し、もっと適切な形で努力をすれば違う結果になっていたのかもしれない。

 だがもう疲れてしまった。世の中には自分より少ない労力で同じことを為せる人の方がずっと多いのだ。そう考えると、頑張るのが馬鹿らしくなってしまった。


「もし俺がいなくなったとして、誰か困る人はいるんだろうか……」


 目の前の線路を見つめながらそんなことを呟く。自分あそこに飛び込んだとして、誰か悲しんでくれる人がいるのだろうか。


「俺って、誰かから必要とされているのかな……?」


 仕事で構ってくれない母、迷惑をかけてばかりの陸上部のみんな……。そういった人々の顔が思い浮かぶが、彼らから必要とされるビジョンがまったく浮かばない。


 YLSで〈マジック・エウクレイダー〉のクラスを取得したのも、元をたどれば「多彩な魔法を使いこなしてどんな人の役にも立てるようになりたい」という願望があったからだ。前に立って戦う戦士ではなく味方をサポートする魔術師を選んだのも同じ理由である。

 だが、この現実世界において、自分は〈マジック・エウクレイダー〉でもへーロスでもない。ただの落ちこぼれだ。


 誰にも必要とされていない。ならば、俺という人間にはどのような意味があるのだろう。そして……


「俺が現実世界ここにいる意味って、一体何なんだろう……」


 寂しげなそのつぶやきは、冷たい風に乗って虚空へと吸い込まれていった。


「待ってってばー!」

「きゃははははは!」


 近くから子供の声が聞こえ、ハッと我に返る。


「こら! 2人とも危ないわよ! 止まりなさい!」


 声のした方を見れば、母親らしい女性が走り回る子供2人を注意していた。子供たちは幼稚園生くらいの年齢だろうか。二人とも楽しそうな顔で追いかけっこに興じている。


(母親と子供、か……)


 親子の様子を見て、自分の母の姿が脳裏に浮かんだ。ネガティブな思考が再び頭を満たしていく。

 

 (駄目だ、こんなこと考えるものじゃない。何か楽しいことを考えるんだ)


 そう考えながら、昨日YLS内で交わした約束を思い出す。


 (そうだよ、アッキーさんや味噌サバさんとボスモンスターを狩りに行くんだろ)


 ボスを倒すにはあなたの力が必要です。という味噌サバの言葉が思い出され、胸に暖かさが広がる。


 (YLSでへーロスになれば、みんなが俺を必要としてくれる。だからそれでいいんだ。それで十分なんだ)


 そう考えると僅かに心が軽くなる。だが同時にもやもやとした感情も湧き上がり、分厚い雲のように自分の心を覆っていく。


 「……本当にいいのかな、それで」


  思わずそう呟いてしまった。そうだ、自分のしていることはただの現実逃避にすぎないのだ。現実世界では自分を必要としてくれる人など誰一人いないくて……。



「まもなく2番線を特急列車が通過します。黄色い線までお下がりください」


 駅のアナウンスでハッと我に返る。遠くから列車の近づく音が聞こえ、黄色い線から一歩だけ身を引いた。


(……こんなこと考えても仕方ないよな)


 そう思い気持ちを切り替えようとすると、後ろの方から再び子供の笑い声が聞こえてきた。


「きゃははははは!」

「こら! 電車が通過するって言ってるでしょ! 危ないからこっちに来なさい!」


 振り向けば、子供2人は相変わらず母親の制止を無視して走り回っている。見るからに危なっかしいが、ホームへの転落事故などそうそうあるものではない。そこまで神経質になる必要もないだろう。


(にしても、本当に楽しそうだな)


 どこまでも純粋で明るい笑顔。今この瞬間が楽しくてたまらない、そんな風な笑い方だ。自分にもあんな頃があったのだろうか。


 ……そんなことを考えていたときだった。

 


 「あっ」


 走っていた子供の1人が、自分のすぐ隣でコンクリートのくぼみにつまづいて体勢を崩す。そして、その身体は走っていた勢いのままにホーム下の線路へと落ちていった。


 「タカフミ!!」


  背後で母親が絶叫する。だが、線路に落ちた子供は上体を起こすだけで動こうとしない。落下の衝撃で足を痛めたのか、あるいは迫りくる列車の迫力に身体がすくんでいるのか。


 突然の出来事に身体が固まってしまう。


 後ろから母親が走ってくる音が聞こえ、視界の端に列車の緊急停止ボタンを押そうとする人の姿も見える。だが多分どちらも間に合わないだろう。列車の音が大きくなり、それがもうすぐ近くまで来ているということが分かる。


 (ど、どうすれば……!?)


 子供が落ちたのは自分のすぐ目の前。しかし、助けるには線路に降りて彼をホーム上に持ち上げなければならない。


 列車はもうすぐそこまで迫ている。きっと間に合わない。いや、そもそもこんな場所で子供を遊ばせる母親が悪い。母の制止を聞かない子供も悪い。コンクリートのくぼみを放置した駅側にも責任がある。自分は悪くない。だから命を張ってまで彼を助ける義理はない。悪いのは母親や子供や駅であって自分では……。

 


 瞬間、線路に落ちた子供と目が合った。


 先程まで無邪気な笑顔を浮かべていたその顔は恐怖に歪み、肩がぶるぶると震えている。そして、その目は助けを乞うように自分を真っ直ぐ見つめていた。


「あっ……」


 そこには、俺を必要としている人の姿があった

 俺は今、誰かに求められている。


 これだ。俺がずっと欲しかったもの。

 現実世界ここにいる意味、ようやく見つけた。



 考えるよりも早く脚が動き、持っていたカバンを放り投げて線路へと飛び込む。足裏に線路に敷かれた砂利の感触が伝わってきた。


 「早く!」


 そう叫びながら、子供の両脇を掴んでホームへ押し上げようとする。


 だが列車は既に十数メートル先まで迫っており、その凄まじい迫力と轟音に体がすくんでしまった。これは子供が動けなくなるのも納得だ。

 

 しかし、誰かに必要とされているという事実が、両手に感じる子供の体温が、俺に恐怖に打ち勝つ力を与えてくれる。


 「うおりゃあああああ!」


 全筋力を動員して子供を持ち上げると、ホーム上にいる母親や他の人々が彼の身体を引き上げてくれた。母親が子供の身体を強く抱きしめる。


 ホーム上の人々は続いて自分にも手を差し伸べてくれた。


 だが、その手を取ろうとした瞬間、身体の横から風を感じたのだ。

 巨大な何かが身体の数cm先まで迫ってきているのが分かる。

 理性ではなく直感が「もう無理だ」と叫んでいた。


 そんな中、自分は助け上げた子供の方に目をやった。母親に抱きしめられながら放心したような顔でこちらを見つめているが、その身体は確かにホーム上にある。俺は彼を救うことができたのだ。


 (俺は、英雄へーロスになれたのかな)


 へーロス。自信満々で大胆不敵な最強の魔術師。誰からも必要とされる存在。こうなりたいという想いで作り上げた、自分にとっての理想の姿……。


 そんなへーロスに、俺はなることができたのだろうか?


 『YLS』で過ごした数々の思い出が走馬灯のように頭を駆け抜けていく中、全身に強い衝撃を感じ、自分の視界は闇へと包まれた。

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