第7話 ソフィア

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 俺は恐怖を押し殺しながらオークの前に躍り出ると、少女を守るように立ち塞がった。


(さぁ、一か八かだ!)


「フシュウウゥ……!」


 自分とオークとの距離はあと数メートルほどであり、荒い鼻息がすぐ間近に聞こえる。だが、彼らは何故か踏み込んで来ない。突如飛び出してきた自分を警戒しているのか、あるいはこちらが震えるのを見て嘲笑しているのか。


 「ふぅ……ふぅ……!」


 決意を決めて飛び出してきたつもりだった。だが、いざ相対するとオークの巨体に圧倒されて動けなくなってしまう。呼吸が乱れ、心臓も早鐘のように激しく脈打っていた。


 だが……


 首だけで後ろを見ると、少女は恐怖に肩を震わせながらこちらをじっと見つめていた。そうだ、今の俺の後ろには守るべき人がいるのだ。そう思うと僅かに体の震えが収まった。


 オーク達が一歩踏み出し、お互いの距離が狭まる。奴らとしては自分など早く片付けて他の人々を追いたいのだろう。


 だが、こちらも黙ってやられるつもりはない。


 『YLS』においてオークは非常に鋭敏な嗅覚を持つ生物だ。

 そうでなくとも、彼らの顔に付いている巨大な鼻と豚のような外見を見れば大体想像できる。元来、豚というのは優れた嗅覚を持つ生き物なのだから。


 手元の袋に入っている黒い果実に目を落とした。


 人間である自分でさえ吐き気を催すレベルの悪臭なのだ。

 それを奴らの鼻っ面に直撃させれば一体どうなるだろう。


 二匹のオークは悠々とした歩調でこちらへと近づいてくる。

 その顔に浮かんでいるのは弱者への油断か、あるいは強者としての驕りか。自分には豚の表情など判別不可能だ。だが、彼らの歩き方からこちらに対する警戒は微塵も感じられない。


 油断は隙を生み、その隙に上手く付け込めば弱者でも勝者となり得るのだ。


 袋を体の後ろへ持って行くと、そこから果実を2つ取り出してそれぞれ両手に握る。明らかに怪しい動きのはずだが、オーク達は気にも留めないという風に相変わらず近付いてきている


 迫り来るオークを睨みつける。するとそれを不快にでも感じたのだろうか、オークの内の一体が槍を振り上げた。


(……今しかない!)


「うおりゃあああ!」


 両手に握っていた果実を2体のオークそれぞれの顔面に投げつける。勢いよく投じられた果実はオークの顔面に直撃し、べちゃりと潰れて果汁をまき散らした。


「……ブヒイイイイイイイィ!!!」


 一瞬の硬直の後、オークは顔を掻きむしりながら叫び声を響かせた。頭蓋骨が震え、腹の底まで振動が伝わる程の凄まじい音量だ。

 そんな中、俺は耳を塞ぎたくなる気持ちを抑えて少女の身体を抱え上げると、オークに背を向けて走り出す。

 

 オーク達はしばらくは動けないだろう。だがそれがいつまで続くかは分からない。今の内にできるだけ遠くへ逃げなければ。


「こっちは現役の陸上部員だ! 舐めるなよ!」


 そう叫びながら裸足で街道を駆ける。

 部の中で最下位とはいえ、自分は腐っても現役の陸上部員……それも長距離走者。周りに後れを取りながらも、毎日十数キロという距離を走り続けて体を鍛えてきた。


「追いつけるもんなら追いついてみろ!」

 

 先程人々を追っていた様子を見る限り、オークは人間と比べて特別足が早いという訳ではないようだ。殴り合いではとても勝てないだろう。だが持久走ならば……。そう踏んでの逃走だ。


 唯一心配だったのは少女の重さだが、それも問題ないだろう。遠目から見た通り彼女は非常に痩せており、心配になってしまうレベルで体が軽いのだ。慌てて持ち上げたせいか若干腰が痛むものの、小柄な体格も合わさって走りの邪魔にはならない。


(これなら逃げ切れる……!)


 だが、しばらく進んだところで後方から猛烈な鼻息が聞こえた。慌てて振り向けば、先程のオーク二体が凄まじい勢いでこちらを追いかけて来ているのが見える。自分との距離は20mといったところだろうか。


「チッ! もう復活したか!」


 思っていたより時間が稼げなかった。しかも、オーク達は徐々にだがこちらと距離を詰めてきている。このまま開けた場所で逃げ続けるのは得策ではない。奴らを撒く手段を考えなければ。


「ブヒィイイ! フガァアア!」


 オーク達が憤怒の声を響かせ、少女が腕の中で僅かに震えた。彼女の紫色の瞳には強い怯えの色が浮かんでおり、その手は自分の服の裾をぎゅっと掴んでいる。

 

 俺だって怖い。

 だが、この子は俺より幾分年下だろう。

 ここは自分がしっかりしなければ。


「大丈夫、俺が絶対に助けるから!」


 少女が僅かに困惑したような表情を浮かべる。顔立ちからして日本人ではないようだが、やはりこちらの言葉を理解できないのだろうか。


 ならばと思い、恐怖を噛み殺しながら精一杯の笑顔で笑いかける。恐怖から歯の根はガチガチと震え、正直笑顔を作れているかすら分からない。だがしばらく互いに目を合わせていると、こわばっていた彼女の肩から少しだけ力が抜けるのが分かった。


 その様子を見て地面を蹴る足にさらに力がこもる。オークを撒くため、自分は街道横に広がる森林の中へと踏み込んだ。


 恐らくオーク達の鼻はしばらく役に立たない。森の中なら簡単に姿がくらませのではないか。そう考えての決断だったのだが、実際自分たちを見失っているのか、後ろで聞こえるオークの鼻息が少しづつ遠くなっていく。


(行ける、逃げられるぞ!)


 だが、同時に自分の身体の違和感に気が付く。


(な、なんだ? やけに早く息が切れるな……)


 さほどの距離を走ったわけでもないのに、もう心肺に苦しさを感じるのだ。


 俺は腐っても長距離走者。自分がどの程度のペースでどれだけの時間走れるかは把握している。だからこそ分かるのだ。いくら少女を抱えているからと言って、これほど早く息が切れるのはおかしい。

 目覚めた直後に感じた違和感といい、身体中がざわつくような奇妙な感覚といい、まるでこれが自分の身体でないかのような違和感を感じる。


「ぜぇ、はぁ、はぁっ!」


 とはいえ、まだまだ走れなくなるほどの辛さではない。オークたちに捕まれば一巻の終わりなのだ。そう思って必死に脚を進める。





 ……どれくらいの距離を進んだだろうか。街道から離れたせいで森はすっかり深まり、周囲には木や背の高い草が鬱蒼と生い茂っている。追ってくるオークの気配はもはや完全に無くなっていた。


「はぁ、はぁっ、ここまでくれば大丈夫か?」


 そんなことを言いながら足を止める。荒い息を整えながら周囲を見渡すと、近くから川の流れるような音が聞こえてきた。


 水の音を聞いた瞬間に喉の渇きを感じる。オーク達も撒いたことだし、少しくらい休憩してもいいだろう。そう考えると、少女を抱えたまま水の音の方へと歩いていった。


 少し進むと、すぐに木々の間を流れる小さな川を見つけた。


「……はぁ、はぁっ。よっこらしょっと」


 少女を川の近くの地面に降ろすと、自分もその隣に座り込む。水分補給もしたいが先ずは呼吸を整えたい。


「ふぅ」


 逃げ切った安堵から全身の力が抜け、ほっと息を吐いた。


 見れば、隣にいる少女も安堵したように息を吐いている。しかしそれも束の間、彼女はこちらに対し身構えると、怯えと警戒を含んだ目線を自分に送ってきた。


(こっちを警戒してるのか? ……まぁ無理もない。言葉も通じない相手に突然助けられたんだ)


 先程見た人々もそうだが、彼女は顔立ちからして西洋人のようだった。少なくとも日本語が通じるとは思えない。英語ならば……とも思ったが、自分の英語の成績はかなり悲惨なのだ。会話ができる自信は皆無である。


「……」


 改めて少女の方を見つめた。

 その身体はガリガリに痩せており、着ている服もまるでボロ布のようだ。彼女はこちらを怯えたような目で見つめており、顔には強い不安の色が現れている。


(……このままじゃ可哀そうだな。何とか安心させてあげないと)


 疲労感から全身が重く、すぐには動けそうにない。ここが何処なのかもわからない。ならば、まずは彼女の警戒を解くことから始めよう。


 そう考えると、できる限りの優しい声で少女に語り掛ける。


「あのさ、俺はヒロって言うんだ」


 小声でそう言うと、少女は顔を上げてこちらの顔を見つめる。


「ヒロだ。俺の名前。ヒーロ」


 自分を指さしながら何度も名前を繰り返すと、やがて少女が口を開いた。


「……ヒ……ロ?」


 蚊の鳴くような微かな声だったが、確かに自分の名を呼んでくれている。意思が通じたのが嬉しくて思わず顔がほころんだ。


「そうそう、ヒロ! 君の名前は?」


 そう言って少女の方を指さすと、おどおどとした様子で言葉を発した。


「……ソフィア」

「ソフィア? ソフィアか。それが君の名前?」


 そう言うと少女……ソフィアは肯定するように頷いた。


「そっか。よろしくな、ソフィア」


 そう言いながら笑みをつくると、僅かにだがソフィアの顔から硬さが消えたような気がした。互いに名乗りあって少しは警戒が解けたのだろう。まだまだ緊張しているようだが、今はこれで十分だ。


 すると、隣に座っていたソフィアがおどおどとこちらの左足を指さした。


「え、何? ……あっ」


 見れば、自分の左の足裏に細い木の枝が突き刺さっていた。恐らく走っている最中に踏みつけてしまったのだろう。先程までは逃げるのに必死だったが、こうして傷に気が付くと突然痛くなってくる。


「痛っ。……ん? 何してるんだ?」


 刺さった枝を抜いていると、隣に座るソフィアが突然履物を脱いだのだ。彼女は足に靴下のように巻き付けていた布をほどくと、その布を手にこちらの足裏の傷を指さした。


「まさか……」


 左足をソフィアに近づけると、彼女は足裏の傷口を覆うように布を巻き付けてくれた。お世辞にも清潔とは言えない布だが、それでも彼女の気遣いが心に沁みる。


「ありがとう、ソフィア」


 微笑みながら礼を言うと、彼女は再び下を向いてしまう。だが、その表情は心なしか先程より柔らかくなっているように思えた。


(こう見ると結構可愛いな)


 ぼさぼさの金髪に顔が隠れているが、その隙間から覗く顔は中々に整っており、瞳の紫色も夜空のように美しい。小柄で痩せているが身なりを整えれば美人なのではないだろうか。


「しかし、これからどうしようかな」


 辺りを見渡しながら呟く。すると、目の前を流れる川が目に入った。


「……そうだ、水」


 喉の渇きを思い出して川へと近づく。川面は日の光を反射してキラキラと輝き、流れる水は透明に澄み渡っていた。これなら飲んでも大丈夫だろう。


 そう思って川を覗き込んだときだった。

 水面に映る自分の顔が見えたのだ。


「……え?」


 思わず目を見開く。

 そこに映っていたのは自分……金剛寺ヒロではなかったのだ。

 確かに全体的な印象は似ている。

 しかし、鼻や頬、目など細かい部分が明らかに自分と異なっていた。


「……嘘、だろ?」


 水面に映るその顔に見覚えがあった。

 『YLS』において幾度となく目にしてきた姿。

 ゲームに感情移入するため、俺が自分の容姿に似せて造りだしたキャラクター。


 そこに映っていたのは……『へーロス』だった。


「う、うわああああぁ!?」


 驚きのあまり絶叫し、尻もちをついて後ずさる。


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