第4話 マジック・エウクレイダー

 回避が間に合わず、樹木人トレントの枝がへーロスの胴体に絡み付く。


「ぐおおっ!?」


 巻き付いた枝に凄まじい力で締め上げられ、みしりと骨のきしむような音が聞こえた。痛覚が制限されているため痛みを感じることはないが、HPが減少していくのが感覚として分かる。


「み、味噌サバ殿! ヘルプです!」

「了解!」


 味噌サバが大地を蹴り、凄まじい速さで樹木人トレントに肉薄する。高レベルの戦士特有の現実離れした移動速度だ。樹木人トレントに剣の間合いまで接近した彼は、回避する隙さえ与えずにスキルを発動した。


「《剛撃》!」


 味噌サバの剣が僅かに光を放ち、暗闇の中に軌跡を残しながら樹木人トレントを両断する。2つに分かれた樹木人トレントの身体は地面に落ちた後もしばらく蠢いていたが、やがて命が尽きたのかピタリと動きを止めた。


「うおっ! ……ふぅ」


 同時に自分を締め付ける枝から力が抜け、身体が自由になる。周囲に敵は確認できず、血狂いの寄生熊パラサタイズド・クレイジーベアたちも完全に沈黙していた。今度こそ戦闘終了だろう。



「いやぁ、助かりましたよ味噌サバ殿!」


 そう言いながら味噌サバに駆け寄ると、彼は呆れた様子で口を開く。


「全く、この中で一番身体能力が低いのはへーロスさんなんですから、気を付けてくださいよ」

「うっ! 返す言葉も無い……」


 痛いところを突かれ何も言えなくなってしまう。


「……でもまぁ、寄生熊を3匹も倒せたのはへーロスさんのお陰ですよ。俺とアッキーさんだけでは正直危なかった。来てくれて助かりました」


 フルフェイスの兜を装備しているために彼の表情は伺えないが、その声からは確かな感謝の念が感じられた。


「へーロスさん、危ないところをありがとうございました。びびちゃって動けなかったので本当に助かりましたよ!」


 続いてアッキーも感謝の言葉を口にする。『助かりました』、『ありがとうございます』……。現実世界では久しく言われていない言葉をかけられたことで、胸の中に暖かさが満ちていく。


「……フハハハハ! 仲間を助けるのは当然のこと、気にする必要などありません! それに、私の魔法があれば高位の魔獣と言えども雑魚同然です!」


 照れを隠すように笑い声を上げると、味噌サバがやれやれという様子で口を開く。


「まったく調子がいいんだから……。それはそうとアッキーさん、今の戦闘でレベルは上がりましたか?」


 そうだ。元はといえば、今日自分たちが集まったのは彼のレベル上げのためなのだ。


「あ、ちょっと待ってくださいね。……ええと、今のでLv70になったみたいです!」

「おお、アッキー殿、それは何よりです! 頑張った甲斐があったというものですな!」


 自分が強くなっているという実感が数値として現れる。どんなゲームであってもレベルが上がる瞬間は心が躍るものだ。見れば、アッキーも嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「確か、アッキーさんのキャラって第二青年期でしたよね? Lv70ならもう次の年齢ステージに進めますけど……。どうしますか?」

 

 味噌サバがそう言うと、アッキーは眉にしわを寄せて悩み始める。


「うーん……。年齢が上がると使える魔法が増える代わりに身体能力は低下しちゃうんですよね? おじさん臭いキャラは嫌だし、この年齢のままLv100まで上げちゃおうかな」


 身体能力に長ける若年キャラを選ぶか、スキル数に長ける老年キャラを選ぶか。これは年齢ステージシステムを採用するYLSプレイヤー特有の葛藤だ。

 悩むアッキーを見て味噌サバが声をかけた。


「ひょろひょろの若造よりも壮年のナイスミドルの方がかっこいいと思いますけどね、俺は」


 そう。これは渋いおっさんにロマンを感じるか若いイケメンに魅力を感じるかという好みの問題でもあるのだ。


「味噌サバ殿のおっさん好きは相変わらずですね……」


 呆れたようにそう口にする。味噌サバは事ある毎にこうして壮年男性の魅力を周囲に布教したがるのだ。彼自身はまだ大学生のはずなのだが、何が彼をここまで突き動かすのだろうか。


「……ですが、魔法職は魔法の数によって戦闘力が左右されるので、壮年や老年まで年齢ステージを進める人は多いのですよ。アッキー殿も壮年くらいまでは年齢を上げてみてはどうですか?」


 魔法職の先輩としてアドバイスを送ってみたが、アッキーは悩ましげな顔をしながら口を開く。


「うーん。でも、魔法を使うのって結構難しいじゃないですか? 一種類ごとに魔力操作のイメージも覚えないといけないし。正直、今覚えているのを使いこなすだけで精一杯なので、これ以上習得してもって感じがするんですよね……」

「ああ、なるほど」


 それを聞いて納得した。確かに、YLSではボタン1つで簡単に魔法が使える訳ではない。魔法1つを扱うためにもそれなりの練習と経験が必要になるのだ。

 

「確かへーロスさんは老年の魔術師でしたよね? ってことは、やっぱりたくさん魔法を習得しているんですか?」


 アッキーはこちらを窺うようにしてそう言う。


「む? ええ。私のキャラは習得可能魔法数に特化したビルドですので」

「〈マジック・エウクレイダー〉ですね。正直実用性は微妙ですけど……」


 味噌サバに横から水を差され、僅かにムッとしてしまう。。


「……せめてロマン枠と言っていただきたい。〈マジック・エウクレイダー〉は確かに実用性は低いかもしれませんが、あらゆる状況に柔軟に対応できる唯一無二のクラスなのですよ」


 〈マジック・エウクレイダー〉。魔法の解明者とも呼ばれるこのクラスは、様々な条件を満たして第二老年期に達したキャラのみが取得できる特殊なクラスだ。

 その条件とは『弱小と名高い魔法学者系統のクラスをいくつも取得しなければならない』、『幼少期に〈魔法の申し子〉という特殊なクラスを取得しなければならない』などかなり厳しいものとなっている。

 

 ……しかし味噌サバの言う通り、〈マジック・エウクレイダー〉がそれに見合う力を持っているかと言われると正直微妙なのだ。と言うのも、このクラスの特徴は「他の魔法系クラスと比べて習得できる魔法の数が非常に多い」というただ一点だけなのである。それに何かの属性や系統に特化しているわけではないため、他のクラスと比べると器用貧乏感が否めない。加えて……


(YLSって、魔法1つ覚えるだけでも大変だからな)


 YLSはボタン1つで魔法を放てるわけではなく、魔法1種類ごとに違ったイメージを暗記しなければならない。同属性の魔法ならイメージが似ているため覚えやすいのだが、水、火、土、風……といった具合にいくつもの属性に手を出すと、暗記は飛躍的に困難になる。

 つまり、ゲーム上の習得可能魔法数が多くても人間の脳がそれを暗記しきれず、結局クラスの利点を生かせないのだ。


「私も5年くらいこのゲームやってますけど、〈マジック・エウクレイダー〉を取得してる人なんてほぼ見かけませんよ。たまに見つけても使いこなせてない人が大半ですし……。真面目な話、まともに扱えてるのはへーロスさんくらいなんじゃないですか?」


 味噌サバがそう言うと、アッキーはこちらに驚いたような顔を向ける。


「凄いですね……! どうやってそんなに魔法を覚えたんですか?」


 その質問を待っていましたとばかりに胸を張り、高らかな口調で口を開いた。


「フーハハハハ! この私、寝ても覚めてもYLSのことしか考えられず、現実世界でもイメージトレーニングを繰り返していたら、いつの間にか魔法を覚えまくっていたのですよ!」

「……確か、暗記した総数は300種類以上とか言ってましたっけ? 本当に大したものですよ。ちゃんと学校行ってます?」


 味噌サバが半ば呆れたようにそう言った。


「い、行ってますってば! 部活までちゃんとやってますよ! 成績とかはまた別として……」


 そう。YLSにハマり込んではいるが、だからといって現実世界の生活を捨てているわけではない。

 ……まぁ、そっちが上手くいかないからこそ、それから逃避するためにこうしてへーロスを演じているのだが。


そのようなことを考えていると、アッキーがこちらを見つめているのに気が付いた。


「む? アッキー殿、どうかしましたか?」

「あ、いえ。その……」


 彼は一瞬言いよどむが、すぐにこちらを向いて言葉を発する。


「なんか、へーロスさんを見ていると羨ましいなって思いまして」


 羨ましい? その言葉に合点がいかず思わず首をかしげてしまう。


「……僕、何か全力で楽しめるものを探してて、リアルでも友達の味噌サバさんにYLSを紹介してもらったんです。でも、いざやってみるとどうしても現実世界の自分に気持ちが引っ張られてしまって、ゲームに入り込みきれないっていうか……」


 そこまで言うとアッキーはこちらへと顔を向けた。


「だから、へーロスさんが全力でキャラを演じて本気でYLSに熱中しているのが、何だか羨ましいんです」


 そう言うものなのだろうか。自分からすればただリアルから逃げてYLSに熱中しているだけなのだが……


「いやいや、アッキーさん。へーロスさんのレベルまで行っちゃうとちょっと中二臭いっていうか、痛々しいっていうか……。俺はあんまり見習わない方がいいと思いますけどね」


 味噌サバの言葉を聞き、僅かにムッとしてしまう。


「分かっていますよ、自分が痛々しい奴だなんてことは……。しかし『なりたい自分になれる』というのがこのYLSのテーマのはずです。ならば、リアルの自分は忘れて全力で入り込まねば損ではありませんか」


 そう言うと、アッキーの方に顔を向けて口を開く。


「強いモンスターを倒す。レアなアイテムを探す。最強の武器を作る。ゲーム内のキャラを演じる……。YLSの楽しみ方は人それぞれです。ゲームを続けていれば、きっと自分なりの楽しみ方が見つかりますよ!」

「……本当に見つかるでしょうか?」


 アッキーはどこか不安げな様子でそう呟いた。しかし、そんな彼に対し自信を持って断言する。


「見つかりますとも! ゲーム自体のクオリティは私が保証します!」

「まぁ、確かにそうですね。YLSほど作り込まれたゲームは中々無いですよ」


 味噌サバからの援護射撃が飛ぶ。たまに毒舌なこともあるが、彼とてYLSのヘビーユーザーなのだ。初心者にゲームの魅力を伝えたいという想いは自分と同じなのだろう。


「例えばそうですね……。今度はもっと大勢のプレイヤーを集めてボスモンスターでも狩りに行くのはいかがですか? 経験値もおいしいですし、倒した時の達成感はこんな子熊の比ではありませんよ!」


 自分がそう言うと、それを聞いたアッキーの目に輝きが差したように見えた。


「ボス戦ですか? ……面白そうです、是非参加したいです!」


 その様子を見て味噌サバも頷く。


「まぁ、レベル上げには良さそうですね。……ただ、俺の知り合いはガチガチの戦士職が多いので魔法職のへーロスさんには頑張ってもらわないと」

「望むところです! 10人でも20人でも、私が的確に支援魔法を飛ばしてアシストして差し上げましょう! ボスへの魔法攻撃もお任せください!」

 

 そう言うと、味噌サバは満足げな声で口を開いた。


「了解です。じゃあ俺も人を集めておきましょう。明日は……ちょっと急すぎると思うので、集まるなら明後日くらいですかね」

「分かりました。アッキー殿、一緒に楽しみましょう!」

「……はい!」


 三人で拳を突き合わせ明後日の再開を誓う。


 「へーロスさん。今度はくれぐれも遅刻しないでくださいよ。ボスを倒すにはあなたの力が必要ですから」


 『あなたの力が必要』……。その部分が何度も脳内で反響し、胸が暖かくなっていくのが感じられた。


 「もちろんです! このへーロス、必要としてくれる人がいればどこへでも駆けつけましょう!」


 満天の星空の下、森の中にその声がこだました。

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