第8話 赤い牙のオーク

 川面に映っていたのは、『金剛寺ヒロ』ではなく『へーロス』だった。


「う、うわああああぁ!?」


 驚きのあまり絶叫し、尻もちをついて後ずさる。


「な、何だこれ? 一体どうなってる!?」


 川へ駆け寄って再度水を覗き込むが、そこには映っているのはやはりへーロスの顔。間違いない。なにせ自分でキャラクリエイトして作り出した顔なのだ。


 状況が呑み込めない。

 俺は夢でも見ているのだろうか。


 だが、困惑する一方で、心の隅では「やはり」という感情も湧いてくる。


 思えば森の中で目覚めたときからおかしかったのだ。

 何故か身体が重く、全身に上手く力が入らない。走るとすぐに息切れし、走った後もなかなか呼吸が整わない。まるでこれが自分の身体ではないような……そんな違和感をずっと感じていた。


 しかし、これがへーロスの肉体だとすれば説明がつく。へーロスは老年の魔術師であり、Lv100ではあるが膨大な魔力と引き換えに身体能力は最低クラスだったのだ。


 だが、一体何故こんなことに?

 ヒロが死んでへーロスに生まれ変わったとでもいうのか?

 そんな馬鹿な。

 そもそも、この世界は一体何なのだ……?


 次々と疑問が浮かび思考が混乱する。だがそんな中、視界の端にこちらを怯えたように見つめるソフィアが見えた。


「あ、ああ。ごめん、いきなり叫んだりして」


 そう口にしながら心を落ち着ける。とにかく、状況を整理してこれからどうするかを考えなければ……。


「ん?」


 そう思った瞬間、すぐ近くから音が聞こえてきた。人や動物が茂みをかき分けるような音だ。そして、その音はこちらに向かって近づいてきている。


(ま、まさかさっきのオークか!?)


 心臓がビクンと飛び跳ねる。

 今すぐ逃げなければ。

 そう考え、ソフィアの元に駆け寄って彼女を抱きかかえようとする。

 だが……


「むぐ……!?」


 ソフィアを持ち上げようとした瞬間、腰のあたりに鈍痛が響く。骨や筋肉がきしむような、今までに経験したことのない種類の痛みだった。


(何だこれ? まさか、肉体がへーロスになったことと関係が……?)


 へーロスは外見こそ若々しいものの、中身はあくまでも老人。つまりそれが意味するのは……。

 思い返せば、街道でソフィアを抱え上げたときも若干だが腰に痛みを感じたのだ。混乱と痛みから身体が固まるが、そうしている間にも音はこちらへと迫ってきていた。


「くそっ! ……うおおおお!」


 何とかソフィアを抱え上げようとするが、腰の痛みが邪魔をしてなかなか思うようにいかない。そんなとき、前方の藪から2つの影が飛び出してきた。


「えっ!?」


 思わず目を見開く。藪から出てきたのはオークではなく人間。それも、鎧を纏い手に剣を持った兵士だったのだ。


「なんだ、人間か。……ん?」


 安堵から息を吐こうとするが、すぐに異変に気が付いた。兵士たちの顔は恐怖に染まっており、まるで何かから逃げるかの如く必死に走っているのだ。息は既に乱れきっており、荒い呼吸がここまで聞こえてくる。


 ……瞬間、兵士たちの後方に雷のような閃光が走った。

 

「うぎゃあああああぁ!」


 兵士の一人が青白い光に包まれ、断末魔の絶叫が響き渡る。彼は激しく痙攣しながら地面に倒れ込み、奇妙な姿勢のまま動かなくなってしまった。肉の焦げたような臭いが周囲に漂う。


「ひぃっ!」


 もう一人の兵士が泣きそうな顔をしながらこちらへ走り寄ってくる。そして、その背後の藪から巨大な影が姿を見せた。


「なっ!?」


 現れたのは一体のオーク。

 しかし、先程見た二体のオークとは全く様子が異なっている。体格は一回り巨大であり、全身には奇妙な紋様のようなものが描かれているのだ。そして、口の両端から生える立派な牙は赤く染められていた。血の色とは違う……何か染料のようなものが塗られているようだ。


(さっきの光はこいつが? でも……)


 先程の雷のような光。

 自分はあれを知っている。見間違えるはずもない。あれは『YLS』において〈雷光ライトニング〉と呼ばれていた低位の攻撃魔法だ。


 魔法の存在に目の前のオーク。ここまでくれば嫌でも分かった。今自分がいるのは、元の世界とは別のどこか……。それも『YLS』と酷似した世界のようだ。


「って、おい! なんでこっちに来るんだよ!?」


 走ってきた兵士は自分の背後に滑り込むようにして隠れると、両手で頭を抱えながら地面にうずくまる。持っていた剣は近くに転がっており、完全に戦意を喪失しているようだ。


「ひっ!」


 赤い牙のオークの目線がこちらへと動く。

 恐怖から全身の血の気が引き、後ろでソフィアも小さく悲鳴を上げた。身体が固まってしまって動けない。一体どうすればいいのか。


 しかし、そう考えている間にも状況はさらに悪化した。


「っ!」


 赤い牙のオークの後方から、さらに複数体のオークが現れたのだ。彼らは血で濡れた槍やメイスを手に握っており、鼻息を荒くしながらこちらを睨んでいる。


 絶体絶命。この状況を表すのに、それ以上相応しい言葉があるだろうか。

 

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