4.≪ランブル≫②

「全員揃ったところで、状況を整理しよう。まずは睦月からだな。何から知りたい?」


 何から知りたいかと問われ、睦月は考え込んだ。

 聞きたい事なら山のようにある。ここがどこなのか、自分が今魂だけだというのは本当なのか、なぜそれがわかるのか、なぜ彼を保護したのか、そもそも彼らは何者なのか――


 悩みに悩んで、睦月はまず友香が自分を発見した時の状況について訊ねることにした。自分の記憶とすり合わせるためだ。

「私が気づいたときには、あなたはグラウンドの前にあるバス停のベンチのところにいたわ。グラウンドの上にミシレの――湖と建物の風景が重なっていて、あなただけがそれに気づいているみたいだった。それからふらふらと湖に向かって歩いて、そして倒れたの」

 彼女の言は、最後を除いて睦月の記憶と間違いなく一致していた。だが、それだけに一層、これが睦月の無意識が作り出した夢なのか、現実なのか、その判別はつけられない。

「萩原君、あの時、湖が見えてたよね?」

「うん」

「あなたが倒れた直後、体から中身が抜けて――それが今のあなたね――、結局こっちに来てしまった。私は慌てて追いかけたけど間に合わなくて」

 ごめんね、と苦笑交じりに言って、友香は肩を竦める。この辺りからは、睦月自身の記憶にはない話だ。

「ちょうど、お嬢は俺と通話中だったからな。おかげで素早く対応することができた。事情を聞いた俺が指揮官に報告し、指揮官が君を見つけたら保護するようにとミシレに通達したんだ」

 友香の説明を引き継いだレオの言に、睦月は最前のアレクとのやり取りを思い出した。森の中で少し話していた時のことだ。

「そうだ、アレク。さっきどうして僕を保護するのか聞いたとき、僕が特殊だとか何とか言ってたよね? あれはなんで?」

「ああ、そのことか」

と、アレクは頷く。

「いくつかあるんだが、まずはこの世界への渡り方だな。さっき友香も言ってたが、おまえの世界の風景にミシレの湖の風景が重なって見えたんだってな? そんな形でそちらとこちらの世界が接触するなんてのも、そのまま歩いてこちらに渡るなんてのも前代未聞だ。

 それに――、こちらに来てからの今のおまえの状態もかなり特殊だな」

「そうなの?」

と睦月が首をかしげると、何故か全員が苦笑を浮かべる。

「本当なら、生きている人間の魂がこの世界に来るのは、それこそ臨死体験の時くらいなんだ。しかも、そうやってこちらに迷い込んだ魂は、この世界を正しく認識できないし、この世界の者に触れたり言葉を交わしたりもできない。ミシレまで行ったんなら、湖から建物に向かう行列を見ただろ?」

「うん――」

 あの半透明の人々を思い出した途端、背筋がぞっと泡立つ。ぶつかってもすり抜けてしまう、こちらを全く認識していない人々のうつろな目を思い出したのだ。

「アレの大半は死者の魂だが、生者であっても本当ならあんな風に、人間の魂とは接触できないはずなんだ。だけどおまえは何の問題もなく俺たちとこうやって接触できてるだろ?」

「……うん」

「とはいえ、おまえが実体を持った人間じゃないことは、わかる奴にはわかるからな。通報されてさっきみたいに追われるだけならまだしも、親切ごかしに近づいて悪事に利用しようなんて奴も出てきかねない。

 それに、前例のない越境の仕方をしたことも考えると、誰かが故意におまえを呼び寄せた可能性も捨てられない。だから何はともあれ、早めに身柄を確保しておきたかったんだよ」

 そう言うと、アレクは睦月に視線を向けた。

「――というわけだ。ほかに何か、聞きたいことはあるか?」

「ええと……」

 睦月は考え込んだ。聞きたいことはまだ山のようにあるが、その中でも、確認しておきたい問いがひとつある。だが、それを口にすると後に戻れなくなってしまいそうで、睦月は躊躇した。

「睦月?」

「……あのさ、これって僕の夢じゃないの?」

 迷った末、かなり婉曲な問いを睦月は発した。本当に聞きたい事柄をそのまま問うことには、心のどこかがブレーキをかけた。

「なるほどな。……夢であってほしいか?」

アレクが静かに問い返す。睦月は小さく頷いた。


 正直なところ、夢に違いないと睦月は思っているし、そうでなければ困る。

彼らの話を総合する限り、これが現実であれば、自分は困った状況に置かれていることになるからだ。

 実際、夢であれば、大抵のことに説明がつくのだ。

 最初に目覚めたあの森がいつもの夢に出てくる森に似ていたことも、友香が睦月の倒れた状況を知っていることも、彼女が撮影した病院の写真でさえ、「潜在意識の働き」の一言で説明できる。

「それに、ほら! 言葉だって」

と、その事実にふいに思い至り、睦月は言い募る。

「みんな日本語で話してるじゃん」

 アレクは見るからにヨーロッパ系の顔立ちだ。レオは一見国籍不明だが、日本人ではないことは明らかだし、佳架もアジア系だが日本人ではなさそうだ。なのに彼らの口から出るのは、流暢を通り越して自然な日本語ばかりである。

 これが夢でなくて何だというのだ。

 しかし勢い込んだ睦月とは裏腹に、アレクは小さく苦笑し、レオは感嘆したように大きく頷く。

「なるほど、君の認識ではそうなっているのか、面白いな」

「?」

 感心しきりといった風情でレオは顎を撫でているが、何を面白がっているのかよくわからない。アレクの方に視線を向けると、苦笑いを浮かべながら天井を見つめていた。

 ややあって、アレクは睦月に視線を戻した。

「先に言っておくが、俺たちが日本語を話しているんじゃなくて、おまえが俺たちの言語を話しているんだからな」

「………………嘘」

「嘘を言っても何の得にもならないだろ。本当だよ」

「今だって日本語でしゃべってるじゃん」

 ここに来て以来、言葉がわからなかったことは一度もないと、睦月は強い口調で言い返す。

「だからおまえが特殊事例なんだって。脳内で変換されてるんだろうが……理由はわからん」

「まあ、自力で言葉を切り替えなくていい分、楽でいいじゃないですか」

そう言って笑ったのは、レオだ。

「俺は指揮官やお嬢と違って、日本語はあまり得意じゃないからなあ」

「そういう問題なの?」

 苦笑交じりに友香が返すと、レオはさらりと肩を竦めて見せる。

「意思疎通がスムーズなのに越したことはないだろう?」

「そうだけど……、それにしてもどうしてこんなに前例のないことばかりなのかしら」

「可能性だけなら、いくつかありますけどね」

と、佳架が口を挟む。

「誰かが彼をこちらに呼び込んだのだと仮定して、その人物が彼にその力を与えたとか。あるいは彼自身にこちらの世界の血が入っているとか」

「……確かに、そのパターンはあるか」

腕組みをして、アレクが頷く。

「その辺りの疑問を解決するためにも、睦月がこちらに来る前後の状況について話を聞いた方がよさそうだな」

 その言葉につられるかのように、全員の視線が睦月の上に集まった。


 話といっても、せいぜいゼミの後から始まった眩暈の件と、湖の幻影を見る直前に聞こえた声の件くらいしか睦月には語ることがない。

 だが、それでも彼らには多少の手掛かりにはなったようだ。

「声……ねえ」

 睦月の話を聞き終わると、アレクは再び天井を睨んで唸った。

「男の声って言ったよな? どんな感じだ? 年齢は? 声の調子は?」

「わからないけど、多分30歳よりは上だと思う。でもおじいさんというほどでもなくて、せいぜい50代くらいまでの間だと思うけど」

「大分幅がありますね。思い当たる相手は?」

「まったく。どっかで聞いたことがある気もするんだけど、いまいち……」

「友香。おまえには聞こえたか?」

アレクの問いに、友香は首を横に振る。

「いいえ。それらしき人物も見てない。多分、彼に直接つないでたんでしょうね」

「テレパシーか……、それとも――」

目を伏せ、アレクが呟く。

「それとも?」

「いや……」と言葉を濁らせて、アレクは小さく首を振る。

「それより睦月。その声をどこで聞いたのか、思い出せるか?」

「うーん……さっきから思い出そうとはしてるんだけど、わからないんだよね」

 父や親戚の声ではない。ならば大学の教授たちか、それとも高校までの教師か。思いつく限りの中年男性の顔を思い出していくが、その中に当てはまる声の持ち主はいない。

「なら、それ以外に何か変わったことはなかったか? ここに来る前後だけじゃなく、この数日含めて思い返してみて、どうだ?」

「変わったことねえ……」

 そう言われても、サークル活動もアルバイトも今はしていない。残念ながら、大学と家の往復くらいしかしていない、変化とは無縁の生活だ。変わったことなどあるはずもない。

 そう言うと、アレクはわかりやすく肩を落とした。

「そうか……、まいったな。手掛かりなしか」

重たい溜息を吐き出した、その時だった。

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