10 お忍びお嬢様一行、孤児を拾う。



 子どもの足はコンパスが短いが、とても軽くて小回りがきく。

 乙女ゲームの攻略対象者だけあって、ケイン少年は運動神経も良く、貴族の子息らしく健康状態も良い。

 この一ヶ月近く、身体の様子を見ながら徐々に筋トレやランニングをしていたおかげで大分体力もついてきていた。

 更には手前味噌ながら、これでも公安警察である。追尾は得意中の得意。


 と、いうわけで。


「ちくしょう! はなせよっ! はぁーなぁーせぇーっ!!」

「はいはい、大人しくしようなぁ。意識落とされたくないだろう?」


 僕がケイン少年より一回り小柄な、やせこけた少年を捕まえたのは、少年が三百メートルほど逃走した地点でのことだった。捕まえた場所は西地区へと続く住宅区画。何事かとこちらをぽかんと見つめる大人達の視線も無視し、少年を半ば引きずるようにして噴水前へと戻る。


 それにしても、何て軽いのか。

 後ろ手にひとまとめにして掴んでいる少年の手は折れそうな程細く、ここ数日まともなものを食べていないのか足下もふらついている。

 ……僕が捕まえるとき体当たりしたせいじゃないよな? 怪我はさせないように気をつけたつもりなんだけど。


「オイラがなにしたってんだっ!」

「スリの現行犯だ。今頃君の仲間も捕まってるぞ」

「しらねぇよ! なかまなんて……っ」

「そうかい? あそこにもう居るみたいだけど」

「……っ!」


 僕とは反対方向から、フードを目深に被った幼女が、更に小さな幼女の手を引いて歩いてくる姿を指し示せば、少年は悔しそうに顔を歪めて大きく舌打ちをした。うん、反省の色はないな。

 まったく、どうしたものか。


 あ、大神警視の方の後ろからエリスがものすごい形相で走って戻ってくる。どうやらエリスは、大神警視を追いかけたはいいが、すれ違ってしまったようだ。

 そうして、ダダダ、と大きな足音をたてて僕のところへ走ってきたのは――真っ青な顔をしたロイで。


「こ、っのクソガキどもっ!! 噴水の前から動くなっつっただろうがっ!!」


 今にもげんこつを繰り出しそうな程拳を握りしめて、開口一番怒鳴るロイ。


 やってしまった。犯罪の現行犯を目撃したために、反射的に確保に動いたけれど、そういえば僕ら今は子どもなんだった。それも貴族の。


 噴水前で合流した大神警視と揃って、ロイとエリスに二人がかりで叱られるのも当然だ。なんせ僕らは彼らにとっては雇い主の子どもで、更には家中の者には内緒でお忍びで街におりたのだ。

 ここで僕らに何かあれば、ロイもエリスもただでは済まないのは間違いない。


「どうして二人して、盗人を追いかけたりなどするのですっ! どれほど心配したと……っ、お二人に何かあってからでは遅いのですよっ!?」

「エリス、ロイ、申し訳ありません。心配をおかけしました」

「ふたりとも、ごめんなさい」


 涙目でわめくエリス、怒りと呆れの混ざった顔で僕らを睨みながら見下ろすロイ。そのふたりに頭を下げつつも、大神警視は掴んだままの幼女の手をはなはしなかったし、僕も捕まえた少年の手をはなさなかった。

 少年が逃げ出すのを阻止するためではない。手をはなしたとたん、彼らが崩れ落ちそうだったからだ。真っ青な顔で、身体もふらついている。唇も乾ききっていて、だんだんと目がうつろになっていっている。少年の方は必死に唇を噛みしめて踏ん張っているが、実はもう、まともに歩く体力も残っていないだろう。


「で、そいつらがエリスちゃんから財布をすったんですね?」

「ええ。これを。エリス、確認してください」

「は、はい。あの……お嬢様、私の不注意で大金を失うところでしたことは、深く謝罪いたします」

「それは気にしなくていいですから」


 真っ青な顔で大神警視が幼女から取り戻した革袋を受けとって、エリスは深く頭を下げた。そもそも主人の財布を盗まれたことにも、彼女は責任を感じていたのだろう。


「お説教はあとで聞きますから、ひとまずこの子達を……っと」

「わ、わわ」


 とうとうスリの子ども達がそろって倒れた。手を繋いでいたおかげで受け止めることはできたが、一ヶ月、ほどほどにしか鍛えていないケイン少年の腕力では支えるだけで精一杯だ。大神警視も、幼女を抱き留めて倒れないようになんとか踏みとどまっている。

 その様子に、慌ててエリスが幼女を、ロイが少年を抱えてくれた。


「……はぁ、もういいっす。で、こいつら門に常駐してる憲兵にでも突き出しますか?」

「お忍びなので騒ぎを大きくしたくありません。ひとまずウチへ」

「は?」

「え? あの、お嬢様?」

「ですから、城へ連れて帰ります」


「「はぁっ!?」」


 綺麗に揃った男女の声に、まあそうなるだろうなとは思ったが、僕には大神警視がそう言い出すのは半ば予想ができていた。

 だって、なぁ……。


 スリを行った少年少女はケインくんやディアナ嬢より年下に見えるが、あまりにも小さく、やせ細っている。また、体力がちっともない。

 逃げるときもスタミナ不足ですぐに息が切れて速度も落ちていた。

 栄養不足は明らかであるし、このまま放っておけば餓死か衰弱死をしてもおかしくはない。

 そんな状態で憲兵に突き出す、というのは……。


 領内の治安維持を司り、犯罪者を取り締まるのが役目の憲兵に突き出せば、当然取り調べを受けることになる。そうして罪状が確定したら監獄行きだ。


 皇国の法律と、領の法律に照らし合わせると、窃盗罪は鞭打ち百回か監獄送りのいずれかである。ざっとしか確認できていないが、少年法に類するものははなかったはずなので、子どもだからと言って減刑はないだろう。保釈金を払えば釈放されるという規定もあるらしいが、明らかに食い詰めたあげくの犯行であろうに、そんなもの払えやしないのはわかりきっている。


 放っておけば早晩死にそうな子ども達だ。鞭打ちだろうと監獄送りだろうと、生き延びられるとは到底思えなかった。


 幸い盗まれたものはすぐに取り戻せたし、実害は受けていない。この状況でこんな幼い子どもたちが死ぬと解っていて憲兵に突き出すなど、できるはずもないのだ。なんせこちとら、世界は違えどお巡りさんなんだぞ。





 ***





 馬車に落ち着いたところで説教が再開されるかと思ったが、帰り道は静かなものだった。子ども達はまったく起きなかったし、エリスは財布をすられたことを気にしてかしょんぼりして何も言わなかったし、ロイも何か考えているのか黙って御者に徹していた。

 ちょっとした騒ぎになったのは城に戻ってからだ。

 青い顔をしたラナと、般若のような顔をしたモリー夫人が仁王立ちして僕らが出入りする予定だった西棟の裏手門に立っていたのである。


「ディアナ様! ケイン様! 何て危険なことをなさるのです、ろくに供もつけずに城下へ降りるなど――!」

「しーっ! モリー夫人、ごめんなさい! でも静かに!」


 こんなところで大声を上げられちゃ、他の人たちにもバレてしまう。慌てた僕の言葉に、モリー夫人はますます怒り、声を荒げようとしたのだが、それを封じたのは大神警視だった。


「モリー、ラナ、手を貸してください。お医者様をお呼びして、この子達を診てもらって。それから問題がないようならお風呂……は無理だろうから身体を拭いて着替えさせてください。起きたら食事の準備を。ああ、そうだ。騒がしくしてはいけませんから、お客様方には伏せておいてくださいね」

「えっ、えぇ!?」

「まぁ! どうしたんですか、この子たち! こんなに痩せ細って!」

「道に倒れていたので放って置けなくて。お願いしますね。エリスも手伝ってあげてください。ロイは荷物を私の部屋へ運ぶように」

「は、はい!」

「……へーいへい」


 意識を失ったままのスリの子ども達を、モリー夫人とラナに押しつけるや、大神警視は僕とロイだけ連れて部屋へ戻った。怒り心頭だったモリー夫人も、痩せこけ、今にも息絶えそうな子ども達の姿に驚いて説教どころではなくなったようだ。

 もともと彼女は子ども好きで情の深い女性なので、あんな子たちを見ては放ってはおけないだろう。残っている家令に知られて城から追い出されてはいけないから、と秘密裏に医者を呼ぶよう頼んでおけば、あとはうまくやってくれるに違いない。


 ディアナの部屋は、居間と寝室のある二間続きの部屋だ。子ども部屋としては贅沢な作りであるし、内装もケインの部屋に比べてぐっと華やかで美しい。居間に僕らを通すと、大神警視はローテーブルを囲う二人がけのソファーに腰を下ろした。目で合図されたので、僕はその隣の一人がけの椅子に座る。

 ロイが買ってきた荷物をテーブルの上に置くや、大神警視は手振りでロイにも座るよう示した。ロイは何故か少し躊躇ったが、結局文句をいうでもなく対面のソファーに腰を下ろす。


「それで、門兵は何と?」

「……ここ数年、冷夏のせいで不作が続いてまして。農村でも食い詰めるものが多くなって、領都であるこのフレアローズへ流れてくるものが多かったんですが……。最近、魔獣の襲撃が相次いだそうです。村がいくつか壊滅状態で、生き残った村民が一気に城下へ逃げ込んできたようで」

「魔獣……? 襲われた村というのは、北の山嶺の近くですか? そこからここまで?」


 黙って聞いていようと思ったのに、つい口を挟んでしまった。北の山嶺は、グローリア辺境伯領の最北端に位置し、領都フレアローズからもそれなりに遠かったはずだ。領の歴史書や地理の本では、魔獣が出るのは北の山嶺付近ばかりのようだったから、意外だったのだ。


「いえ、それが北の山嶺よりこっち側……ゴルウィック山の反対側にある農村地帯です。小さな村がいくつか……ブラックロウの森林地帯沿いにあった村が襲われて、そのあたりに駐屯していた領兵の対処も間に合わなかったのでしょう」

「……そのあたりは、魔獣が良く出るのですか」

「まったくないわけじゃないっすけど、珍しいことですね。そりゃ北の山嶺みたいに頻繁に出てくるってことはないけど、希に森深い場所や山間は、魔獣が出ることがあるんで。それにしたって人里まで降りてくることは滅多に聞かないですよ。何十年ぶりってレベルじゃないっすかね」


 ロイの話では、魔獣も他の獣と同じで、積極的に人里にはやってこないそうだ。たまに降りてくることはあるが、それは大抵山や森に食料がまともにない場合だという。

 となれば、不作が続いたくらいだ。冷夏の影響で、山や森にも食料が乏しいのだろう。ましてや、今は冬。食料などあるとも思えない。


「対策は、されているのでしょうね?」

「……有志が魔獣の出没地域の駐屯兵に合流して討伐隊を組むそうです」

「有志?」

「領都の守備兵、憲兵の有志からです。護衛騎士にはこれから声をかけると言われました」

「…………」


 妙に淡々としたロイの言葉に、すうっと部屋の中の気温が下がったような気がした。

 冷気の発生源は、間違いなく僕の隣の幼女だ。人形よりも整った顔から表情が抜け落ち、内側から滲み出る不穏な気配に、僕は背筋を伸ばす。


 この表情かおは知っている。

 上層部うえがふざけたへりくつをこね回したあげく、現場に問題のしわ寄せを押しつけてこようと画策しているのを察知したときの表情だ。


 ロイがびくっと肩を揺らしたけれど、僕には今は何もアドバイスをしてやれない。だって今口を開いたら余計に怒れる狼を刺激することになるのは明白なのだから。


「家令と領主への報告は」

「なっ、七日前に。門兵から知らせを出して指示を仰いだと……。家令のウィルソン様からは、避難民はひとまず城壁内へ入れてもよいと許可を得ていて、領主様への早馬は出されたそうですが、避難民の多くは身一つで村を逃げ出しているため、宿も取れず寒空の下野宿を強いられてます。救貧院にも入りきれないそうですし……」


 神殿も避難民をできる限り世話しているが、冬のことだ。備蓄の食料にも、物資にも限りがある。皇都までは馬車で十五日かかると聞いた。早馬を飛ばしても報告が届くのに十日はかかるとも。河川を船で移動したとしても、一週間以上はかかるだろう。まだしばらく、領主の返事はこないはずだ。


 こういうとき、普通なら領内の切り盛りを任されている家令が代理で初期対応をするものだろうに、七日の間何もしていない。これでは、辺境伯家が神殿と付属の救貧院に対応を丸投げしているようにしか見えないだろう。城壁を守る兵達が、苦境にある避難民を目の前にして、焦りを覚えたのも……。

 いや、避難民に同情したにしても、これは……。


「家令はよほど、信用がないようですね」

「あー……、まぁ……」


 ばっさり切り捨てた大神警視に、ロイは苦笑して後ろ頭をぼりぼりとかいた。

 恐らく守備兵や憲兵達だけではなく、城に詰めている護衛騎士団からも信用がないのだろう。


 グローリア辺境伯領の軍事組織は、大きくグローリア騎士団と呼ばれている。そのうち、城内や城主一家の警護を担当する護衛騎士団と、領内の警戒、警備を担当する警備騎士団に別れ、領都を始め、領内各地に散らばる守備隊や、領内の犯罪を取り締まる憲兵隊は警備騎士団の下部組織だ。

 警護騎士団と警備騎士団は、本来緊密な連携を持っていなくてはならないはずだが、ロイが門兵に話を聞くまでこの事態を知らなかったということは、双方の連携が何らかの事情で遮断されていたことになる。


「……警備騎士団は、騎士とはいえ平民出身者が多いんで、城内には気軽に入れません。以前は隊長格の者は自由に出入りし、情報の交換をしてましたが、それも家令の命令で禁じられました」


 その結果、同じ騎士団という枠組みの中に居ながら、間に家令を挟まなければ情報の交換もままならない有様というわけだ。どこの世界にも、無為に自分へと権力を集中させたい馬鹿はいるものだが、ウィルソンは何を考えてこのようなことをしているのだろう。


 家令は主人の不在の間、領地で起こる種々の問題を切り盛りするのが役目だ。領地経営を担う存在であるのだから、非常事態が起きれば率先して指揮をとらねばならない立場である。にも関わらず、僕らが知る限り、彼は同時期に雇われた家政婦や侍女、従僕らと共に客に侍るだけ。東棟の一階にある家令の執務室である部屋は、この一ヶ月の間一度も使われたことがない。


 このまま問題が大きくなれば、無能の烙印を押されて最悪の場合解雇されるだろうに……。


「――……ロイ。戻ったばかりで申し訳ないけれど、頼みがあります」


 長い沈黙のあと、大神警視は矢継ぎ早に指示を出した。

 そうしてそれを受けて、ロイが大急ぎで部屋を飛び出したあと、僕らは揃って大きく溜息をついたのだった。


「悩ましいものだな。どこまで関与してよいものか……」

「大神警視は、どうお考えでしたか」

「我々の目的はあくまでも、元の世界、元の身体に戻ること、可能なら百目木も確保の上で、だ。この世界で起きる問題は、この世界の人間の手で解決されるべきであると考えている」


 知識チートして技術の発展を目指したり、社会の変革を行う気はない、ということだ。金策のためにある程度商品開発か何かするつもりはあったろうが、領地改革して発展させようという意図のものではない。最小限の関与に留めるべきという考えなのだろう。


「それは今も変わらん。だが……。これをこのまま放置していては、やがてこの家に……ひいてはディアナやケインに災禍となって返ってくるだろう」

「……そうですね」


 今はまだ、非常時に役に立たない領主だと一部で思われている程度だろう。だが、手の内の武力である騎士団にそっぽを向かれたら……。たとえばどこかで暴動の火が燃え広がったとき、彼らはどちらを助けるだろうか。


 ゲームでは、そのような展開はなかったように思う。だが、はたしてゲーム通りにことが進むものだろうか。僕らがこうしてケイン君やディアナ嬢の中に入り込んでいること、百目木が恐らく、マリアベルの中に入り込んでいること。これらのイレギュラーが起こっている時点で、あのゲームとは別物になってしまっているのだから。


 ゲームや小説の世界に入り込む物語では定番の葛藤であるけれど、この点において、僕や大神警視の考えは一致している。


 物語の筋など、どうでも良い。

 何より優先すべきは、この身体を、本来の持ち主に返すこと。

 そうして、可能な限り、この子たちのより良き未来を守ること。

 それが不本意ながら身体の自由を奪っている僕らにできる、せめてものことだ。


「エリス……いや、これはラナがいいな。ラナを呼んでくれ。家令の動きを調べさせる」

「はっ! 了解しました」


 ――こういうとき、つい敬礼をしてしまうのだけど、人がいるときにやらないよう気をつけないとな。

 こっそりそう胸に刻んで、僕も急ぎ部屋を後にした。

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