第12話 あの日のワイン

人は相当多量の酒が飲める。しかしいくら飲んでも満足することはない。


    ゴットホルト・エフライム・レッシング  ライヒの誇る詩人・劇作家



 大戦中は将校としてこれ以上の無いほどの活躍をし、勲章は彼女に与えるために新しく新設されるほど貰い、大戦後は空軍士官学校で主席を取り、空軍将校としての地位と名誉を得、退役した後は、ザラマンダーエアサービスの社長として、また最近はザラマンダー信託投資組合の社長として、常人では想像もつかない程の金を得ている。

 そのターシャ事、ターニャをしてどうしても手にれたいが、いまだに手に入れれないものがある、と聞いたら事情を知っているものは腰を抜かすだろう。若しくは何かの交渉材料として国を挙げて探索に乗り出すかもしれない。少なくとも沈没した宝船を見つけるよりは、優先されるべきことだろう。


 その欲しい物とは、以前かのターニャの上官であったゼートゥーア上級大将が勝利の時に飲もうと言って、ターニャの目の前で箱にしまってしまった、ライヒ最高級のワインである。

 ワインは当たり年とそうでないものがある。同じ銘柄でも味が違うのだ。ましてや作っていた農園は砲弾に耕され、作っていたメーカーも無くなっているとなれば、もはや手に入れることはできない。コーヒーに関してはライヒにいた時より良いものを飲んでいるので満足している。ビールはそもそも好きな方ではない。

 余談だがコーヒーに関しても、ビールに関しても、なぜ合衆国は薄くするのだろうか。食べ物はしょっぱいか、甘すぎるか、油っこすぎるのに・・・。ジュースは口直しに別の物を飲めなければならな程甘いので、薄味の物が好きと言うわけでもないらしい。意味が分からない。盛大に物を浪費してまずい物を作っているとしか思えない。

 まあ、それはそれとして、あの時、気持ちのすれ違いで飲め無かったワインを、1杯でも良いから飲みたかった。実際は今は、そのワインよりもよほど良いワインも飲んでいるのだが、人間手に入らないとなれば余計欲しくなるものである。しかも、もしあったら手に入れるだけの財力があるだけに余計そう思う。


 悩んでいるターニャの前に良い香りがするコーヒーが差し出される。セレブリャコーフ秘書が淹れた、最高級のコーヒーだ。


「お考え中、失礼かと思いましたが、一息入れることも必要かと思いまして」


「ああ、いや、大したことを考えてたわけではない。すまないな」


 コーヒーを飲みながら、考えを巡らせる。そう言えばワインは防空壕にも使用できるような地下貯蔵庫で保存されている事もあると聞く。もしかしたらまだ見つかっていないワイン庫があるかもしれない。ライヒの末期戦は混乱の極みだった。可能性としては高くないが、お宝探し気分でやってみるには悪くない考えのように思えた。


 ギョンタ―・ギーヨムは焦っていた。最近防空壕跡や地下ワイン庫を誰かが調べまわっているのだ。ギョンタ―は昔のワイン庫の上で喫茶店を経営し、連邦の支配下に入ったかつてのライヒ、今は民主共和国となっている、に情報を流すスパイであった。地下のワイン庫には通信施設や書類が隠してある。

 誰が調べているか分からないが、その調査は徹底的で、ここに調べが入るのも時間の問題と思われた。折角左派の政治家と交流を深める事が出来るようになったのに、地下にある通信施設がバレたら、水の泡である。しかも通信施設だけでなく、色々な重要書類や計画書のたぐいも、保管している。仕方なしにギーヨムはすべての機材や資料を他の場所に移し、喫茶店も売却することにしたのである。


 グランツ課長は社長の命に従い、連邦共和国で、まだ連邦共和国ですら把握してない地下施設を探し回っていた。社長の命令はワイン庫を探せという命令だったが、その通りに受け取ってはいない。実際地下今迄に地下に隠された、東側の武器庫、工作員用の器物などを複数見つけている。それは、発見次第連邦共和国に報告している。

 そんなグランツが今日探索したのは、売りに出されていた喫茶店だった。元の持ち主は左派の政党の政治秘書になっているらしい。怪しいことこの上ない。調べてみると案の定地下のワイン庫には最近まで何か機材が置かれていた跡があった。

 流石に機材の種類までは分からないが、ワイン庫に何か機械を置くこと自体が怪しい。当然のことながら連邦共和国に報告する。ついでに社長へのお土産として貯蔵庫に眠っていたワインも買うことにする。丁度社長が言っていたワインがあったからだ。非常に高級なワインだが、購入する金額は活動費用として十分に貰っている。


「すばらしい!正しくこれだ。グランツ課長には特別手当を支給せねばなるまいな」


 グランツ課長から送られてきたワインを、手に持ち、満面の笑みを浮かべながら、ターニャは言う。もしこの顔をジョン・ドウ氏などが見たら腰を抜かすだろう。


 ターニャは自宅に帰り、長年に渡る望みの一つを叶えた。そのワインは素晴らしく甘味に感じられた。


 その後喫茶店を営んでいた人物は、党の要職を得、遂にはプラント首相の個人秘書官となる。だが、グランツの報告を受けていた連邦共和国政府の公安局が遂にスパイの証拠をつかみ、ギーヨムは逮捕された。当然プラント首相は辞職。この事件はギーヨム事件と言われるようになり民主共和国どころかライヒ史上、最も成功したなスパイとして記録されるようになるのであった。

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