第2話 インデンシナ半島戦争

 戦略の失敗を戦術で補うことはできない。


 戦争とはたんに一つの政治的行為であるばかりでなく、本来政策のための手段であり、外交などに代わる政治的交渉の継続である。


 戦争がただ1回の大きな戦い(決戦)だけで決着するものであれば、決戦に対するすべての準備は当然極限にいたる傾向を持つであろう。しかし、戦争は長い期間と広大な空間における多数の戦いによって遂行されるので、ただ1回の戦いに持てる力のすべてを集中することは交戦者双方に危険がともなう。このことも力が極限へ向かい絶対的戦争に到達することのブレーキとなっている。


             カール・フォン・クラウゼヴィッツ著 戦争論より抜粋



 ジョン・V・ヴォート将軍はインデシナ戦争の戦況に頭を悩ませていた。装備、補給、共に敵に対して圧倒的であり、キルレシオに関しては1対10以上である。敵の練度はかの帝国の足元にも及ばない。すでに敵に対する爆弾の投下量は大戦中の総量を上回っている。だが、実際は戦況は泥沼の一途をたどっていた。

 自分は元々この戦争の介入には反対だった。しかも消極的な反対ではなく、関係各所に説明して回り強固に反対した。

 しかし、止めることが出来なかったどころか、インデンシナ半島派遣軍の指揮官を強いられる事になってしまった。


 彼らが戦争の介入の根拠としたのは、通称X論文。その論文の原本は合衆国の高官と言えど、限られた者しか読むことは出来ない。預言書ともいえるその論文はかの世界大戦中に書かれ、戦争の行く末を予見したばかりでなく、戦後の世界情勢を予見し、今なお正しく世界情勢を予見し続けている。

 そして、その原本を見る事が出来る人間は、作者の信じがたい戦場での戦果に目を奪われ、論文の本質を見誤ってしまう。真の意味で理解していたのは、作者本人とゼートゥーア上級大将だけではなかろうか。そうあの帝国のゼートゥーア上級大将である。

 たった一国で世界を敵にし、勝利しかけた歴史上の怪物。戦争はゼートゥーア上級大将の予想通りに終わらせられたとも、周辺諸国がアホだったために戦争を防げなかったとまで称される人物である。

 ヴォート将軍は若かりし頃、ゼートゥーア上級大将と話す機会があった。そこで交わした言葉はいまだに鮮明に頭に残っている。

 そしてX論文の著者も、ヴォート将軍は知っていたし、話したこともある。それゆえにインデンシナ半島の加入には反対したのだが、皮肉なことにX論文の理解者として司令官を任ぜられることになってしまった。


 一時帰国時、ヴォート将軍は砂漠の中にある、とある航空会社へと向かっていた。部下も付けず、自分で運転してである。服さえ冴えない中年男性の恰好をしていた。現役の将軍の地位にあるものとしては通常取らない行動だ。だがどうしてもそうする必要があった。

 目的地の小さな航空会社へと着く。周りのは何もない砂漠にポツンと社屋が建っている。だが周りの寂れた風景とは違い、そこは外からも分かる程活気に満ちていた。 ドアを開けて入ると、砂漠の中にあるとは思えない、モダンな受付になっており、受付の若い女性が挨拶をしてくる。本当に彼女がいるのだろうか、自分は場所を間違ったのではないか、そういった気分に一瞬陥る。


「面会を予約していたジョンだ。ターシャ・ティクレティウスCEOにお会いしたい」


 気を引き締めなおし、受付嬢に用件を告げる。別名を名乗らなくて済む、自分のありふれた名前に感謝する時が来るとは思わなかった。受付嬢は面会の予定を覚えているのか、それとも面会に来る人間が少ないのか、面会表のようなものを見ることなく、


「ジョン様ですね。お伺いしています。あちらのエレベータで最上階まで上がられますと社長室がございます。社長がお待ちしております」 


 とそう笑顔で答える。受付嬢にとってはもはや定型文の挨拶だ。ここにきて社長に面会をするのは、ジョンかスミスのどちらかなのだ。まさか本名だとは受付嬢は思いもしなかった。


 ターシャはここ最近不毛な遣り取りをし続けていたため不機嫌だった。だが、今日のお客は大歓迎である。珍しくインデンシナ半島介入するのが無駄だと言い続けてきたターシャの理解者なのだ。少なくとも頭が枕の飾りでしかない無能共とは違う。

 なので、久し振りに面談前にご機嫌だった。自分用のコーヒーを客人の為に秘書に入れさせるぐらいには。


「申し訳ありません。もう一度行ってもらえませんか?」


 何を言っているのか理解できない。そういった顔で目の前のティクレティウス少佐、いやCEOはヴォート将軍に聞いてくる。もしこの表情を社員が見たら歴史的快挙を成し遂げた人物としてヴォート将軍は記憶されるだろう。


「貴社の社員を基幹とした戦闘団を編成し、インデシナ半島に派兵したい」


 ヴォート将軍は、先ほどティクレティウスを唖然とさせたセリフをもう一度繰り返す。


「失礼ですが、閣下は私の論文を読み、インデンシナ半島への軍事介入に反対しておられたと記憶しておりますが」


 人形のように整った顔を無表情にして彼女は言う。自分を見つめる美しい碧眼の瞳は彼女の美貌を際立たせるどころか、かえって無機質な印象を与える。


「勿論、今でも反対だ。だが私は軍人で、国に命じられたからには戦わなくてはならない。そしてこのままでは戦線が泥沼化するだけなのだ。司令官として私は勝利の為に、最善を尽くさなければならない・・・」


 そう、彼は今でも軍事介入に反対だった。しかし軍人としての義務は、果たさなければならない。


「ご心中お察しします。しかしながら私共は一民間企業であります。仕事を選ぶ権利があります。残念ながらこのお話はなかったことに」


 言葉ではさも残念そうに、しかしはっきりと彼女は拒否を示す。ターシャは思う、なぜ無駄なことに、人的資源を消費せねばならないのか。彼らは今からも社員として会社に貢献してもらわなければならない。


「しかし、どうあっても勝利をつかむ方法が思い浮かばないのだ」


将軍は今にも泣きそうな弱々しい声で、彼女に向かって嘆願するように言う。


「なぜ、勝たねばならないのですか?」


「なに?」


「ですから、なぜインデンシナ半島で勝たねばならないのですか?」


 彼女のそのセルフを聞いた瞬間、ヴォート将軍に若かりし頃に聞いたゼートゥーア上級大将の言葉がよみがえる。


(なぜ、勝たねばならないのですか?その疑問を私は持てなかった)


 ヴォート将軍は初めて知識としてではなく、本当の意味でゼートゥーア上級大将の言葉を理解することができた。今まで絶望に打ちひしがれていた将軍の瞳に知性の光がともる。


「失礼ながら、ティクレティウスCEO、あなたの考えを聞かせてもらえないだろうか」


将軍は自分よりはるかに年下の女性に教えを乞う。


「簡単なことです。政治の失敗は政治家にやってもらえばよろしい。いささか癪ではありますが、インデンシナ半島は共産主義者共に渡してしまえば良いでしょう。今は帝国主義の搾取に対する怒りで、共産主義で団結しおりますが、落ち着けば内ゲバが始まるでしょう。我々はそれにたいして資本主義の優位性を示していけばよいのです。そもそもフランソワ共和国の尻拭いを合衆国がやることがおかしいでしょう」


 まったく政治家共にも困ったものだ、とターシャは考える。少なくない税金を払っているのだから、ちゃんと物事を考えてほしい。


「ではこの戦争は早く負けろと」


 将軍は再び問う


「勝利の定義を変えるのです。インデンシナ半島の資本主義化、それがかなえば我が国の勝利です。そしてそれは軍事によってではなく、政治によってなされるべきです」


 まあ、そうは言っても直ぐには変更できないだろう。撤退戦の援護や、支援物資の輸送、難民の保護などの業務ぐらいは請け負っても良いかなとターシャは思う。


「私は、最初から間違っていたのか・・・。ティクレティウスCEO。これからは建設的な話をさせてもらいたい。具体的にインデンシナ半島からの撤退方法についてだ」


ヴォート将軍は力強さをこめて言う


「承知しました」

 ターシャはニッコリと笑って答える。ようやく話の分かる御仁がおいで下さった。

 それからティクレティウスCEOとヴォート将軍はインデンシナ撤退について夜遅くまで話し合った。

 夜遅く砂漠の道を車で走りながら、ヴォート将軍はご機嫌だった。ここしばらく靄のかかっていたような頭が晴れ晴れとした気分だ。だが残念なことにそれは長くは続かなかった。

 ヴォート将軍の消極的な作戦は政治家の怒りをかい、ヴォート将軍は司令官の地位から外されてしまったのだ。後は泥沼化してくインデシナ半島の戦争を苦々しく眺めることしかできなかった。

 皮肉なことに遂に合衆国が撤退を決めたとき、採用された作戦は、あの日ティクレティウスCEOとヴォート将軍が話し合ったものに瓜二つだった。



後書き


 なかなか難しいですが、幼女戦記の世界観を壊さないように、書いていきたいと思います。

 良ければ他にも書いていますので、お読みいただければ幸いです。

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