第11話 治癒
「そうだ! 魔法が使えるのだから、翻訳魔法を使えば良いではないか!」
妙案が閃き、思わず両手を打ち合わせた。
翻訳魔法。それは、YLSにおいて異種族のNPCなどと意思疎通を図るために使用される魔法だ。
YLSでは基本的に人間しか操作できないのだが、プレイヤーがゴブリンやオーガなどの他種族NPCや一部の人間NPCと会話する際には、翻訳アイテムや翻訳魔法を用いなければならない。会話で敵を説得して戦闘を中断させる……という機能までは実装されていないが、敵対的でない他種族NPCと会話すると、物品の売買ができたりその種族特有のクエストを受けられるといったメリットがある。
ちなみに、翻訳魔法が有効なのは言語を持つ種族に対してだけであり、例えば知能の低い魔獣などに使っても効果はない。
とにかく、攻撃魔法が使えたのなら翻訳魔法も使えるはずだ。試してみて損はないだろう。
「よし、そうと決まれば。≪
いくつか存在する翻訳魔法のうち最高位のものを詠唱すると、自分の身体を一瞬白い光が包み込む。しかし、身体や心に特に変化は感じられない。
「失敗か?」
だが実際に話しかけてみないことには判断がつかない。地面を這うソフィアに目を向けると、その背中に向かって声をかけた。
「ソフィア」
「……ひっ!?」
彼女は小さな悲鳴を上げながらこちらを振り向く。その顔には強い恐怖が浮かんでいた。
「私の……いや、俺の言葉が分かる?」
危機が去った今、もうへーロスを演じる必要もないだろう。
ソフィアは相変わらず怯えたようにこちらを見ているが、膝をついて目線を彼女の高さに合わせ、できる限り優しく話しかける。
「危害は加えないから落ち着いて答えてほしい。俺の話している言葉、理解できるかな?」
「……は、はい。分かり……ます」
成功だ。蚊の鳴くような小さな声だったが、彼女は確かに意味のある言葉を発している。
「良かった! ようやく言葉が通じた」
初めて会話が成立したことに感動し、心の中でガッツポーズをとった。
「……あ、あの。あなたは……一体……?」
ソフィアが怪訝そうな声で問いかける。言葉が通じたお陰か、その顔に浮かぶ怯えの色は幾分か薄くなったように見えた。だが未だに表情は硬く、全身からこちらに対する警戒感が滲み出ているようだ。
「ああ。さっきも言ったけど、俺はヒロっていうんだ。魔術師……つまり魔法使いだよ」
厳密に言えば魔術師なのはへーロスであってヒロではないのだが、それを語って無理に会話をややこしくする必要も無いだろう。
「魔法……使い? 人間の……?」
ソフィアは呆けたような声でそう呟いた。先程の驚きようといい、やはりこの辺りでは人間の魔術師は少ないのだろうか。
(まだ分からないことが多すぎる。もっと情報を集めないと)
そう思いソフィアに向けて口を開いた。
「さっきも言った通り君には何もするつもりはない。ただいくつか聞きたいことがあるだけなんだ。質問しても大丈夫?」
「はい。大丈夫……です……」
相変わらず不安そうな声ではあるが、それでも彼女の顔に浮かぶ警戒の色は若干薄まったように思える。多少は打ち解けてきたということだろう。
「まずは、そうだな。ここが何処なのか教えてほしいんだけど」
「……え? ここは、オーリア市の近く……です」
オーリア市。聞いたことのない地名だ。そもそも都市名だけで場所を特定するのは難しいだろう。先に国名を聞かなければ。
「なんていう国なの?」
「……オーリア帝国です。ご存じ……ありませんか?」
ソフィアは怪訝そうな顔をしながらそう言った。だがオーリア帝国などという国名は現実でもYLSでも聞いたことが無い。
「じゃあ、うーん。さっきみたいなオークはこの辺によく現れるの?」
「……は、はい。ここは前線から近いので……見かけることは多い……です」
前線と言う聞きなれない言葉が引っかかるが、どうやらオークと言う存在は一般的に知られているようだ。ならばもう疑う余地は無いだろう。
(今俺がいるのは、完全に異世界だ)
改めてそう実感する。
地球とは違う、YLSの法則が通用するどこか別の世界。だが、ゲームのようなインターフェイスは存在せず、オーリア帝国と言う聞きなれない国家も存在している。YLSの中そのままというわけでもないのだろう。
(分からない、何がどうなってるんだ……)
頭を抱えたくなる衝動に駆られながらソフィアに目をやる。彼女は未だ不安そうな目でこちらを見ており、手で右足をさすっていた。
(そうだ。元はと言えば、俺はソフィアを助けようとしていたんだった)
彼女が何者なのか、自分はまだ何も分かっていない。
「じゃあ、次にソフィアのことを聞かせてほしい。その脚はどうしたの?」
「これは……作物の運搬中に……木箱に潰されてしまって……」
ソフィアはそう言いながら右膝をさする。先程までは服の裾に隠れていたが、よく見れば確かに膝の辺りが赤く腫れあがっていた。腫れ方からしてただの打撲には見えない。恐らく骨折か何かではないだろうか。
「結構な怪我だな……。でも、作物ってことはソフィアの家族は農家なの?」
その瞬間、ソフィアが唇をきつく結んで目を伏せる。その顔には切なげな表情が浮かんでいた。
「私は……この近くの農場の奴隷です……。両親は……二人とも死にました」
「え? ど、奴隷?」
奴隷、農場。聞きなれない言葉に頭が混乱する。だが、やせ細った身体にボロボロの衣服……。言い方は悪いが、確かに奴隷らしい身なりをしている。
「歩けなくなって……ご主人様に処分されるところでしたが……そこにオークが攻めてきたので……」
「なるほど、そういうことか」
先程見た戦場の光景を思い出した。これまでの情報を合わせると、ここは人間とオークの戦争の前線近くであり、今まさにオークが攻撃を仕掛けてきている最中……といったところだろうか。
「色々教えてくれてありがとう。助かったよ」
そう言いながらソフィアに微笑みかける。しかし表情とは裏腹に、胸中には不安と混乱が渦巻いていた。
(大体の状況は理解できた。でも、これから一体どうすればいいんだ?)
そう頭を悩ませていると、ソフィアの右脚の怪我に目が行った。
(そうだ。これからどうするにせよ、ソフィアを置いていくわけにはいかない。ならまずすべきなのは……)
そう考えてソフィアに向けて口を開く。
「あのさ、お礼と言ってはなんだけど……。その脚の怪我、もしかしたら治せるかもしれない」
「え?」
ソフィアが呆けたような顔でこちらを見つめた。
自分が習得している魔法の中には回復魔法も含まれている。先程攻撃魔法や翻訳魔法が使えたのだから、回復魔法も問題なく使用できるはずだ。だが……
(YLSの回復魔法って滅茶苦茶面倒くさいんだよな)
YLSの回復魔法は他のゲームのものとは少々仕組みが異なっている。対象の体力や状態異常を回復すると同時に、回復量に応じてその対象の身体能力を低下させてしまうのだ。
(確か、詠唱者の魔力によって対象の自然治癒力を増大させ、それによって傷を治す……っていう設定だったっけ)
その設定によれば、傷を治すのはあくまでも対象自身の治癒力であり、大きな傷を治すと大量の生命力を消費して身体能力が下がってしまう……ということらしい。
この面倒な仕様はYLSプレイヤーの間でも賛否両論で、「回復魔法が連発できないので戦闘にスリルがあっていい」という人もいれば「単に煩わしいだけではないか」という人もいる。ちなみに自分は後者だ。
(確かYLSの元になった小説の設定に沿った仕様なんだっけ? ……まあいいや)
とにかく、ここでソフィアに回復魔法を使えば彼女の生命力を消費することになる。
YLSでは一時的に身体能力が低下するだけで済んだが、ここでも同じとは限らない。下手をすれば、生命力を消費して一気に衰弱する可能性もあるのではないだろうか。特に、骨折を一瞬で完治させるような回復魔法を使った場合には。
(どうする? ……そうだ、試しに俺の足の怪我で実験してみるか)
先程木の枝が刺さった左足のことを思い出す。手を左足にかざすと、回復魔法のイメージを脳内で描き始めた。
「≪
足裏の傷口周辺が僅かに光を放ち、暖かな感触が広がっていく。それに伴い少しづつ傷の痛みが無くなっていくのが感じられた。
「おお……!」
布をほどいて足裏を確認すると、そこにあった傷はきれいさっぱりと消えていた。それを見たソフィアが驚きの声を上げる。
「……ど、どうやって……?」
彼女の声からは驚愕と共に僅かな恐怖が読み取れた。心霊現象など理解できない事象を見たときに感じるような、そんな恐怖だろうか。
「傷を治す魔法を使ったんだ。これを使えばソフィアの足も……うっ!?」
驚きから思わず声を上げてしまう。
突然めまいを感じ、身体が僅かにふらついたのだ。
「おっとっと……ふぅ」
脚を踏ん張るとふらつきは消えたが、それでも身体に若干のだるさが残っていた。
(こ、これが回復魔法のペナルティなのか?)
感じるだるさはそこまでではない。走ったり歩いたりする分には何も支障は無いだろう。だが、骨折を一瞬で完治させればこの程度で済むのだろうか。ただでさえソフィアはガリガリに痩せているのだ。治癒に伴う生命力の消費に耐えられるのか。
(低位の回復魔法を何度も使って少しづつ治していくか? でも……)
そうなればしばらくこの森の中に留まらなければならない。食料も寝床もない状態でそれは正しい選択なのだろうか。
「……どうしようかな」
思わずそう呟いてしまう。幸い言葉は通じるようなので、まずは辺りの情報を集めるべきか。怪我を治せない以上ソフィアは担いで行くしかないだろう。
……そのように考えているときだった
「い、いました! ロベルト将軍、奴です!」
突然後方から声が響く。驚いてそちらを振り向くと、そこには先程自分から逃げて行った若い兵士の姿があった。
「なっ……!」
しかしそこにいたのは彼だけではない。彼の背後に、剣と盾で武装した10名程度の兵士たちが立っているのだ。
彼らは全員が薄い板金を繋ぎ合わせたような鎧を纏っており、半身を覆えるほどの長方形の盾と刃渡り50cm程の短い剣を構えていた。鎧の下には膝丈の赤いチュニックを着ており、編み上げたサンダルのような履物を除いて膝から下には何も身に着けていない。
「これは一体……?」
そう口にしたのは、他の兵士に比べ立派な鎧を纏った男だった。彼は辺り一面の倒木を見渡すと、訝しげに口を開く。
「奴がこれを?」
その男の目は、真っすぐとこちらを見据えていた。
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