7 希望、ひとすじ



 ベッドの上であぐらをかいて、両手をへその下あたりで組んで目を閉じる。

 じっと瞑想するかのように、座禅スタイルで意識を自分の内へ内へと集中させていくと、やがてじんわりと腹の奥が温かく感じられた。その熱を追いかけて、追いかけて――体内を循環させるようなイメージ。


 ほんの少し目を伏せた状態で開けば、組んだ足と手が見える。血流が巡るように、身体の中をゆっくり流れるのはこの身体に満ちる魔力だ。ほのかに青白い光が全身を包んでいた。


 腹……丹田のあたりから、ぐるりとゆっくり右回りに流れる魔力。こうして循環させていくことで魔力を練り上げ、繰り返すことで高めていく。

 この世界では、魔力は生まれる時に神々、または精霊から与えられるものだと言われている。

 ほとんど貴族の特権と言われているのは、最初に加護と祝福を与えられた魔法使いたちの血統を守ってきたが故だ。精霊達はその古い血を好み、より由緒ある家系には強い魔力を持った子が産まれやすい――らしい。


 おおよその魔力量は産まれたときに決まるが、成長するにつれてまったく増えないというわけでもなく、こうして魔力を練ることで増幅することもある。もっとも、成長率も魔力量に比例するので、やはり持って生まれたものの大きさが重要になってしまうそうだが。


 こうして魔力を練ることで、コントロール力を上げることにも繋がるので、魔法を勉強しはじめてからは就寝前の日課としていた。

 じわ、と少し汗が滲む。

 循環する力の流れが、日に日にはっきりと感じ取れるようになったような気がする。

 初級魔法書によると、普通は最初から自分の魔力を感じ取ることはできないものらしく、人によっては一週間、一ヶ月、とかかることもあるのだとか。

 それにしては僕も大神警視もすぐに魔力らしきものを感じ取ることができたので、もしかすると子ども達自身が毎日この基礎トレーニングを行っていたのかもしれない。それこそ、身体が覚えていたから、すぐにこなせるようになったと考えるのが妥当だろう。


 ……何てことを考えていたら、ふと、僕は気付いた。


 深く深く集中して、魔力の流れを追っていくうち……ふと、何か別の熱源が、身のうちにあるような、そんな不思議な感覚に。


(あれ……? 何だろう、これは……)


 魔力の流れとは少し違う。

 それが何なのかはわからないが、悪いものとは思えない。

 だがその正体が掴めなくて――……。



「居たぞ、佐藤くん!」


 ノックも何もなく、唐突に部屋のドアが乱暴に開かれ、弾丸のように寝間着姿の上司が飛び込んできた。

 前置きも何もなく、頰を薔薇色に上気させ、輝かんばかりの笑顔で大神警視は僕の肩を両手で掴んで揺さぶった。


「どうなっているのかは相変わらずさっぱりだが、きっとまだ間に合う! この子たちはまだここに居た!」

「……は、え?」


 ここ、と自分の胸を掌で押さえる大神警視。その言葉の意味を考え、呑み込み、そうしてますます僕は混乱した。

 この子達、というのはディアナ嬢とケインくんであるはずだが、ふたりが居たとはどういうことだ。

 僕が混乱しているのを見てとって、ようやく大神警視は少し落ち着きを取り戻し、興奮していたことを恥じたかごほんとひとつ咳払いをして誤魔化した。


「あー……、夜中に騒いですまない」

「え、いえ。しかし、あの、この子たちが居る、というのはどういうことですか?」

「ああ、実はな……」


 詳しく聞くと、こういうことだった。


 魔力を練るための基礎トレーニング……長いから瞑想にしておこう。瞑想をしていたところ、大神警視は身体の内に、自分とは違う何者かの気配を感じたのだという。

 魔力の流れとも異なる、かすかな熱源。意識してそれを追って捕まえようとしたが、捕まらない。しかし、それが自分ではない誰かの――恐らく、意識の一部ではないかと感じられたのだ。


「あ、あの、それ……! 僕もさっき、似たような感覚に陥ったんです。自分の中にもう一つ、何か別の熱源のような、何かの核のようなものがあるように感じて……!」

「それだ! 妙ではあったんだ。私にはどうしても、転生というのがしっくりこなかった。この身体の持ち主が消えてしまったように感じられなかったからだ。合理的な説明はどうしてもつかなくて黙っていたが……。だがついさっき確信したぞ。この子達はまだ、確かにこの身体の内に居るんだ」


 胸元を押さえ、大神警視は大きく安堵したように口元をほころばせた。わずかながら緊張が弛んだように、最大の懸念事項がひとつ解決したかのように。


 その気持ちが伝搬してきて、僕の心もふわふわと浮き立ってくる。


 あの熱源の正体が何であるのか、本当のところはまだわからない。だけれど、僕もまた、直感的に感じていたのだ。これは悪いものではない。あって当たり前のものなのだ、と。


 恐らくあれは……魂とか、そう呼んでいい類いのものなのではないか、と思う。

 魂というものが存在するのか否かというのはきっと意見の分かれるところであろうから、精神と言い換えても良い。


 要するに、この身体の本来の持ち主の自我が、完全に消え去ったわけではないということが重要なのだ。

 消えていないのならば、まだ戻せる可能性はあるはずだ。

 子ども達にそれぞれの身体を返してやって、できれば僕らも元の身体に戻りたい。

 その願いが叶う可能性がゼロではないのなら、この先のモチベーション向上にも繋がるというもの。


 僕らはこの珍妙な状況になってから、恐らく初めて、一切の虚勢もなく安堵し、歓喜することができた。



 ――夜中に騒いでいたことで、駆けつけたモリー夫人に揃って叱られるまでは。





 ***





 魔法は理論と実践が重要であるらしく、豊富な魔法書があるおかげで独学に困ることはなかった。

 数学や科学知識は僕らの持っている現代のものの方が進んでいるし、言語もガロリア皇国の公用語が英語で、これは大陸の共通言語でもあるから読み書きにも支障はない。大ガロリア帝国で使っていたのが古英語という扱いらしい。

 どうやらこのあたりは、ガロリア皇国の宮廷や社交界が、基本は近世英国をモデルにしているため、ゲーム内での言語表記に英語が使われていたのが反映されているようだ。


 中近世ヨーロッパ各国で共通して、公式書類の言語表記はラテン語が主だったはずなので、それじゃないのかと突っ込みたかったが、いちいち気にしていても仕方が無い。そういうものだと割り切ることにして、周辺諸国家の言語事情を調べてみれば、神聖ロザリア王国はドイツ語圏らしい。ガロリア皇国と神聖ロザリア王国それぞれと国境を接しているフラシェ王国はフランス語圏である。

 グローリア皇国とは国境を接していないが、神聖ロザリア王国の隣国にスペイン語圏もあり、その国が東方との窓口になっていた。ローマ帝国モデルが下敷きなのに、イタリア語圏がないのはいかがなものかと思ったが、まあないものはないので仕方ない。


 魔獣がいて、魔物がいて、魔法がある。

 そんな世界なら科学の代わりに魔法が生活を便利にしているのではないか? と思ってもおかしくはないのだけれど、どうもこの世界では魔法……魔力は特別な、神からの授かり物という認識で、魔力が強いということはそれだけ神に愛されている、特別な存在であるという思想が根強くある。

 そうしてその魔力を持つ貴族は、もともとはその力でもって無力な民を守る存在だった。

 要するに、この世界で発達している魔法は魔獣や魔物との争い……戦闘に特化したものであり、生活に役立てる方向では進化していないのである。


 魔力を持っている人間が希なのだから、それも仕方がないとも言えるが、おかげさまで戦闘における攻撃力や防御力は高いが、文明レベルは近世初期レベルといったところだろうか。


 魔法を使える人間が、農作物の品種改良や土壌改良に力を貸したり、土木工事や治水施設の造営に協力をすれば、かなりの進歩が見込めるのではないかと思うのだが……。そういった研究はいまいち進んでいないらしく、そもそもそんな研究をしている者は変わり者扱いされているというのが現実である。


 その変わり者が、実はグローリア辺境伯領に存在していると知ったのは、大神警視が温泉を掘り当てた一週間後、せっかくだからと石鹸と蜂蜜と精油でせっせとシャンプーを作っていた時のことである。

 厨房の隅を借りて作業をしていたため、それを教えてくれたのももちろん厨房の使用人で、料理長のカールさんだ。


「なんだか懐かしい光景ですなぁ。ディアナお嬢様の大叔父様にあたる、レイナード様を思い出しますよ」


 たらいにぬるま湯をはり、すり下ろした固形石鹸やら貴重な蜂蜜やら精油やらをぶちこんでは混ぜていく僕らの姿を見て、カールさんは仕事の手を止めて懐かしげに眼を細めた。

 なんでも、ディアナの大叔父、レイナード・グローリアは、ディアナの祖父であるアーネストの末の弟で、社交界でも変人、変わり者として有名なのだという。


 アーネストが爵位を継ぐさい、レイナードはグローリア辺境伯の持っていた爵位の一つであるエヴァローズ子爵領を与えられ、現在はレイナード・エヴァローズを名乗っている。


 ここは元々、領主の子で自力で生活の糧を得られそうもない者に与えるためのもので、一応小さいながら領地はあるが、そこから得られる収入は慎ましいものだ。贅沢をしなければ、一家が貴族としての対面を保ちつつ生活できる程度の土地でしかない。そこで彼は、領地経営を家令に任せ、魔法の研究に没頭しているそうだ。

 エヴァローズ卿は未婚で子どももいない。幼い頃から好奇心旺盛で、実験と称しては厨房の隅や裏庭で妙な薬品やら薬草やらを混ぜ合わせたり、精油を作る実験をしたりしては遊んでいたらしい。


 僕らとしては快適な生活を求めて、必要な日用品を、ある物でなんとか作ろうと努力しているだけで遊んでいるわけではないのだが……。どうやらはたから見ると、子どもの実験ごっこに見えるらしかった。


「レイナード大叔父様、ですか……。会ったことあったかな……」

「大旦那様と大奥様の葬儀の際にいらしたきりですから、ケイン坊ちゃんはお会いしたことないはずですよ。あ、いや。ディアナお嬢様もあの時はショックで伏せっていらしたから、お二人ともお会いしたことがないでしょうね。変わったひとですが、子ども好きでいい人ですよ」


 エヴァローズ子爵領に籠もりきりで、めったなことでは社交界どころか生家であるグローリア辺境伯家にもやってこないらしい。

 貴族の魔法は魔獣たちの脅威から民を、ひいては国を守るためにある、という信念のもと日々領境の守りに精を出しているグローリア辺境伯家の分家や臣下筋から見ると、エヴァローズ子爵は本家の血筋でありながら、豊富な魔力を遊びに費やす不届き者という扱いになるようで、存命のもう一人の大叔父であるグレイ伯爵セドリックと非常に折り合いが悪いのだとか。


 セドリックは勇猛果敢な騎士であるそうで、筆頭分家のグレイ伯家に婿入りし、伯爵家を継いだ。そうして現在は、皇都に入り浸りのグローリア辺境伯当主に変わって領境の北の山嶺で日々魔獣を退けている騎士達の指揮をとっているのだという。

 ……つまりハンスは老齢の義理の叔父に、時に命を落とすこともありうる危険地帯での警戒任務を任せて、皇都で愛人を囲って社交界で放蕩の限りを尽くしているというわけだ。


 うん、屑だ。

 わかっていたけど、本当に屑だ。


 貴族だって縦割り社会だから、基本的に爵位が上の者には逆らえないのだろう。警察官として心からアルグレイ伯爵に同情する。

 しかしそうなると、自分が日々危険に身をさらしているのに、実の弟が暢気に領地に引きこもって趣味を満喫しているとなったら腹立たしく思うのも、まあわからないでもない。


 の、だが。


「…………一度会ってみたいな」


 大神警視が興味を示したのは、エヴァローズ子爵の方だった。


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