第9話 本陣
オークと人間が死闘を繰り広げる戦場。
そのすぐ後方にある川沿いの岩場には、オーリア軍の本陣が設置されていた。
陣の中央に設営された巨大な天幕の中では、多数の将兵が慌ただしく動き回っている。
「報告! オークの攻撃により左翼前方に壊滅的打撃!」
天幕内に伝令の声が響き、それを聞いた将兵たちの表情がこわばる。
「ロベルト将軍、このままでは左翼は総崩れです! 如何いたしますか……?」
伝令の兵士は天幕の中央に座る男に向けて声を張り上げた。
「ふむ……」
ロベルト将軍と呼ばれたその男は、顎に手をやって思案するような顔を見せる。
彼は他の兵士より立派な鎧を身に着けており、年齢は40歳前後といったところだろうか。顔には深いシワと共に幾筋もの傷跡が刻まれており、歴戦の強者の風格を漂わせていた。
そんなロベルトは、落ち着いた様子で口を開く。
「後方の予備隊を左翼に回す。急ぎ命令を伝達せよ」
「ハッ!」
伝令の兵士は了解の声を上げて天幕から走り去っていった。
「くっ、よもやオーク共に後れを取るとは……!」
ロベルトの近くに立つ指揮官の一人が恨めしげな顔で吐き捨てる。
しかしそのとき、先程の伝令兵と入れ替わるようにして新たな兵士が天幕に入ってきた。彼の顔は恐怖に染まり、唇はわなわなと震えている。
「も、申し上げます! ナナウ川の橋付近に『赤牙』が出現!」
「何だと!?」
『赤牙』という単語を耳にした瞬間、天幕の中にざわめきが走る。しかし、ロベルトは冷静な口調で伝令兵に問いかけた。
「その情報は確かなのか?」
「ハッ! そのオークは赤く塗られた巨大な牙を持ち、雷の魔法も行使していたとのこと。恐らく間違いはないかと……!」
それを聞いた指揮官たちの顔に絶望の色が浮かんだ。
「『赤牙』め。よりによって橋を狙ってくるとは……!」
「奴を野放しにすれば戦線は崩壊するぞ! 一刻も早く手を打たねば!」
「だが、相手は強力な魔術師だぞ! 一体どう対処するというのだ!?」
そんな中、顔面を蒼白にした指揮官の1人が声を上げる。
「も、もはやこれまでだ! これは撤退もやむを得ないのでは……?」
「撤退だと!? 貴様、この敗北主義者が!」
「状況を冷静に見て撤退すべきだと言っているのだ! それを敗北主義などと……! 撤退せぬというなら、お前が何か策を考えろ!」
「何だと貴様!?」
指揮官たちが口々に騒ぎ立てる中、ロベルトはそれを制するように剣の鞘の先端で地面を強く叩く。天幕内に硬質な音が響き、彼らは一斉に沈黙した。
「騒々しい。兵を指揮する身でありながら取り乱すとは何事か。次に情けなくわめいた者は、私が首をはねるぞ」
ロベルトの殺気のこもった眼に睨まれ、指揮官たちが身を縮める。彼らの額には冷や汗が伝っていた。
「し、しかしロベルト将軍。これからどうなさるおつもりなのですか?」
その問いかけに対し、ロベルトは考える間もなく即答した。
「『赤牙』を討ち取る」
「なっ!」
指揮官たちが驚愕に目を見開く。
「これは千載一遇の好機だ。『赤牙』が討ち取られたとなれば、敵は必ずや浮足立つだろう。その隙に態勢を立て直し、攻勢に転ずるのだ。そうなれば勝機も見える」
「し、しかし『赤牙』は強敵です! 一体どのように……」
訝しげな表情を浮かべる指揮官たちに対して、ロベルトは力強く言い放った。
「私が出る」
それを聞き、指揮官たちは揃って制止の言葉を口にした。
「き、危険すぎます! 将軍、どうかお考え直しを!」
「……私の決定に異を挟むつもりか?」
ロベルトに睨まれ、指揮官たちが一斉に押し黙る。
「どうせ代案などないのだろう? それに、私以外に奴の相手は務まるまい」
そう言うと、ロベルトは剣を手に椅子から立ち上がる。それを見て先程の伝令兵が口を開いた。
「将軍! 『赤牙』と接敵した橋の防衛部隊ですが、既に大損害を被っております。退却の許可を求めておりますが……如何なさいますか?」
ロベルトは冷酷な口調で即答する。
「ならん。撤退は禁ずる」
「……は?」
伝令兵は呆気にとらわれたような顔を見せるが、すぐ我に返って必死の形相で訴えかけた。
「し、しかし、防衛部隊の大半は新兵です! 彼らに死ねとおっしゃるのですか!?」
「そうだ。最後の一兵に至るまで橋を死守し、武人としての責務を全うせよ」
ロベルトの口調は氷のように冷たかった。
「伝令の分際で指揮に口を挟むことは許さん。……行け」
「……はっ! りょ、了解!」
ロベルトに睨まれた伝令兵は、怯えるようにしながら天幕を飛び出していった。それを見届けると、ロベルトが声を張り上げる。
「私はこれより『赤牙』討伐に向かう。後の指揮は任せた。急ぎ馬の準備を」
そう言うと、ロベルトは天幕の端に立っている一人の兵士に目を向けた。
「キーン、貴様の隊も同行しろ」
「あいよ、旦那! お供するぜェ!」
返事をしたのは荒々しい顔立ちをした青年だ。周囲の兵士と比べて若く見えるが、屈強な体つきをしており、口の端には獰猛な笑みを浮かべている。
「ロ、ロベルト将軍! 僕も戦わせてください! 同行の許可を!」
そう申し出たのは金髪の美少年だった。整った顔立ちとほっそりとした身体、そして柔らかな肌が合わさり、どこか中性的な印象を受けるようだ。
だが、ロベルトはそんな彼の申請を即座に却下した。
「アマビエ、お前はここで指揮官の補佐だ」
「しかし……!」
「時間が惜しい。駄々をこねるなら後にしろ」
アマビエと呼ばれた青年は必死に食い下がるが、ロベルトは彼には見向きもせずに天幕の外へと向かう。天幕から出ると、強い日差しが彼の頭上から照り付けた。
「『赤牙』。かならずやこの私が……」
ロベルトはそう言いながら前方を鋭く睨みつける。
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