2 基本方針の確認
暖炉にくべられた薪がオレンジ色の炎となって、冷え切っていた部屋を暖めてくれる。エアコンなどどこを見回してもあるわけもなく、暖房器具といえばコレであった。いや、暖かいから良いのだが。
早朝に寝間着でうろついていたせいですっかりと身体も冷え切っていたのだが、ようやく人心地つくことができた。となれば、いつまでも現実逃避していても仕方がない。僕はやっと現実と向き合う気力を絞り出すことができた。
「……大神警視」
「なんだ、佐藤警部補」
「本当に、大神警視なんですね……?」
場所は僕が最初に目覚めた部屋で、一脚しかない書き物机の椅子に座っているのは、薄桃色のネグリジェを着た美幼女? 美少女? だ。暖炉の脇に移動させた椅子の上で、ちょこんと座って優雅に足を組んで僕を見下ろす瞳は、「今更何を言ってるんだこいつ」と語っていた。
「いえ、わかってます。わかってますが、念のための確認です。だって今のあなた見て、大神警視だなんて普通思うわけないじゃないですか」
「名乗りもしていないのに看破しておいて、今更すぎないか」
「いやいやだって、あの号令はめちゃくちゃ警視だったんで」
床に敷かれた絨毯の上に座り込み、暖炉の火に両手をかざしたままぼやく。
反射的に号令に従ったし、まあまず間違いなくこの人は僕の上司であろうと確信はしているのだが……。いかんせん、あまりにも見た目が違い過ぎて、脳が混乱してしまうのだ。
僕が知っている大神警視は、身長百八十センチの細マッチョな、見た目インテリ系の美形である。中身は割と体育会系だが、警察官なんてそんなものだから他と比べたら誤差の範囲だ。
サラサラ艶々の黒髪や、きめ細かい白い肌は女性警官たちもうらやむ程で、三十歳という見た目よりずっと若く見える彼は、羨ましいほどのイケメンだった。顔も平凡な僕とは大違いの、芸能人でもちょっと見ないくらいの美丈夫だったのだ。
それが何がどうしてこうなったのか、現在は白金の長い髪に、神秘的な群青色の瞳の美少女だ。そのくせ口調や雰囲気は大神警視そのままなものだから、視覚情報と記憶の中の人物像が一致せずバグってしまうのは仕方ないだろう。
と、懇切丁寧に僕の抱く戸惑いを説明したら、大神警視はフン、とつまらなそうに鼻を鳴らした。小生意気な仕草であったが、幼げな少女がやれば可愛らしく見えるのだからずるい。
「それを言うなら私だって十分違和感を抱いているぞ。そこの鏡で今の自分の姿を良く見てみるといい」
「う……。まあ、それはそうなんですが……」
警視の言うことは事実なのだろう。完全に別人の姿になっているのは僕も同じだ。
なんせ今の僕ときたら、赤味を帯びた金髪に蜂蜜色の瞳の、なかなかの美少年なのだ。将来はきっと美形に成長することだろう。
ちなみに本来の僕は、身長百九十センチで体格も良く、鍛えていたので太ってはいなかったが、がっちり系の体つきだった。大神警視と並ぶと王子様と熊男、なんて言われていたものである。もちろん熊が僕だ。悲しくなんてない、毎日欠かさなかった筋トレの成果なのだから、悲しくなんて……。
ウソです。僕だって人生で一度くらい女性にちやほやされてみたかったです。この身体の少年なら、きっとそれがかなうのだろうなあ。
ちくしょう、羨ましいな、イケメンどもめ!
「そ、それはともかく! この状況について一度整理しませんか!」
「君が言い出したんだろうに。まあいい。正直私にはこの状況に心当たりはない。そうだな……せいぜい、あの女が妙なコトを口走っていたのを聞いたくらいか」
「あの女……。百目木真莉愛ですね。自分の記憶では、自殺しようとして……」
口にして、はたと気付く。
そういえば、あの時のあの奇妙な赤い光。あの円形の部屋一杯に広がった模様は、まるで魔方陣か何かのようではなかったか。
それに気を失う前、確かに聞いたあの女の言葉――……。
「……異世界で逆ハー作るとか、なんとか……言っていた、ような……」
逆ハーはともかく、異世界転生?
そういえば、変な呪文を唱えていたよな? 異界の門がどうたらこうたらと長々と……。あ!?
「まさか、あのご遺体は贄!? あの教団がやってた儀式ってもしや……!?」
「……まあ、その異世界転生とやらが教団の目的か、百目木個人の意思かは確かめようもないことだが、原因があの女であることは間違いないだろうな」
「け、警視! 大変ですよ、 異世界転生ってことは、僕らあのまま巻き添えで死んだってことじゃ!?」
「落ち着け。あの時致命傷を負っていたのはあの女だけだ。集団幻覚を見せられているのかもしれないだろう」
「幻覚がこんなにはっきりしてるわけないでしょう!! 最悪だ、そんな……こんなことって……! 勘弁してくれ、妹はまだ高校生なんですよっ!? 僕が死んだら誰が妹を大学まで」
「だから落ち着け」
「ぶへっ」
半ば錯乱しつつ警視が座る椅子の足をひっつかんでがたがた揺らしたら、思いっきり顎を蹴り上げられた。子どもの力でも、的確に急所を狙って蹴られれば死ぬほど痛い。
「ひ、ひろい……」
顎を両手で押さえて絨毯の上を転げ回る僕を、大神警視は冷たく見下ろした。
「非常時こそ冷静に。何度も言わせるな」
「ひゃい、すみません……」
「その取り乱しようを見るに、君は異世界転生というのがどういうものか知っているのだな」
「え? えーと、まあ……。最近のライトノベルや漫画ではよくあるというか、主流ですので……」
「ふむ……。すまない。その手のものには詳しくないんだ。説明を頼む」
あ、妙に冷静過ぎると思ったら、どうやらこの上司、ことの重大さをいまいち理解しきれていなかったようだ。まあ、普通目が覚めたら部下ともども見知らぬ子どもの中にINしていて、しかも中世ヨーロッパの城のような場所にいた、となれば現実味などあるわけもない。
「ええと、異世界転生というか、便宜上異世界モノと総称しますが、Web小説を中心に流行している物語のテンプレ……のようなものです。平凡な主人公が、ある日不慮の事故などで死んで、異世界……主にファンタジー世界などに転生し、前世の記憶や転生時に与えられた特殊能力などを駆使して大活躍する、というものですね」
「……なるほど、アーサー宮廷のヤンキーのようなものか」
「えっ。あ、まあそうですね、それが草分けと言えるかもしれません」
十九世紀にアメリカで書かれた小説の存在を、僕は言われるまで思い出しもしなかった。しかし確かにアレは異世界ものの重要な点を抑えている。違うのは、流行っているのはトリップより転生が多いところだろう。
「君は先ほど随分絶望していたが、何者かの意思によってここへ来たのなら戻れる可能性もあるんじゃないか?」
「確かに一昔前までの異世界モノでは主人公は異世界から元の世界に帰ることを目的にしてましたが、昨今は異世界に定着・定住しそこで新たな人生をやり直す、というのがメインなのです。転生ではなく、ゲームの勇者召還のような召還モノですら、一方通行で帰れない、というパターンがほとんどですよ」
僕自身そこまで詳しいというわけではないが、年の離れた妹との共通の話題作りのために、妹が薦めてくれたものは片っ端から暇を作り出しては読んできたのだ。妹の二葉は誰に似たのかオタクで、漫画も小説もゲームも大好きで、リビングのテレビはもっぱら妹がアニメを見たり、乙女ゲームをプレイするためにあるようなものだった。
おかげで異世界転生ものとは、と上司に説明できたのは幸いだが、こうして当事者となって思うことはひとつである。
「……その主人公達は、平凡という割に順応性がとんでもないな? 死んだことを自覚していたとしても、気付いたら別人になっていたなど、そうそう受け入れられるものではないだろうに」
「まったくもって同感であります」
どうやら大神警視も僕と同じ思いを抱いたらしい。
正直こんな異常事態に即座に順応できる人間は、ちっとも平凡なんかじゃない。普通はもっと取り乱すし、現実逃避したり、なんとか元の世界に戻ろうと悪あがきするものだろう。そう、僕らのように。
「まあ、ああいうのは所詮創作の世界のことですからね。問題は我々の身に起こったのが転生なのか、憑依なのかですよ。転生だと現実……と言っていいのか解りませんが、元いた時代の日本に戻れる可能性は皆無でしょう」
「そうだな……。しかし我々が死んだのかどうか、現状確認しようもない。さっき説明してもらった憑依であれば……。戻れる可能性もあるのではないか?」
そうだ、僕らには自分が死んだ、という認識はなかった。それならば、現実の自分たちの身体は昏睡状態で、やけにリアルな夢を見ているという可能性もある。もしくは、幽体離脱のように意識だけこの世界の少年少女に憑依してしまったということだってありうるのでは?
そうだ、絶望するのはまだはやい。僕らはこの世界のことを何も知らないのだ。
「そうですよね、諦めたらそこで試合終了でした……!」
「試合ではないが、まあ元気が出たなら良かった。ひとまず当面の方針を確認しておこう。最終目標は元の場所・身体に戻ること。その為にこの身体の本来の持ち主についてと、この世界について知らねばなるまい」
「はっ!」
びしっと直立して敬礼し、僕はさっそく行動を開始しようと部屋の中をぐるりと見回す。クローゼットはすぐに見つかり、開けてみればこの少年の持ち物と思しき衣類が詰められていた。どれも現代日本の少年が好んで着るようなものではないが、幸いなことに実際の中世ヨーロッパの貴族子息が着るようなごてごてとしたものではなかった。どちらかというと、ファンタジー系の乙女ゲームだか少女漫画だかに出てきそうな装いだ。
いずれにせよ、着れればいいだろうとズボンとシャツ、上着を着込む。そこで僕ははたと気付いた。
大神警視に椅子から動く様子がないのだ。
「警視? いかがなさいましたか」
「あ、いや……」
「警視がいた部屋はふたつ隣なんですよね? 流石に情報収集で動き回るなら、寝間着のままというのは、家の者に不審に思われますよ」
「それはそうなのだが……」
もちろん僕が言うまでもなく、大神警視はそんなことよく理解していたことだろう。しかし彼は、年の離れた妹がいる僕なんかよりもよっぽど、女心への配慮があったらしい。
「その……。いかに幼女とはいえ、見知らぬ男に着替えさせられるのは可哀想ではないかと思ってな……」
「あー……」
幸いなことに僕が入り込んだ身体の持ち主は男の子だ。しかし大神警視の方は恐らく貴族のご令嬢である。いくら幼児だって女は女。二葉も六つになる頃には僕とお風呂にはいるのも嫌がるようになっていたもんな……。
思い出したらちょっと切なくなってきたが、それはおいといて。
「お気持ちはよく解りますが、それ言ってたらトイレも風呂も行けませんよ……」
僕の指摘に、大神警視はだよなあ、と大きな溜息をついてとぼとぼと少女の部屋へと戻っていった。
警視が着替えている間、僕は廊下で待機していたのだが、結構な時間待たされることとなる。
部屋から出てきた大神警視は随分ぐったりとしていて、ベビーピンクの生地にフリルたっぷりの女児用ドレスを着ていた。子ども用なので、着方はそこまで複雑ではなかったそうで、ひとりでも着用できたそうなのだが、時間がかかった理由は言われずとも理解できたので、僕は何も言わず口をつぐんだ。
――三十路男が着るには、精神的に抉られるような代物しかなかったのだから仕方ないのである。
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