第8話
オッサンが女子高生たちとの入浴を頑なに拒んでいたのには理由があった。
それは『いつこの変身が解けるかわからない』から。
変身の元となった『メタモルフォシスの石』は幻の秘宝とされているので、効果を知る者はいても、それがどれくらい持つかというのを知る者はいない。
オッサンは最悪の事態を危惧していたのだ。
『入浴中に変身が解ける』ということを。
もしそうなってしまえば、最悪の事態が待っている。
仮に女子寮の食堂の段階で変身が解けていたとしたら、女子高生といっしょに食事をしたくらいなので、情状酌量の余地はあるだろう。
しかし入浴ともなれば、そうはいかない。
まわりの女生徒からは袋叩きにあい、衛兵に突き出され、史上最大のド変態として名を残すことになるのは間違いない。
オッサンは流されるままにここまで来てしまったことを後悔していた。
そして二度とこの過ちは犯すまいと、女子寮の廊下を爆走していた。
この小さな身体にもすっかり慣れていて、ネズミのようなすばしっこさを発揮。
通りすがりの女生徒たちの脚の間をちょろちょろとすり抜け、女子寮を飛び出した。
もうこんな所にはいられないと、学園の敷地内からも脱走しようとしたのだが……。
「ワンワンッ!」
背後から白い大型犬が追いかけてきた。
今のオッサンにとっては巨大モンスターである。
「うわあああっ!?」
ビックリしたオッサンは躓いて転んでしまい、犬に飛びかかられてしまう。
身体じゅうをベロベロと舐められたのち、子猫のように首根っこを咥えられ、女子寮の庭にある犬小屋に連れ込まれてしまった。
『ペロ』というネームプレートの犬小屋に住んでいるその大型犬はオッサンを自分の子供のように舐め回し、大きな身体にくるんだ。
オッサンは身体じゅうがベトベトで、しかも逃げようとしても逃げられない。
「うう……」と犬小屋のなかでグッタリしていると、外からスカイたちの声が聞こえてきた。
「おーい、ドンちゃーんっ! どこに行ったのーっ!?
もうお風呂に入れたりしないから、出ておいでーっ!」
オッサンは一も二も無く叫ぶ。
「こ、こっちだ! たっ、助けてくれーっ!」
すると声をたよりに犬小屋に集まってきた少女たちが、しゃがみこんで覗き込んできた。
「あっ、ドンちゃん、こんな所にいたの!?」
「あはは、ペロのベッド、チョー気持ち良さそうだし!」
「まったく、世話を焼かせおって!」
「ペロさんも、ドンちゃんさんのことが大好きみたいですね!」
「もふもふがさらにもふもふになった」
少女たちの手によって救出されたオッサンは、精も根も尽き果てていた。
耳はしおれ、全身は毛羽立ち、しっぽは垂れ下がっている。
「もう、どうにでもしてくれ……」
「ごめんごめん、ドンちゃんがそんなにお風呂嫌いだったとは知らなかったんだ。
もう無理に入れたりしないから安心して。かわりに、セフォンちゃんがふきふきしてくれるから」
「はい、ふきふきさせていただきますね」
セフォンはいつも持ち歩いているという白いタオルと石けん水で、オッサンの身体を清拭してくれた。
それは驚くほどの汚れ落ち性能で、オッサンの毛並みは洗い立ての猫のようにふさふさになる。
「よーし、それじゃあドンちゃんも綺麗になったところで、みんなでジャンケンしよっか!」
「なに? 今度はなんのジャンケンだ?」
「誰がドンちゃんといっしょに寝るかのジャンケンだよ」
「寝る!? 俺といっしょに!? オッサンと女子高生がいっしょに寝るなんて、絶対ダメなやつだろ!」
「そう? じゃあどこで寝るの? ペロといっしょに寝る?」
「それは嫌です……」
「じゃあボクたちの部屋で決まりだね! じゃーんけーん……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オッサンは結局、スカイと一夜を共にすることとなる。
月明かりの差し込むベッドのなかで、抱き枕のようにオッサンを抱きしめているスカイ。
『上位職クラス』の場合は個室が与えられているので、部屋にはふたりっきり。
オッサンは心音が聞こえるほどの静かな室内で、ひとりドギマギ。
ふと頭上から声がする。
「今日は本当にありがとう、ドンちゃん」
それは昼間のハツラツとしたスカイからは、想像もつかないほどにしっとりとした囁きだった。
オッサンは背を向けたまま答える。
「俺は別に、たしたことはしちゃいないさ。
それよりも、ひとつ聞いていいか?」
「なあに?」
「お前はどうして勇者になりたいと思ったんだ?」
すると「えっ?」という虚を突かれたような返事のあと、黙り込むスカイ。
オッサンが「言いたくないことなら……」と言おうとしたところ、少しずつ言葉を紡ぎはじめた。
「……ママがこの学園の生徒で、勇者を目指してたんだよ。
でもママは学生のときにパパと結婚して、ボクを産んだんだって。
それでも勇者を目指すことはできたんだけど、ボクが生まれてすぐにパパがいなくなっちゃって……。
それでママは、勇者の道をあきらめなくちゃいけなくなったんだ。
ボクを育てるために、学校を中退して普通に働きだしたんだ。
でも無理がたたって、病気になっちゃって……」
彼女の声は途切れがちになる。
「だからボクは勇者になりたいんだ。
ボクとママ、ふたりの夢を叶えるために。
それにボクが勇者になれば名前が知れ渡って、パパが戻ってきてくれるかもしれないでしょ?」
「そう……かもしれないな」
「実をいうとね、昨日の夜はぜんぜん眠れなかったんだ。
クエストに失敗したらどうしようか、って。
下級職に落ちちゃったら二度と戻れないから、みんなにどう謝ろうか、って。
ママのお墓の前で、なんて言おうか、って。
そんなことを考えてたら、頭のなかがぐしゃぐしゃになっちゃって……!」
涙混じりの震え声。
オッサンは少女の顔に向かって、頭をスリスリとこすりつけた。
それは無言の、「泣けよ、俺の頭で」。
少女は声を殺すように、オッサンの頭に顔を埋めた。
「うっ……! ううっ……! うううっ……!
もし湖でドンちゃんと出会わなかったら、ブルベアには勝てなかった……!
ありがとう、ありがとうドンちゃん! ボクたちを落第から救ってくれて……!
ドンちゃんドンちゃんドンちゃん! ドンちゃんっ……!
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!」
彼女はその小さな身体で、自分ひとりの降格でなく、仲間5人分の存在意義をかけて戦っていたのだ。
なぜならば、彼女はリーダーだから。
しかしオッサンのおかげで肩にのしかかっていた重圧から解放され、せきを切ったように泣き出す。
オッサンは少女の涙と嗚咽をすべて受け止めるかのように、されるがままになっていた。
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