第11話 レルゲンとの再会

小さい夢は見るな。それには人の心を動かす力がないからだ。


 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ  ライヒの誇る詩人・小説家・劇作家



 男は高級軍人のために用意された部屋の中で、たった一人で連邦共和国軍の航空ショーを見ていた。男が夢見たのは別れた祖国の統一。いや、最初見たのは自分ではない。夢を見たのは金髪碧眼の、人形のような美貌を持った少女。いや、幼女ともいうべき女の子だった。

 最初に計画を聞いた時には、荒唐無稽としか思えなかった。だが、その幼女とライヒの礎となった上官だけが、その夢を持っていた。自分は理解が出来ず、ただ命令と義務に従って動き続けただけ。

 だが、その幼女の夢物語は男だけでなく他の者をも動かし、遂に他の者まで夢を見る事が出来るようになった。そして、夢は夢物語では終わらず、手の届くところまで来ている。

 残念なのは自分の寿命がそれまで続かないだろうと言う事だ。だが、それは些細な問題に過ぎない。後を託す人物がいるのだから。


 ザラマンダーエアサービスの社屋に一通の社長あての封筒が届けられた。それだけならば、別段特筆すべきことではないだろう。届に来た人物がジョン・ドウと言うカンパニーを代表するような人物直々でなければ。


 封筒をジョン・ドウ氏に促されるまま、受け取ったその場で開けたターシャは、何時もの無表情な人形のような顔に驚きの表情を浮かべる。その表情を浮かべさせただけでジョン・ドウは今回の任務が報われた気がした。なにせこの社長を驚かせることなど、戦艦や空母が軽く買える金を使っても無理だったのだから。


「失礼ながらジョン・ドウ氏。これは本物なのでしょうな」


「ええ、勿論です。ただパスポートは別名のものですが。合衆国が発行した正式なものですよ」


 手紙の中には連邦共和国の航空ショーへの招待状と航空券そして別名でのパスポートが入っていた。そして、レルゲン大佐、今は少将だったろうか、の自分との面会を希望する直筆の手紙も入っていた。

 バルバロッサ作戦の関係者の上層部とは、合衆国に渡って以降面会していない。ターシャが会う必要がないと考えたのもあるが、カンパニーの意向を気にしたためだ。スポンサーの意向には極力従うのが社会人としてのマナーである。


 一方カンパニーとしても会わせるわけにはいかなかったのだ。これ以上暗躍されてはたまったものではない。ただでさえ猛獣を閉じ込めておく檻を、年々大きく、頑丈にせねば壊されそうになっているのだ。

 だが今回ばかりはカンパニーも頷かざるを得なかった。千切れかけている首輪を、その首輪をつけた本人が付け直すと言ってくれるのだから。首輪をつけなおすことのできる人間はもう一人いたが、連邦のアホな検事共のせいで土の中だ。それを知った時ジョン・ドウや同業のサー・ジョンソンなどは本気で検事共を暗殺しようと考えたぐらいだった。


 手紙を見てターシャこと、ターニャは考える。自分の命と財産を守る為だったとは言え、ライヒを犠牲にしたのは事実だった。その代わりと言っては何だが、一応会社を立ち上げてからそれなりの援助はしている。投資という形ではあるが、連邦共和国の経済的支援も行った。もしかして、自分の立てた作戦の真の目的が保身であるのがばれたのだろうか。不安になるも、手紙を見る限りそんな様子は見られない。寧ろ感謝の言葉が並べられている。カンパニーも承諾してる以上、行かない訳にはいかない。ここで逃げ出すなど、自分が黒だと言っているようなものだ。

 それにここまで大きくした会社を捨てるのも惜しいし、カンパニーとバルバロッサ作戦関係者、両者を敵に回して生き残れる可能性は低い。自分が知っているだけでもバルバロッサ作戦は上手く行き過ぎて、組織は今やカンパニーですら無視できないような力を持っていた。勿論カンパニーが無視できないのはターニャの存在があってこそだが、カンパニーとバルバロッサ作戦関係者両方ともに幸運ながら、本人は気付いていなかった。


「喜んでお伺いします、とお伝え願えますかな」


「勿論です。それでは、わたしはこれで」


 用事を終えた以上、ジョン・ドウはさっさと帰りたかった。いくら最近大人しくなったとはいえ、猛獣の檻に何時までも居たいとは思わない。


 そして、連邦共和国の航空ショーの日、ターニャはレルゲン少将と会うことになる。聞けば高級軍人用の特別ルームで1人で待っているらしい。話を聞く限り本当に自分に会いたがっているようだ。自分としてもバルバロッサ作戦本部がどこまで大きくなっているか、もはや把握出来なくなっている以上、重鎮であるレルゲン少将と旧交を温めるのは、やぶさかではなかった。ただ、相手の機嫌を損ねないよう細心の注意をはらわなけらばならない。そう思いターニャは愛国者としての仮面を再び被る事にする。


 ドアをノックする音がする。レルゲンは窓から目を離し、ドアの方へ向き直る。


「入り給え」


 レルゲンの言葉が終わり入ってきたのは、銀髪をたなびかせた若い女性だった。身長は大分伸び、顔つきも変わったが、ガラスのような碧眼と、何の感情も浮かべない顔が、かつての幼い彼女を思い出させる。

 この虚無を体現したかのような碧眼に、昔は恐怖を抱いたものだった。だが今は只々懐かしい。おそらくあの地獄を見たからだろう。

 あのような地獄をあの年齢で見ていたとなれば、このような目になっていてもおかしくはない。いや、寧ろ良く生きているものだ。自分だったら自ら命を絶っていただろう。実際参謀将校ですら現実に耐え切れず、命を絶ったものは少なくない。

 女性は自分の目の前まで進むと、教本通りの敬礼をする。


「堅苦しい挨拶は無しだ。デグレチャフ、いやティクレティウスCEO殿。今回は私的な会合なのだから。ああ、それと最高級のコーヒー豆を用意した。貴君がイルドアで買いあさったものより良いものだぞ」


 以前は彼女にこんなに気軽に話しかけることなどできなかったであろう。だが、それも今となっては懐かしい昔話だ。レルゲンは椅子から立ち上がり、自らコーヒーを淹れ始める。


「閣下自らお淹れ下さるとは、恐れ入ります」


「なに、貴君のライヒに対する貢献に比べれば、この様な事しかできない自分が、恨めしいがね」


 彼女の連邦共和国に対する貢献は絶大なものだ。そして、今の姿を見る限りこれからも彼女のライヒに対する忠誠は揺らぎそうにない。合衆国で大分優雅な暮らしを送っていると聞いた時には危惧したものだったが、単なる杞憂だったようだ。そもそも、その程度で揺らぐような愛国心なら、とうの昔にライヒを見限っていただろう。

 デグレチャフの分までコーヒーを淹れ椅子に座り直すとレルゲンは考える。さて何から話そう。話したいことは山ほどある。託したい事も・・・。

 だがまずはこの1杯のコーヒーを飲んでからにしよう。レルゲンは今までになく穏やかな気持ちで彼女を見ていた。彼に後を託すといったゼートゥーア上級大将も、最後はこんな気分だったのかと思いながら。

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