13 孤児失踪事件、帳場立つ。
一気に人の増えた二の隔だけでなく、露天風呂の使用者が数名ずつとはいえひっきりなしに出入りしているため、一の隔の西棟も随分騒がしい様子だった。いつもの静けさとはかけ離れているが、働く者達の顔に嫌悪の色はない。
とにかく次から次にやることがでてきて忙しい、と活気に満ちていた。
長く当主としてこの城の支配者だった前当主夫妻が亡くなったばかりだというのに、新たな実質的な当主はずっと不在で、新参者が幅をきかせている。そんな状況では古参の者達が鬱屈していたのも当然だろう。
それが今や、正式な嫡子の命令の元、堂々と領民の保護という大義名分を得て働ける。特に騎士団の面々はそれを喜んでいるようであった。
露天風呂の使い方を避難民達に教えるのは、監督役もかねた下級メイドや下男たちだ。着の身着のままで逃げてきた者には、家令の名前で呼びつけた古着屋にありったけの在庫を持って来させ、多少サイズがあわなくとも着て貰った。流石に時間がなかったため最低限のものしか用意できなかったが、洗濯したものが乾くまでの辛抱である。
厨房では、料理人やキッチンメイドたちが炊き出しのため大鍋料理を作ったり、使い終わった鍋や食器を洗ったりとこちらもまた忙しい。
そんなざわついた城内でも、二階の奥まった場所に設けられた図書室は静かなものだった。大きな樫のテーブルを、人数分かき集めた椅子が囲っている。上座に座るのは大神警視で、時計回りに僕、ロックヒルさん、ネルソンさんの順番だ。ロイはネルソンさんの後ろに立っており、エリスとラナは手早くお茶の給仕を済ませると、大神警視の斜め後ろに控えるように立った。
ティーカップからはほのかに湯気が立ち上っているが、まだ誰もそれに手はつけない。
「余所者がほとんど出払っていたのは幸いでしたな」
「まったくです。そこの若者から言伝をいただいたとき驚いたものですが……」
最初に安堵の混じった声を漏らしたのは、ネルソンさんだった。ロックヒルさんの方はなんとも感慨深そうな眼差しで
「迅速に応じてくださったこと、改めてお礼申し上げます」
座ったままであったが、大神警視が軽く会釈をすれば、壮年の騎士達は慌てて首を横に振った。
「いいえ、ディアナ様。お礼申し上げるのは我々の方です。いえ、むしろ謝罪せねばなりますまい。本来ならば、このように民の救済の音頭を取るべくは、当主様の代行者である家令の仕事。それが頼りにならぬならば、我ら譜代の家臣が働きかけるべきことです。未だ幼くあらせられるあなた様を、矢面に立たせてしまったこと、まこと恥じ入るばかりにございます」
「ネルソン殿のおっしゃる通りです。城に来るなと言われたからと、連携をおろそかにするなど……。逆に呼び出すこともできたのですから、警護騎士団にはもっとはやく直接伝えるべきでした」
どうやらこの世界でも、武装組織は縦割り式であるようだ。
命令系統の統一が重要なのだから、自然とそうなってしまうのだろう。もともとある程度情報共有のため相互に連携があったとはいえ、警備は警備、警護は警護、というふうにそれぞれの仕事には干渉しないようにしていたに違いない。それは平時では問題ないのだが、こういった問題が持ち上がったときにこうして連携不足として問題になってしまう。
家令としては、新参の自分の支配下に置くのが難しい武装組織同志が結託しないようにとの措置だったのかもしれないが、それが返って双方の団結を促したというのだから皮肉なものだ。
「反省会は後にしましょう。改めて確認しておきますが、私はこの家の長子ではあるけれど、未だ何の実権も持っていません。兵のひとり、金貨の一枚すらも動かす権限を持たない身です。最大限努力はしますが、父の意向次第では、あなた方の身を守れる保障もありません。それでも、」
ひとつ言葉を切って、大神警視は順に二人の騎士を見据えた。
「六つの小娘の命令を受けてもよいというならば、手を貸してください」
ひり、と張りつめた空気が、大きく動く。
音もなく立ち上がった巨躯がふたつ。それぞれ胸に利き手をあて、腰を折って深く頭を下げた。
「ご随意に」
「剣を振るしか能のない身ですが、必ずや役に立ってみせましょう」
ネルソンさんとロックヒルさんの返答に、僕はそっと安堵の息を吐いた。
このような子どもの言葉を、真面目に受けとってもらえるかという不安はどうしてもあったのだ。
正直僕なら、何言ってるんだろうこの子、と思って本気で相手にできない。血統がものを言ったのか、はたまたよっぽど、新参者の家令やたかだか婿養子の客ごときが主家で大きな顔をしているのが我慢ならなかったのか。
どちらかは解らないが、表だって動いてくれる地位のある人物を味方につけることができたのは僥倖だろう。
「なぁに、
「ロックヒル殿、ディアナ様とケイン様の御前ですぞ。言葉には気をつけてくだされ」
がははと闊達に笑うロックヒルさんは上機嫌だが、ネルソンさんはわずかに眉をひそめて小言を言った。それに大神警視は苦笑するだけで何も言わず、手振りでふたりに着席を促す。後ろでロイが、俺には拒否権もないのかととても小さな声でつぶやいていたけれど、綺麗に無視された。
「それではラナ、報告を」
「はい、ディアナ様。家令様は先ほど東棟で自室にしている部屋に戻られましたぁ。手紙をしたためられまして、ご当主様とグラスベリー子爵様宛で、ディアナ様が騎士達を勝手に動かして避難してきた村人を城に入れてしまったとご報告するものです。それから城下町に使いをやったようで、下男のジョンくんがこっそりついていってますー」
「上出来です。ジョンが戻ったらすぐに知らせてください」
「はぁい」
気の利く娘だと思ってはいたが、使いを尾行させるとは。エリスだけでなくラナも鍛えがいがありそうだ。
「ウィルソンの腹の内がどうあれ、彼一人であの数の避難民を城から追い出すことはできません。少なくとも父から正式な返答を受けるまで何もできないでしょう。今夜早馬を出したにしても、返答は速くとも二十日後です」
「ではあやつは放置されると?」
おや、と方眉を上げたネルソンに、大神警視は小さく首を横に振った。
「いいえ。気取られない程度に見張りはつけます。避難民の受け入れとは別件で、ウィルソンについては確認したいことがありますから」
「別件、ですか?」
「ええ。私や弟はまだ幼く、世情に疎いものですから。たとえば……皇国では十年前に奴隷廃止令が出て、奴隷を売ることも買うことも禁じられ、破れば重罪となる。法律書にはそのように記載されていることは知っていても、それが実際に守られているのかは存じません」
「……そのお歳で法律書に精通していることが驚嘆に値しますよ。いや、しかし……。さようですな、ディアナ様は五つのお誕生日に先代様に魔法書をねだっておられましたな」
……どうやらネルソンさんが味方についてくれたのは、本物のディアナ嬢が神童と呼ぶにふさわしい子であることを知っていたからのようだ。うん、確かにゲームのディアナは幼少期からとてつもなく優秀な完璧な淑女だった、ラスボス令嬢なのだ。そのようなエピソードがあっても不思議はない。
「私も噂には聞いちゃいましたが……。はははっ、さようですな。確かに奴隷の売買は重罪です。これに関しては摘発もかなり厳しいものとなりますな。それでも、十年前までは奴隷は皇国全土で重要な労働力でした。それが急に禁止になったもんで、当時は随分混乱したものです」
「ロックヒル団長、それでは未だに需要は大きいということでしょうか」
「ええ。もちろん露見したならば重罪ですがね。財産没収は当たり前、死罪か良くて監獄送りです」
「……この法を推進したのは、皇族の方ですね?」
「良くわかりましたね。皇王陛下がご即位された折の初勅にございます」
「……そうですか。よくわかりました。……ケイン」
「はい」
大神警視に促され、僕が皆が囲む机の上に広げたのは、数枚の手配書だ。護衛騎士団の詰め所に貼られていたものを預かってきたもので、城下町を歩いている時にも見かけたものだ。
「これは……皇都から回ってきた奴隷商の手配書ですな」
「はい。実はこの者たちが、城下に潜伏している可能性が浮上しました」
「なっ」
「なんですと!?」
驚きを見せたのは、二人の騎士だけではない。ロイも目を丸くしていたし、背後から息を呑むような気配を感じた。
「順を追って説明します。今日、僕たちがお忍びで街に降りた際、我が家が管理している孤児院の子ども達と知り合いました。子ども達が言うには、数ヶ月前に院長が替わっていて、その後だんだん食事の質も悪くなり、頻繁に孤児が消えるようになったというのです」
「消えるというのは、どういうことです」
思わずといった風に口を挟んだのは、ロックヒルさんだ。領内の警備は彼の管轄なのだから、表情が険しくなるのも仕方がない。
「院長は余所にうつったと説明していたそうですが、夜のうちに突然姿を消した子が少なくとも三人います。避難してきた避難民からも、城壁内に入ったあと、知り合いや連れが突然姿を消してしまったという証言がいくつもありました」
「……浮浪者が姿を消したところで、誰も気には止めんでしょうな。しかし、それだけでは……」
「もちろん、これらの証言だけで領内で人身売買が行われていると判断するのは早計でしょう。しかし、子ども達が姉のように慕う少女が姿を消したのを不審に思い騒いだところ、院長はこう言っているのですよ。『憲兵に捜して貰うためには、金貨が最低十枚は必要だ』と」
「馬鹿なっ!!」
「……落ち着きたまえよ、ロックヒル殿」
「これが落ち着いていられるか! ディアナ様、憲兵隊が行方不明者の捜索に金貨を要求するなど、そのような馬鹿なことはあり得ません。とんでもない侮辱です。孤児院の院長ですと? 私が行ってどういう了見でそんなデタラメを子どもに吹き込んだのか問い質してまいりましょう!」
憲兵隊は警護騎士団の下部組織。つまりはロックヒルさんの部下にあたるわけで。どうやらこの御仁、かなり自分の職務にプライドを持っているタイプであるらしい。やっぱり叩き上げ刑事と同類の気配がするぞ。
しかし頭に血が上って暴走されてしまっては困る。
大神警視は今にも立ち上がりそうなロックヒルさんに視線を合わせ、いけません、と制止した。
「あなたが動けば警戒されてしまいます」
「むむっ」
「……ディアナ様は、その男が孤児達を拐かしているとお考えですか」
「証拠はありません。しかし関与している可能性は高いと考えています。あまりにタイミングが良すぎますから」
「タイミング、ですか」
「手配書によれば、」
つ、と大神警視の視線が一番情報の多い、騎士団向けの手配書に流れたので、僕は手を伸ばしてそれを騎士達の前に移動させた。
「皇都で闇オークションを開催していた奴隷商達のギルドが摘発されたのは、約半年前のことです。最後の目撃情報は、チェスターで報告されています」
この団体の手配書には、似顔絵がない。個人ではなく奴隷商の一味全体にかけられた手配で、関わっている個々人を特定できていないのが原因だ。最低限の情報が書かれた手配書の裏に書かれた詳細蘭にはこのような情報が記されていた。
半年前の摘発時、オークションを主催していたギルドに所属していた奴隷商は三つ。そのうち二つの商会は皇都で取り押さえられた。残りのひとつ……クランメル商会だけが今なお逃走中で、その者達の目撃情報は、皇都から北へと移動し、最後がチェスターだ。それが四ヶ月前。
チェスターは、グローリア辺境伯領の隣領にある町の名前だった。
「……ちょうどその時期に、使用人はじめ人員を大きく入れ替えた領がありますでしょう?」
幼げなソプラノが淡々と紡ぐ言葉に、大人達が眉間の皺を深くした。
グローリア辺境伯家の人事が大きく変わったその時期、孤児院の院長も代替わりしている。辺境伯家が管理する孤児院の院長や職員の、雇用を管理しているのは――……家令であった。
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