第3話 へーロス

「む、あれか?」


 ヒロ……。いや、へーロスが森の上空を飛行していると、前方に木々の開けた場所が見えた。

 そこでは2人の人間が3匹の熊のような生物と対峙している。2人の内、1人は黒鉄色の鎧と剣を装備した戦士風の男であり、もう1人は深緑色のローブで全身を覆った魔術師風の男だ。鎧の男はローブの男を背に庇うようにしながら、熊に対して剣を構えている。


「む! 血狂いの寄生熊パラサタイズド・クレイジーベア か!」


 彼らが対峙しているのはただの熊ではない。体長は3mほどと巨大であり、背中から樹木のようなものを生やして全身は緑の苔に覆われている。邪悪な意思を持った樹木人トレントに寄生された結果、ひたすら獲物の血を求める操り人形と化した哀れな生物……という設定の魔獣なのだ。


「おっ……!」


 突如3匹の熊の背から鋭い木の枝が伸び、凄まじい速さで地上の2人の元へと迫る。鎧の男が剣で切り払おうとするが、枝はそれを避けて後方のローブの男へと向かっていった。


「まずい! アッキーさん、避けて!」


 鎧の男が慌てて後ろに呼びかける。

 

「ひっ! 味噌サバさん! うわぁああ!」


 しかし、ローブの男……アッキーと呼ばれたプレイヤーは、体がすくんでいるのか動く素振りを見せない。


(不味いっ!)


 アッキーはYLSを始めて日が浅く、装備もレベルも整っていないのだ。加えて彼は物理防御力の低い魔法職。あの攻撃を食らえば間違いなく致命傷になる。もはや考えている暇は無かった。


「≪獄炎の防壁ヘルフレイム・ウォール≫!」


 魔法の詠唱と共にアッキーの目の前に黒い炎の壁が形成され、迫っていた枝がひるんだように動きを止める。鎧の男はすかさず枝を切り払うと、こちらを見上げて叫んだ。


「へーロスさん、ナイスアシスト! でも大遅刻ですよ!」

「味噌サバ殿、大変申し訳ない! しかしヒーローとは遅れてやってくるもの。この私、へーロスが来たからにはもう安心です!」


 そう言いつつ鎧の男……味噌サバの隣へと降り立った。前方の寄生熊たちは突如現れた自分を警戒しているのか、唸り声をあげながら伸ばしていた枝を引っ込めている。


「これで三対三だな。私が援護します! 味噌サバ殿とアッキー殿は攻撃を!」

「了解です!」

「わ、分かりました!」


 味噌サバが威勢よく返事をし、その次にアッキーのおどおどとした声が続く。


「うおおおおお!」


 味噌サバが勇ましい声を上げながら前へ走るが、寄生熊たちも牙を剥き出しながら彼に突進していく。


(3対1では分が悪い。なら……!)


 前方に向けて手をかざすと、味噌サバを援護すべく魔法を詠唱した。


「《上位蜘蛛の巣グレーター・ウェブ》!」


 詠唱と共に地面から粘着性のある強靭な糸が現れ、3匹の寄生熊のうち2匹の脚に纏わり付く。足を絡めとられた2匹は大きく体勢を崩し、転倒して地面に体を叩きつけた。

 だが、残る1匹が前方の味噌サバへと迫る。


「よっしゃあ! 掛かってこい!」


 威勢のいい声で味噌サバが叫ぶ。

 寄生熊は突進の勢いのままに跳躍して味噌サバに飛び掛かるが、彼は軽やかな動きでそれ回避すると、すれ違いざまに剣を振り抜いた。


「ふんっ!!」


 瞬間、巨体の腹部から鮮血がほとばしり、寄生熊は勢いよく地面に激突する。地響きと獣の苦しげな悲鳴が周囲に広がった。


「さあアッキー殿、とどめです! ほら、魔法を使って!」

「え? あっ、はい!」


 自分の声を受け、アッキーが慌てて倒れた寄生熊に向け手をかざす。


「ふぅっ、ふうっ……!」


 しかし、慣れない戦闘に緊張しているせいか、呼吸が荒く表情にも余裕がない。画面越しに敵と相対する旧来のゲームと比べ、仮想空間上での戦闘は非常に恐怖を感じやすいのだ。


「アッキー殿、落ち着いてください! 魔力の操作を頭でイメージするのです」


 YLSのシステム上、魔法の発動にはその魔法に定められた魔力操作を脳内でイメージしなければならない。高位の強力な魔法ほど複雑なイメージを必要とするので、魔法職にとって戦闘中の動揺や混乱は大敵なのだ。


「大丈夫です、これまで何度も戦ってきたではありませんか! いつも通りやれば良いのです!」

「……は、はい!」


 アッキーは深く深呼吸をした。すると多少落ち着いたのか、彼の表情に若干余裕が生まれたように見える。


「い、行きます! 《地母神の鉄槌ワース・オブ・ガイア》!」


 突如として上空から巨大な岩石が飛来し、倒れていた寄生熊めがけて落下する。


「グオオオオォォ!!」


 岩は轟音と共に地表に激突し、そこにいた熊の身体を押し潰した。断末魔の悲鳴が周囲に響き渡り、衝撃によって森の木々が音をたてて揺れる。

 《地母神の鉄槌ワース・オブ・ガイア》は高位の攻撃魔法。ゲームのレーティング上内蔵が飛び散るなどグロデスクなことにはならないが、寄生熊は今の一撃で完全に絶命したはずだ。


「や、やった! やりましたよ!」

「アッキー殿、ナイスアタック!」


 そう言いながら親指を立てる。しかし、同時に近くから唸り声と何かを引きちぎるような音が聞こえ、思わず身構えた。


「二人とも、まだ敵は2匹も残ってますよ! 気を抜かないで!」


 味噌サバの声が飛ぶ。

 前方を見れば、2匹の寄生熊が ≪上位蜘蛛の巣グレーター・ウェブ≫の糸を引きちぎって拘束から脱しつつあった。熊たちは憤怒と憎悪のこもった目でこちらを睨みつけており、開いた口からは涎が垂れている。

 血狂いの寄生熊パラサタイズド・クレイジーベアは攻撃性の高い魔獣であり、傷を負ったり仲間を失っても絶命するまで攻撃を止めないのだ。


「分かっています! 樹木人トレントに操られし哀れな獣たちよ。私が今その魂を解き放ち、安らかなる眠りに……!」

「そういうのいいですから、早く!」

「あぁ、いいところだったのに!」


 決め台詞を遮られ、思わず情けない声が出る。しかし気を取り直して手を前方にかざすと、脳内で魔法のイメージを描き始めた。


「えぇい! ≪雪の精霊の抱擁エムブレス・オブ・スネグールカ≫!」


 2匹の寄生熊を極低温の冷気が包み込み、毛皮や背中に生えた木がみるみる凍結していく。冷気ダメージを与えると同時に対象の動きを阻害する高位の属性魔法だ。ダメージ量はそこまで大きくないものの行動阻害効果は絶大であり、冷気に耐性のないモンスターならば長時間その場に拘束することができる。


「さぁ、今です! アッキー殿!」

「は、はい!」


 アッキーは呼吸を整えると、前方で凍結している2匹の寄生熊に向けて手をかざした。


「≪黒曜石の槍スピア・オブ・オブシディアン≫!」


 詠唱と共に、2匹の寄生熊の足元から無数の鋭利な石柱が飛び出した。黒曜石のような輝きを持つそれらは、厚い毛皮をものともせず寄生熊の身体を刺し貫く。


「グオオオオォォ!!」


 全身を串刺しにされた寄生熊の悲鳴が周囲に響く。2匹はしばしの間苦しげに悶えていたが、やがて絶命したのかピタリと動きを止めた。

 森の中には静寂が戻り、風で木の葉が揺れる音だけが響いている。


「……か、勝った?」


 アッキーが放心したように呟く。


「えぇ、勝ったのです! アッキー殿のお手柄ですよ!」


 自分がそう言うと、気が抜けたようだった彼の顔に徐々に喜色が現れていく。


「や、やった! やりましたよ!」


 アッキーは満面の笑みを浮かべながらそう言った。それを見て前方にいる味噌サバも声を上げる。


「アッキーさん、流石です! 魔法職のセンスあるんじゃないですか?」

「ありがとうございます! でもお二人のお陰ですよ! 僕一人ではとても無理でした……」

「フゥハハハハハッ! 謙遜することはないですよアッキー殿! それでどうですか、レベルアップの方は……む?」


 そう言いかけたときだった。絶命した血狂いの寄生熊パラサタイズド・クレイジーベアの内の一体が動いたように見えたのだ。

 いや、熊自体が動いたのではない。よく見れば、熊の背中に生える樹木がまるで生物のようにその枝を蠢かせている。


「しまった! 危ない!」


 蠢いていた枝の一本が伸び、目にも留まらない速さでこちらに迫ってきた。


 「うおっ!」


 あの木の正体……。それは熊に寄生していた樹木人トレントの本体だ。血狂いの寄生熊パラサタイズド・クレイジーベアを倒した場合、極まれに生き残った樹木人トレントが宿主の身体から脱出してくることがあるのだ。そうそうお目に掛かれない現象だが、こんなところで遭遇するとは。


「むっ!」

「ひぃっ!」


 味噌サバが軽やかな動きで枝を回避し、アッキーもすんでのところで身をかわす。自分も枝を避けようと体を動かしたのだが……


「ぬうっ!?」


 回避が間に合わず、自身の胴体に枝が絡み付いた。

 外見こそ若いが、へーロスはあくまでも老年の魔術師。ただでさえ低い魔術師の身体能力が老年のペナルティでさらに低下しているので、Lv100でありながら運動能力は最低クラスなのだ。


「ぐおおっ!?」


 巻き付いた枝に凄まじい力で締め上げられ、身体からみしりと骨のきしむような音が聞こえた。

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