第10話 ロールプレイ
森の中で、ヒロはオークの一団と対峙していた。
(い、一体どうすれば……?)
眼前には多数のオーク。確認できるだけでも10体以上はいるだろう。そして、彼らの中央に立つのは赤い牙を持つ大柄な個体。
対して、自分の後ろには足の不自由なソフィアと、戦意を喪失してうずくまる兵士。
絶体絶命。この状況を表すのに、それ以上相応しい言葉があるだろうか。
しかし、それ以上に自分の思考を混乱させるものがあった。
(さっきの魔法にオーク……。本当に『YLS』の世界そのものだ。でもどうして?)
まさか『YLS』の世界に迷い込んでしまったとでも言うのだろうか。
『YLS』は脳波技術と神経技術を利用したフルダイブ型のVRゲームであり、まるで自分が本当にゲームの世界に入り込んだような体験をすることができる。……だが、ここでは仮想空間上とは違い、痛覚もあれば走った後の身体の疲労も存在する。ゲームの中だとはどうしても思えない。
(それにソフィアだって……)
彼女を抱え上げたときに感じた体温と身体の震え。仮想空間上であんなものを再現するのは不可能だ。瞳や表情の変化も現実の人間と相違ないレベルであり、到底『YLS』で表現しきれるものではない。
そう考えながら後方を見ると、震えるソフィアと目が合った。彼女は細い身体を恐怖に震わせ、こちらをじっと見つめている。
見れば、兵士もうずくまりながら怯えた視線を自分に送っていた。彼の顔立ちは非常に若く、まだ二十歳手前といったところだろう。歯をガチガチと鳴らしながら、すがるような顔でこちらを見つめていた。
(……そうだ。ここが何処かなんてどうだっていい。ここには俺を必要としてくれる人がいる)
それさえあれば何もいらない。
心の中でそう唱えて前を向いた。
しかしオーク達は徐々にこちらへと近づいており、その瞳からは明かな敵意と殺意が感じられた。体が震え、心臓の鼓動が早くなるのが分かる。
(どうする? どうすれば……?)
敵が迫ってくる恐怖。
確か『YLS』を始めたばかりの頃もこうしてよく敵に怯えていた。仮想空間上とはいえ、魔獣や亜人が敵意を持って迫ってくるのは恐ろしいものだ。
(そうだよ、『YLS』を思い出せ。あんなオークなんて目じゃないくらいのモンスターと毎日戦ってたろ!)
そう考えはするが体の震えは収まらない。自分が強大なモンスターに立ち向かうことができたのは、慣れも当然あるが、それ以上にへーロスのお陰なのだ。
へーロス。大胆不敵な最強の魔術師にして、自分の理想の姿。そんな彼を演じる間は不思議と勇気が湧いてきて、どんな敵だって怖くなかった。自分が強い存在になれたような気がして、胸を張って堂々と歩くことができた。落ちこぼれのヒロではなくへーロスをロールプレイすることで、自分は恐怖に打ち勝ってきたのだ。
(俺じゃこの状況を打破できない。でも、へーロスなら……)
逃げるにしても何にしても、まずは恐怖で固まりきったこの身体をどうにかしなければならない。もちろんここでへーロスを演じたからと言って魔法が使えるわけでも身体能力が上がるわけでもないだろう。だが……
(それでも心は……心だけは奮い立たせることができる)
今の自分にはそれで十分だ。そう考えると、地面に座るソフィアに向け笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、ソフィア。絶対に助けるから」
震える彼女にそう言うと、ヒロを殺して脳内をへーロスに切り替える。自信満々で大胆不敵な最強の魔術師。困っている人や仲間を決して見捨てない英雄。いつもYLSでそうしていたように、鼻から思い切り息を吸い込み……
「フゥーハハハハハハッ!!」
高らかな笑い声が森の中に響き渡り、ソフィアと兵士がビクンと肩を震わせた。こちらの豹変ぶりに戸惑っているのか呆気に捕らわれたような顔をしている。見れば、オーク達も警戒からか足を止めていた。
「我が名はへーロス! 最強の魔術師にして、数多の魔法を修めし〈マジック・エウクレイダー〉! この私の名にかけて、ソフィアには指一本触れさせないぞ!」
そう叫びながら、手を前にかざして魔法を詠唱するような姿勢をとった。身体の震えが収まり、同時に心に力がみなぎってくるのが分かる。
……そして、自分の身体の違和感の正体に気が付いたのはその時だった。森で目覚めた直後から感じていた、肌がざわつくような奇妙な感覚のことだ。
(ん? この感じはまさか……)
間違いない。自分がYLSの中でいつも感じていた感覚。そう、これは……
「魔力が流れる感覚……!?」
先程までは服の生地が肌にこすれているだけかと思っていた。
だが、こうして心を落ち着けて魔法詠唱の姿勢を取ると良く分かる。……いや、心のどこかで気づきながらも、そんなはずはないと思考に蓋をしていたのかもしれない。細部は若干異なるものの、これは間違いなくYLSにおける魔力が流れる感覚だ。
『YLS』と酷似した世界。魔力の流れる感覚。そしてへーロスの肉体。それらから導き出される結論は……
「まさか、使えるのか……?」
信じられない気持ちで自分の両手を見つめる。
「フシュウゥゥ!」
オークの鼻息が聞こえ思考が引き戻される。彼らの息は荒く、今にも踏み込んで来そうな勢いだ。即座に攻撃してこないのは、こちらの豹変ぶりに驚いているからだろうか。
(試してみるしかない)
正攻法でこの状況を打開するのは不可能。ならば魔法に賭けるしかない。試さずに死ぬという選択肢は眼中になかった。
(今の俺はヒロじゃない。……へーロスだ!)
そう考えると身体の震えが収まり、同時に心に力がみなぎってくるのが分かる。
「人々の安寧を脅かすオーク共よ! この私と敵対したからには、消し炭になる覚悟はできているのだろうな!?」
オークの一団を指さしながらそう叫ぶ。すると彼らは侮辱されたとでも感じたのだろうか、鼻息を荒くしながら一斉にこちらに向かって突進してきた。
「ッ!」
巨体が迫ってくる圧倒的な迫力。
……だが、へーロスはこんなものでは怯えはしない。
(オークの強さやレベルは不明。いや、そもそもこの世界にレベルという概念があるかすら分からない。探知魔法で能力値を調べる時間もない。なら……)
思考を高速で巡らせ、自身の習得する300種以上の魔法から状況に最も適したものを選び出す。そして、自分の後方にいる兵士とソフィアの元へ駆け寄った。
「二人とも! 死にたくなければ私から離れるな!」
二人は混乱したような顔でこちらを見た。だが構っている暇はない。
(行くぞ、心を落ち着けろ……)
意識を集中させ、身体に流れる魔力と周囲に満ちる魔力を感じ取る。そして、それを右手の先に集めるようなイメージを描いた。
(……つ!?)
右手の肌がざわつき、全身にビリビリとした電流のようなものが走る。YLSの魔法詠唱と全く同じ感覚だ。
(行ける、行けるぞ!)
手の平を地面へと向け、集めた魔力を太く重い戦槌のように撃ち出す。
「≪
魔法の名を唱えた瞬間、自身を中心として破滅的な破壊力を持った衝撃波が発生し、木々を薙ぎ倒しながら周囲に円形に広がっていく。衝撃波に当たったオークの首や手足がちぎれ飛び、その身体が文字通りバラバラとなって遥か遠くへと吹き飛んでいくのが見えた。
「あれ、弱い……? うおぉっ!」
衝撃波は森を吹き飛ばしながらさらに広がっていく。土煙がもうもうと湧き上がり、飛び散った大量の木の破片と共に視界を遮った。
「げほっ、ごほっ!」
思わずせき込んでしまう。だが、少しすると土煙が晴れて段々と視界がはっきりとしてきた。
「こ、これは……」
目の前に広がる光景を見て息を呑む。
周囲に広がっていた木々は根こそぎへし折れており、地面を覆っていた草や藪も残らず消し飛んでいた。周りには暗く鬱蒼とした森の面影は一切なく、平坦な地形が広がり折れた木々が散乱しているだけだった。遮るものが無くなった頭上には青空が広がり、太陽の暖かな日差しが降り注いでいる。
「どういうことだ? 『YLS』とは違う……」
森を吹き飛ばした爽快感よりも先に、困惑と疑問が湧いてきた。YLSではここまでリアルな地形破壊表現は実装されていない。加えて、過度にグロテスクな描写も規制されているため、先程のオークのように手足がちぎれるといったこともない。
「ゲームではない。やはり現実……なのか?」
戸惑っていると、遠くで中に何か動くものが目に入った。
「なっ!?」
見れば、それは先程の赤い牙のオークだった。遥か遠くに吹き飛ばされ、身体には木々の破片が突き刺さっているようだが、それでも両腕をついて起き上がろうとしている。
「くっ! だが、それでこそ戦い甲斐があるというもの!」
他のオークは肉片となって周囲に散らばっており、原型を留めているのはあの個体だけ。恐らく奴はオークの中でも強者なのだろう。
「二発目を欲しがるとは貪欲な奴め……! よかろう、とっておきをくれてやる!」
〈
……そう考え、前方に向けて手をかざしたときだった。
「ブ、ブヒィ……ィ……」
赤い牙のオークが口から大量の血を吐き出し、そのまま倒れ込んだのだ。
「え……?」
赤牙のオークは倒れたままピクリとも動かない。よく見れば耳や鼻、目からも流血しており、完全に息絶えているようだった。
「う、うぅむ。勝ったのか?」
恐らく形を保っているのは外見だけで、身体の内部は衝撃波によってグチャグチャになっているのだろう。だが、まさか一撃で決着がついてしまうとは。何とも拍子抜けだ。
「うーむ……」
戸惑いながらも、ソフィアの様子を確認しようと後ろを振り返った。
すると……
「え?」
そこには、肩を震わせて恐怖に目を見開くソフィアと兵士の姿があった。二人とも腰を抜かしており、怯えた瞳でこちらを見つめている。
「あ、ああ。すまない。少し驚かせてしまったようだな。心配ない。さぁ、こっちへ……」
「ひぃっ!」
ソフィアに手を差し伸べようとするが、彼女は悲鳴を上げながら後ずさる。その顔は血の気が引いたように青ざめていた。ならばと思い兵士の方に目を向けると、彼は大慌てで立ち上がり、こちらに背を向けて全力で走り始める。
「お、おい! ちょっと!」
制止しようと声を上げるが、彼は既に遠くまで逃げてしまっていた。残されたソフィアはというと、必死に地面を這って自分から少しでも遠ざかろうとしている。
(い、いくら何でも怯えすぎじゃないか……? 単に魔法の威力に驚いているだけ? それともなにか別の理由が?)
まさか魔法を見たことがないのだろうか。オークが存在する世界なのだから、魔術師くらいそこら辺にいそうな気がするのだが……。
そう考えながらソフィアに近づこうとすると、再び悲鳴を上げられてしまう。
(これではどうしようもない。一体どうしたら……。ん?)
そのとき突如として妙案が浮かび、思わず両手を打ち合わせた。
「そうだ! 魔法が使えるのだから、翻訳魔法を使えば良いではないか!」
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