8 人材獲得と市場調査


 北方の大貴族、グローリア辺境伯領主の城には、城主の子供らに対して最初から好意的であったり同情的な者も居るけれど、敵対的な人間も存在する。

 現在このフレアローズ城にいる者の中でその筆頭となるのは、城の左翼、西棟に居座る客人たちだ。

 それはアルフィアス男爵夫妻とグラスベリー子爵夫妻を筆頭に、ハンスが新たに雇い入れた家令と家政婦が、ディアナ嬢やケイン君をまるでいないもののように扱っているところからも伺える。

 大神警視はできるだけ城内の人間全員と、直接顔を会わせて面通しをしようとしたのだが、彼らのことは後回しに……。

 いや、はっきり言おう。放置していた。


 確実に子ども達の敵だ、と判断していたので、こっそりと影から様子を確認はしていたが、自ら接触はしていない。仮にもディアナ嬢はこの城内で最も身分の高い人物なのである。そのディアナが、勝手に居座る客のご機嫌伺いをするなど、相手に屈服するのと同義だ。その為、大神警視も僕も、徹底的に彼らと正面から接触することは避けていた。

 身分制の徹底された社会に馴染みはないが、階級社会を生き抜く警察官なのだからこのくらいの機微は言われるまでもなく承知している。


 もちろん、相手の様子を常に把握する必要はあったので、下級、中級のメイドたちを中心に、それとなく情報収集をすることは怠っていない。



「と、いうわけでぇ~。アルフィアス男爵夫人とグラスベリー子爵夫人は今日も西棟の居間で刺繍をしながらご歓談中ですぅ。アルフィアス男爵夫人が刺してたの、狼の紋章だったんですよぉ。はぁ~、お嬢様の御髪は本当に美しいですねぇ~」

「アルフィアス男爵家の紋章は、蛇と剣だったようですが……。夫人は狼がお好みなのでしょうか」

「さようでございますね。蛇を刺しているところはとんと見たことがございませんわ。……あら、この、蜂蜜パック、ですか? 本当にお肌がつるっつるになりますのね……。まあ、白いお肌が一層白くつるんとして……」

「殿方たちは、春が来る前に狩猟パーティーを計画されているそうですよぉ~。うふふ、主人のいぬ間に来客が冬の社交を主催など、おかしなことを考えるものですねぇ。あ、お嬢様動かないでくださいまし。さ、お召し替えを致しましょうね。髪を乾かして……」

「素晴らしいですわね、この化粧水、というのですか? 肌にしみこむような……」

「気に入ったのなら、ここにある物は好きに使ってくれて構いませんよ」

「まあ、よろしいのですか!?」

「本当ですか、お嬢様!? こ、ここ、この、蜂蜜パックもですかぁ!?」

「ええ。無くなったら庭師のジャックに言えば補充してくれるでしょう。作り方は教えていますから」

「きゃあー!」

「ありがとうございます、お嬢様!」


 ……と、これが本日の、ディアナお嬢様のお世話をするために東棟での仕事を抜けて入浴の補助にやってきたメイド達とのやりとりである。ちなみに、狼を家紋にしているのはこのグローリア辺境伯家だ。

 これらの会話を何故知っているかって? 隣の男湯で僕もひとり温泉につかっていたからである。聞こえてきただけで、聞き耳をたてていたわけではないぞ、断じて!


 それはともかく、このメイド達であるが、別に最初から物で釣ったわけではない。

 新しく雇われた使用人の中には、東棟の担当が極端に減らされて、ディアナやケイン付きの専属侍従がいないことを知らなかった者すらおり、担当でもないのに慌てて様子を見に来る者が増えたのだ。

 流石に由緒ある辺境伯家に雇われただけあって、メイドたちもそれなりに有能なものたちが揃っていたのである。


 大神警視が彼女らから聞き取った情報を纏めると、彼女らは就任直後から、家政婦より西棟の担当を振り分けられており、東棟は気を配る必要はないとまで言われていたそうだ。その為、大神警視と僕が揃って城内をうろついて使用人らと面通しをして、はじめて東棟に最低限の人員しか配置されていないのを知ったという始末。

 ご丁寧に家政婦ら新参の幹部達は、同時期に雇われた新参メイドと古参のメイドたちがあまり関わらないよう仕事の割り振りをしていたそうで、それも彼女らが主家で起こっているおかしな事態を知るのが遅れた原因だろう。


 目端の利く者は、家政婦らの眼を縫って、モリー夫人のごとく自分の仕事の合間に東棟へ様子を見に来るようになった。

 

 本来、己が誰につくべきか。

 自ら考え判断し、利を与える前から侍ったメイドは二名。


 エリス・メイヤーとラナ・モリスン。


 いずれも男爵家の三女や騎士爵家の娘たちで、現当主が就任後、元の従業員を大量解雇したさいに補充された人員である。

 辺境伯ハンスが雇った人物のうち、管理職にある者達は客人らにべったりであったが、この二名のように職位は高くなくとも若く目端の利く者は、たかが客人より正式な嫡子と後の後継者候補につくべきであると判断したというわけだ。

 更には、元からこの城で雇われていた古参たちはディアナに好意的である。これまではモリー夫人のように降格されたり、いじめられるのが怖くて新参の機嫌ばかり伺っていたが、ディアナの世話をし近くに侍ることで自分たちに利があるとなれば、宗旨替えするのもはやかった。


 ここで彼女らに大神警視が用意した利益は、金銭ではない。

 彼女らの雇用主はネグレクト親父なのだから、金や首をちらつかせたところでディアナに昇給や馘首の権限はないのだ。

 だが、そうであるならば、それ以外の……彼女たちが金を積んでも手に入れられない物を褒美として用意すればいい。

 ディアナに傅けばいい目を見れると思わせることができればそれでいいのだ。


 その為に大神警視と僕が用意したカードが、大ガロリア帝国式浴場と銘打った露天風呂の使用権と、そこに据え置きしたシャンプー、リンス、化粧水である。

 いわゆるアメニティというやつだ。

 科学化合物などは用意が難しいので、全て天然素材で作ったオーガニック製品だが、女性たちの心を掴むのに、これらの製品は実に効果的だった。


 蜂蜜を主に使って作ったパックは、流石に高価なものなので、無制限に配るわけにはいかない。その為、これぞという働きをした者にだけ分け与えることにした。はじめは大神警視がそんなものまで作ると言い出したときは、女児の身体に入ったことで心境に変化が? などと思ったものだけれど、最初から西棟勤務のメイド達を抱き込むのに使うつもりだったようだ。


 もともと子どものディアナの肌はつるつるもちもちなので、パックなど不要なのだが、ここ数日蜂蜜パックを使い、シャンプー、リンス、更には香油で髪を整え美幼女っぷりを磨いていたのは、宣伝効果を狙ってのことなのである。


 いつの時代であっても、多くの女性にとって美は永遠のテーマと言えよう。

 さらりとして、それでいてしっとり艶のある美しいプラチナブロンドは、陽の光の下では光の粒子を振りまいているかのように輝き、白い肌は瑞々しく触れればば吸い付くようなもっちりとした柔らかさ。

 そんな主家の娘の美の秘訣が、毎日の露天風呂での入浴と、シャンプーやリンス、化粧水にあると知れば。そうしてそれを一度でも体験してみて、自身の身体で普段との違いを実感してみれば。

 もはやそれを渇望しない女性など存在しないのだ。


 ……いや、言い過ぎた。

 一部、美貌に興味のない女性もいるにはいるし、男性使用人達は化粧水などには興味は示さなかったが、そのような者達も、一日の重労働の終わりに温泉にゆったりと浸かって風呂上がりに冷たい牛乳を飲み干す至福には陥落した。

 スーパー銭湯が娯楽として定着するのには、それなりの理由があるのである。




 と、まあそんなわけで。


「……お疲れ様です、警視」


 定位置となった図書室の椅子にぐったりと寄りかかる大神警視に、僕は侍従の如くお茶を差し出した。ジャックさんに頼んで栽培したハーブで作った特性ブレンドティーである。この皇国、英国がモデルだけあって、ハーブは結構盛んに利用されているのだ。それがあまり料理に活かされていないのは実に首を傾げたくなるところだが。


「……まあ、出だしは順調だな」


 リラックス効果を狙ったカモミールティーをくっとカップ半分ほど飲み干して、大神警視は深い溜息を吐いた。

 二名もの女性に傅かれ、全身を丸っと洗われるという苦行をこなした甲斐はあったらしい。精神疲労は激しかったようだが、西棟の客人らの様子を逐一教えてくれる目と耳を手に入れたのだから、その代償と思えば安いものだろう。


「ジャックさんから、温室でのハーブの栽培も順調だと報告があがってます」

「そうか。温泉のおかげだな。どんどん量産して、精油作りに回すよう伝えてくれ」

「はい。それにしても警視、よくシャンプーやリンス、化粧水の作り方なんて知ってましたね」

「ああ。妻が肌が弱くてな。一時期オーガニック化粧品作りにはまっていたんだ。どれが肌に合うかでいろいろ試して、片っ端から手伝わされたからなぁ。シャンプーやらリンスまで作るなんて言い出したときは辟易したものだったが……。人生どんな経験が活きるか、わからんものだな」

「なるほど、奥様が」


 そういえば、大神警視の奥様は科捜研につとめていたのだったか。科学知識も豊富だったろうから、化粧品作りも実験のノリだったのかもしれない。


 大神警視が掘り当てた源泉は、九八度と高温で濃度も濃かったので、水を足すことでほどよい温度にしている。せっかくの自然の恵みを入浴だけに使うのももったいなかったので、活用できないかと考えた末、作ったのが温室だ。裏庭の一角に温室を造り、源泉そのままを別の管にひいて、あえてむき出しにした地面に這わせるように配置したのだ。天然温泉を利用した床暖房である。

 精油は買うと高いので、消耗品であるシャンプーやリンス、化粧水に使う分はできれば自作したいという考えから、警視が床暖房付き温室の設計図を書いてジャックさんの伝手で大工を呼んで作らせた。素人の作ったざっくりとした設計図だったが、大工らはうまいこと再現してくれたので、大したものだと思う。

 これも大浴場同様、庭の整備費として計上して貰っている。

 ディアナ達を放置している家令も、何をするつもりだと渋い顔をしていたが、お花を育てるんです、と大神警視ディアナに満面の笑顔で言われては強く反対もできなかったようだ。まさか育てる花がラベンダーやらカモミールやらで、用途が精油の抽出だとは思うまい。


 ちなみに、すっかり便利に使われているジャックさんだが、オーガニック製品の作り方を伝授されたおかげで、女性たちにもてはやされているらしく、原材料が高価で数は作れない蜂蜜パックを意中の洗濯婦にプレゼントして大喜びされたとにこにこだ。おかげで彼の忠誠心はうなぎ登りで、製法は絶対に誰にも秘密にすること、という契約をそうそう破ることはないだろう。


 契約が破られた場合のペナルティもなかなか厳しいものであるので、頑張って守っていただきたいところである。


 大神警視が魔法の練習がてら温泉を掘り当ててから、城内の使用人の過半数を味方につけるまで、一ヶ月ほどがかかった。

 季節は日本でいうなら二月頭、この国の暦でいうなら雪月。

 すっかりと雪景色となった城下町を、ディアナ嬢の部屋の窓から見下ろして、大神警視はそろそろだ、と口にした。


「エリスに商家の子どもの衣類を用意するよう依頼した。それが届き次第、街に降りよう」



 周囲に味方を増やすのが第一段階であれば、次は第二段階へ進むための下調べ。

 ――市場調査の時期である。





 ***




 夜半にちらちらと降っていた雪は、朝方にはやんでくれた。からりと晴れた空は高く澄んでいて、雲ひとつ見当たらない。

 うっすら雪の積もった石畳を、無紋の馬車がゆっくりと走る。朝早くにフレアローズ城を出発した馬車に乗るのは四人。

 大神警視と僕、それからメイドのエリス。御者席に座るのはグローリア家本邸の騎士であるロイだ。


 このロイという騎士、城の警護が主な仕事で、基本的にそれなりに腕も立つし仕事ぶりは真面目なのだが、ひとつ欠点があった。

 それが、無類の女好きという点である。


 裏庭に突如できた露天風呂という一風変わった施設に、興味を示した者は騎士の中にもいた。

 男性の使用人と違って、メイドは農村の平民や下級貴族の娘たちが行儀見習いも兼ねて奉公にきていることが多い。つまり、若い娘が多いのだ。大浴場で大勢の若い娘たちが入浴すると知れば、当然のように沸いたのがのぞきを企む不届き者である。


 もちろんそうなる可能性を考え、特に女湯は露天とはいえ周囲を高い塀で囲っていたし、半分ほどはひさしを設けて城のどの位置からも見下ろせないように設計してあった。

 そんな対策を乗り越えて、のぞきを決行した馬鹿者がロイである。

 男湯から高い塀をはしごで登り、こっそり女湯を覗こうとしたロイであったが、塀のてっぺんに仕掛けてあった罠に見事にひっかかった。


 もしもを考え、仕切り塀のてっぺんには、細い紐がピンと張り巡らされていて、紐を掴めばその先に結わえられた無数の鈴が鳴るようになっていたのだ。

 その仕組みを教えられていた女性たちの通報により、ロイはあえなく御用となった。ちなみに捕まえたのは、そのタイミングで風呂に入ろうと男湯に足を踏み入れた僕である。この世界の騎士は剣と魔法に習熟はしても、体術はさほどではない。不意打ちなら、子どもの身体でも転がすのはさほど苦ではなかった。


 日本でものぞきは立派な犯罪だが、皇国の法でも微罪だが罪である。しかしながら、ケイン君にも、ディアナ嬢にすらもロイを罰したり馘首する権限はない。未遂であったこともあり、本人も大神警視ディアナに鬼のような形相で叱責されて反省していたこともあり。その時女湯にいたエリス、ラナたちの同意のもと、しばらく絶対服従、無報酬の労働奉公することで家令や護衛騎士団長への告発は免除された。


「ひぃっ、出来心だったんです、本当です、すみません、ごめんなさい、二度としません、申し訳ございません~~っ!!」


 と、床に頭をこすりつけ許しを請うたその舌の根も乾かぬうちに、ラナをデートに誘っていたあたり本当に反省しているのか疑わしいところであったが……。

 城下へこっそりと降りるには協力者が必要だ。本当は僕と大神警視だけで行きたいところだったけれど、流石に幼児の身体ではいざというとき逃げることもままならない。ならば最低限、護衛は必要だ。ロイは女好きだがそれなりに腕が立つのは訓練をこっそり見学していたので知っている。弱みを握っているのでこちらに……というか、大神警視に逆らえないので、連れて行く護衛としてはちょうど良かった。


「うう、俺の貴重な休暇がぁ~……。なんで子どものお守りなんか……。どうせならエリスちゃんとふたりっきりが良かったよぉ~……」


 お忍びなので、私服の上から黒い外套を身体に巻き付け、御者席で寒さに震えるロイは、休日返上での同行である。


「やはり騎士団長に突き出すべきだったかな」

「いえ、ディアナお嬢様。所詮未遂でしたから、大した罪にもなりません。精々、護衛騎士団長の鉄拳制裁か重くても減棒がいいところかと。それよりもこうしてお嬢様のために使い潰す方が我々としてもよろしいですわ」


 御者席から聞こえてくる愚痴に大神警視が眉をひそめたが、エリスはとっても良い笑顔で断言した。そう言われてみれば、ロイからしたらいっそ護衛騎士団長じょうしに罪を告発された方がマシであったのかもしれない。


「それもそうですね。しかしエリス、あなたまでせっかくの休暇を潰す必要はなかったのですよ」

「とんでもないことにございます。お嬢様、お坊ちゃまに供もなく街を歩かせることなどできません。エリスをお連れいただけないのでしたら、すぐにもモリー夫人へこのことをお伝えいたしますよ」

「……そこは家令じゃないんですね」

「ええ、ケイン様。お二方はモリー夫人にだけは気を遣われていらっしゃいますでしょう」


 この娘、なかなか油断ならないと思うのはこういうところである。

 まだ僕の妹の二葉と同じ年頃の少女なのだが、常からたおやかな微笑を浮かべたまま、実に良く人を見ているのだ。観察力、洞察力に優れているので、鍛えればいい捜査官になりそうである。

 エリスの言うとおり、大神警視も僕も、モリー夫人の不興はできるだけ買いたくないと考えていた。というのも、彼女は最初から。本当に、僕らが子ども達の身体を乗っ取ってしまう前から、この子ども達の味方で在り続けた女性だからだ。

 それに、大神警視はどうかは知らないが、僕にとっては警察学校時代の寮母さんに似ていてなんだか頭が上がらない、というのも理由としてあったりする。


 まあ、お忍びで街を見てみたいという子どもの我が儘に付き合ってくれるというのだ。彼女が何を思って貴重な休日を潰してまでついてきてくれたのかははかりかねるところがあるが、ありがたく受け入れておこう。


 折良く、東棟の客人たちは何故かグローリア辺境伯家の家政婦や上級使用人にあたる侍女や従僕を引き連れて、近郊の子爵領で行われる狐狩りへと出かけていった。皇都へ向けて南下する道沿いにある街で、馬車で一日はかかる距離だ。エリスの調べでは、そちらで三泊はするつもりらしい。


 ガタガタと揺れる馬車に、乗り物酔いしない体質で良かったと安堵しつつ、これに乗って遠出をするのは大変だろうと想像した。一日中乗っていないといけないとしたら、かなりしんどい。まあ、そうして交通が発達していないおかげで、彼らが長く留守にしてくれるのだ。僕らもその分自由に動けるというものである。


 いっそそのまま戻って来なければいいのに。

 かなり本気でそう思いながら、近づいてくる街の景色に目を移した。

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