12 避難所設立。
すっかりと陽が落ちて、二の隔や一の隔のあちこちに篝火が灯される。冬場にあって薪は貴重なものであるが、グローリア辺境伯家の居城においては示威のためにも夜半まで消えることはない。深夜となっても、見回りの兵のために最低限は一晩中燃やし続けるきまりになっていた。
さて、そんな篝火に照らされた二の隔の城門に、ロイが警備騎士団長と、続く一団を率いて帰還したとの知らせを受けた。出迎えに走ったのは僕と、警護騎士団長のネルソンさんだ。
「ロイ! お帰りなさい。ご苦労様です」
「坊ちゃん」
懸念していた通り、護衛隊の門兵に城門で止められていたロイは、僕の顔を見てあからさまにほっとした顔になった。
「通達が間に合わずすまない、彼らは通して大丈夫だ」
「し、しかし団長! 警備騎士団だけならともかく、その……」
「いいんだ。ディアナ様のご命令だ。もちろん一の隔には入れられないが、我々騎士団の講堂なら広さはなんとかなるだろう」
「はっ!? し、しかし、講堂は……」
門兵は騎士団長の言葉に驚愕したが、ここで押し問答をしている暇はない。
「外から人が入る分、厳戒態勢で警護にあたってくれ。手の空いているものは手伝え! 手早く!」
「は、りょ、了解であります!」
騎士らしく堂々としたネルソンさんの声は、実に良く通った。何事かと周囲に集まっていた警護騎士団の面々も、泡を食ったように忙しなく動き出す。ある者は講堂へ走り、あるものは警備騎士団の顔見知りに声をかけ、避難民たちを講堂へと案内していく。足を悪くしたものや、歩く気力もない者は、荷車に乗せて運ばれていった。
「ロックヒル殿、事態を把握できず申し訳なかった」
「いや、ネルソン殿。手をこまねいていたのはこちらも同じことです」
などと、警護と警備それぞれの騎士団長が挨拶をかわす中、僕はロイに捕まっていた。
「ちょっと坊ちゃん、本当に大丈夫なんすか、これ!? 結構な数になっちまいましたよ?」
「うん、救貧院や神殿でフォローできない人だけと言ったけど、それでもこんなにいたんですね。講堂だけで入れるかな? やっぱり一の隔も解放した方がいいんじゃ……」
「はっ!?」
「それはいけません! 万が一不届き者が紛れ込んでいたとしても、講堂ならば我々が目を光らせることができますが、一の隔にまで範囲を広げては目が届かなくなる可能性があります!」
おっと、ロイじゃなくてネルソンさんから反論がきてしまったぞ。おかしいな、あなたさっきまでそこのロックヒルさんと話をしてませんでしたか?
「二の隔には講堂の他にも、小さいながら礼拝用の神殿もあります。武神アレス様も、困窮した民に軒を貸すのを厭いはしないでしょう」
「あ、そうか。そうですね。礼拝堂もありました。うーん、しかし、お……姉上に風呂の順番の割り振りを聞いてくるように言われてるのですが……」
「……は?」
「芯から温まるには温泉が一番ですからね。露天風呂はまだ一の隔にしかありませんし。それほど広くはないので、グループ分けして順番に入って貰うしかないんですけど……。あっ! も、もちろん女風呂はメイド達に目を配ってもらう予定で準備してますから……!」
もちろん僕も大神警視も、城を開放することで、避難民に紛れて不審者がわく可能性は考えている。盗人や間者など、この機会に城内の様子を調べようとするものだっていておかしくないだろう。だから避難民を城に入れはしても、彼らが不審な動きをしないか常に騎士達やメイド達に見張らせるつもりではいたのだ。
いや、本当。なにも考えずに解放なんてしないからな? 祭りの警備とかそういうのも警察官の大事な仕事だったわけで。まあこれはどちらかというと災害救助なわけだが。
「い、いけませんっ! 一の隔の……お嬢様の浴場を解放されるおつもりですか!?」
「非常時ですし……? それにこれまでも使用人に解放していたので今更でしょう。あ、大丈夫です! 今夜はもう姉も僕も使いませんから」
「そういう問題では……!」
「あのー……、そちらは……」
言いたいことは良くわかるのだが、非常時だし、どうせこの城には当主も不在なのだからそう固く考えないでほしいものだ。僕や大神警視なら魔法も使えるようになってきたし、もちろん護衛騎士の近くにいるつもりだから、そう危険はないだろう。
と、思っていたら後ろからそっと声をかけてきたのは放置されてしまっていた警備騎士団団長のロックヒルさんだった。貴族らしい容貌のネルソンさんとは違って、こちらは上背があるだけでなく、骨太なのかがっしりとした大男だ。頰に目立つ傷があり、いかにも歴戦の猛者という雰囲気。かといって、がさつすぎるというわけでもないから、下級貴族の次男以下の身分で、現場で叩かれ伸びてきたタイプだろう。
ちょっと刑事部の叩き上げ
「お初にお目にかかります。グローリア辺境伯家長男のケインと申します」
「これはご挨拶もなく失礼いたしました。グローリア騎士団が警備団長ジェームズ・ロックヒルです。このたびは領民のためのご決断、有り難く存じます」
「いえ、決めたのは姉ですから。どうぞこちらへ。ロイも一緒に来て下さい」
「えっ、俺まだなんか仕事言いつけられるんすか!?」
「さぁ、それは
――いや、すまん。たぶん休憩する時間はもらえると思うが、まだまだ仕事押しつけられると思うぞ?
***
いつもは静かなフレアローズ城が、上から下まで大騒ぎになったのは言うまでもない。警備騎士団の隊長直下部隊が引き連れてきた避難民の数はおおよそ七十名。かろうじて講堂で収容できたが、病にかかっていた人もいたので、隔離するためにそのうち十名ほどは礼拝堂へ移動して貰った。
普段は城下に住んでいる主治医もスリの子ども達を診て貰うために呼んでいたので、渡りに船とばかりに病人の診察をお願いした。ほとんど出払っている上級使用人を除いた中級、下級の使用人たちが総力を上げて炊きだしを用意し、毛布やシーツをかき集め、避難民に配っていく。毛布などは戦の野営時用の備蓄を転用できたので、なんとか数も足りた。
問題になったのは暖房器具である。騎士団の集会に使われる講堂は、小さいながら暖炉があるし、人が多く集まる分なんとかなりそうだったが、礼拝堂には暖房器具がない。仕方がないので、できるだけ丈夫そうな鉢に灰と炭を入れ、火鉢にした。
どうやらこの国では、炭は鍛冶屋やガラス工房などで燃料として使われるばかりで、こういった使い方はされていなかったようだ。
薪はともかく炭は、それほど備蓄していたわけでもない。そのため、警護騎士団の若手数名に一番近い鍛冶屋に走って貰って、炭を分けてもらいもした。それで今夜はしのげるだろうが、どのくらいこの状態が続くかは不明なだけに、全く足りないだろう。
「ありがたいねぇ、本当にありがたいことだよ……」
「うわ、うわ、肉が! 肉が入ってるよ……!?」
「温かい食べ物なんて、いつぶりか……」
「お風呂? 温泉ってなぁに?」
「えっ、伯爵様のお嬢様が作らせたお風呂に入らせていだけるって!?」
ひそひそ、ざわざわ。
あちこちでやせこけ、疲れ切った顔の人々が、涙混じりの笑顔を浮かべている。
礼拝堂では火鉢の周りを病人達が囲っていて、講堂では暖炉の前に大人も子どもも集まっていた。
「さぁ、おかわりもありますからね! 欲しい人は並んでください。そこ! 横入りしないっ!」
カンカンと鍋のふたをお玉で叩きながら声を張り上げるのは、手持ちの中で一番シンプルな室内着の上から、一番年齢が近くて小柄なメイドから借りたエプロンと三角巾をした大神警視だ。てっきり一の隔にいるのだと思ってそちらに向かったが、見事にすれ違いになってしまった。
鍋をかき混ぜ、刻んだ野菜と塩漬け肉のポリッジを椀によそい、並ぶ人々に次々に渡していく。踏み台に乗っているのが様にならないが、隣に鍋を並べている数名のメイドたちと比べても、手際はダントツに良かった。
「落ち着いて! 慌てない! 足りなくなったら追加が来ます、しっかり噛んで、食べ終わった人から順番にお風呂です。風呂場に手伝いの人間がいるので使い方をしっかり聞いてください。はい、次の方!」
「姉上!」
このままでは列がさばけるまで話ができない。
僕が大きめの声を上げれば、大神警視は手に持っていたお玉と椀を、追加の鍋を抱えて厨房から戻ってきたモリー夫人へとバトンタッチした。
「戻りましたか、ロイ。ご苦労様です」
「お嬢様ぁ~っ、なんだってこんなこと……勘弁してくださいよ、せめて一の隔にいてくれないと……」
「猫の手も借りたい状況ですよ。子どもの手でもないよりマシでしょう。それで、そちらは?」
つい、と大神警視の視線がロイから僕の後ろに控えた二人の騎士に移る。
「ディアナ様、こちらが警備騎士団団長のロックヒル殿です」
「グローリア警備騎士団長、ジェイムズ・ロックヒルと申します。お会いできて光栄にございます、姫君」
「グローリア辺境伯家長女、ディアナ・グレイス・グローリアです。ロックヒル殿、よくぞご決断くださいました」
自分の前に片膝をつき、騎士の礼を取った大男に、大神警視は淑女らしい礼で返した。その言葉にロックヒル卿はぐっと言葉に詰まったような仕草をみせたが、すぐに緩く首をふった。
「……いいえ。いいえ、それは私の言葉にございます。先代様方もさぞ心強く思っておいででしょう」
「……そうであれば良いのですが。こちらへ。ひとまず今後の対応について――」
「何の騒ぎですか、これは!! ネルソン団長! どういうことです!?」
神経質、を音で現せばこんな声になるだろうか。
そんな印象を受けたのは、その人物の顔つきが実に険しく、ぴりぴりととがっていたせいかもしれない。
肩を怒らせ、ずんずんとこちらへ――ネルソンさんの元へイノシシのようにまっすぐ突き進んでくるその男は、黒い仕立ての良いお仕着せを着ている。
グローリア辺境伯家の家令、マイク・ウィルソンのご登場だ。
「警護騎士団の団長ともあろう方が、勝手に城門を開放するなど、どういう了見ですか!?」
眉尻どころか目尻まできりきりとつり上げて、ウィルソンは声を荒げた。
年の頃は三十を少し過ぎたところ。僕らと同年代だろう。この年齢で辺境伯領の家令を勤めているのだから、さぞ有能な人物に違いない……と、思いたいところだが、これまで集めた情報と、こうも感情をむき出しに詰め寄ってくる様子を見るに、とてもそうは思えなかった。
「これはウィルソン殿」
「しかも、歴史ある騎士団の講堂でこのような……!」
「領民の窮地に役立てるのならばそれに勝るものはございませんでしょう。それにこれはディアナ様のご下命によるものですから」
「何を……っ!」
視野狭窄も甚だしいことに、ウィルソンはここにきて漸く、
「こ、れは……。ディアナ様」
「まぁ、ウィルソン。十と四日ぶりですね」
「は、あの……」
「勝手に動いて申し訳なく思います。ええ、もちろんあなたが、私やケインとろくに顔を会わせる暇もないくらい、いろいろ、いろいろ、準備をしてくれているのだろうとは思っていたけれど、気温がね? もっと下がるのですって。馬番のボブお爺さんが、もうすぐとても寒くなるだろうと言うのですよ。救貧院にも入れずにいる人たちが凍えて死んでしまうかもしれないでしょう? ええ、勇み足で勝手をしたことは謝罪します。けれどあなたの準備も決して無駄にはしませんよ。薪も炭も全然足りないし、食料も温かい寝具も衣類も、もっとあるといいですね」
「な、なん、そんな、そ」
「大きく物資を動かすなら、領主の許可を得たいと思う気持ちは当然ですよね。何せあなたは新任で、まだ家令の仕事にも慣れていないでしょうし、こんな事態は初めてのことですから」
「そ、それはまぁ……」
「でも大丈夫ですよ、ウィルソン。村が二つも壊滅するなどという緊急事態なのですから、お父様もここであなたが尽力したことを褒めこそすれ、咎めることなどないでしょう。さぁ皆さん! こちらが我が家の家令です。物資に不足があればこのウィルソンにお声がけください。全てをかなえることは難しいでしょうが、できる限りの手は尽くしてくれるでしょう」
「は、え、あの」
わぁ! と歓声とともに、ありがたやありがたやと声があがる。
ウィルソンはもはや抗議をするどころではなく、もちろんです、だかお任せください、だかぼそぼそと口走って、逃げるように一の隔へと早足で去って行った。
――そうして。
「「ぶぁっはっはっは!!」」
ぽかんとして一連の流れを見守っていた団長をはじめとした騎士達、手伝いに借り出された古参のメイド達が腹を抱えて爆笑しだしてしばらく使い者にならなくなるという問題が起こったわけだが……そこに僕が加わっていたのは見逃して欲しい。
だってあの大神警視が女性らしく振る舞っている姿は、僕の腹筋に非常に打撃を与えてくれたのだから、仕方がないのである。
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