息をして

コンクリートの感触がざらりと素足を伝った。

潮風が汗でべっとりと額に張り付いた前髪をなびかせた。僕は手に持っていた参考書と青いラムネの瓶を足元に置いた。


カフェmerの裏にある堤防。今日のようにからりと晴れた夏真の日であっても人けのないこの場所は僕のお気に入りだった。


僕は堤防の上に立って全身に風を感じた。どこまでも広がる青い空に少し近づくとなんだか心が軽くなるような気がした。下を見ると、十数メートルほど下に黒々とした波が幾重にも打ちつけられていた。長いことその動きを見つめていると、不意に背後から声がした。



「君、そんなとこに立ってたら危ないよ。」



僕は驚いて振り返った。彼女は表情とは不釣り合いに美しい顔立ちをしていた。見知らぬ女は突然話しかけたと思いきや、当たり前のように僕の隣に腰掛けた。


「よっぽど魚とお友達になりたいみたいだね。」

白いワンピースをはためかせてそう言った。



「は?」

僕は何が起こったのか処理しきれずにまたアホみたいな顔をして彼女を見た。


これが彼女、いや日向さんとの出会いだった。




「参考書持ってるけど受験生?」

彼女は細い指でサラリと足元の参考書を拾い上げた。

「え、あ、はい…。一応、まだ高2ですけど。」

僕のコミュ力を舐めないで欲しい。知らない人に突然話かけられて上手く返せるわけがない。



「君毎日来てるよね。」

そう言ってイタズラに笑った。


「はい。なんで知ってるんですか。」


彼女は「家が近いからさ。」とはぐらかした。


「どうして毎日この海に来るの?

よっぽどここが気に入ってるみたいだけど。」


僕はどう答えようか迷って彼女の目を見た。くすんだすりガラスのような目。僕と似た目をしていた。だから彼女には教えてしまってもいいと思えたのかもしれない。


「海を見て確認してるんです。外に世界がある事を。窮屈な日常に溺れないように。僕は自分のいる狭い世界だけが世界の全てじゃないって。参考書の小さな文字ばかりが世界じゃないんだって。毎日確認してるんです。そうやって僕はこの窮屈な世界で呼吸してるんです。人間、息継ぎしないと溺れちゃいますよ。」


彼女の瞳がキラリと目が輝いた。

 

「へぇ、君面白いね。私は日向。君の名前は?」

「僕は葵です。」


恥ずかしげもなく見ず知らずの人に話してしまった事を後悔しながら僕は片隅に置いていた参考書をカバンに戻した。


「僕、そろそろ塾があるので帰ります。」


「ここに来たらまた会える?」

「僕はここじゃないと息ができないんです。」

日向さんは僕の言葉を聞いてクスリと笑った。

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