第35話:第7章⑤好きだ

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 目の前で立ち会うメフィスは何回も頭を下げた。


「いいよいいよ、大丈夫だよ」


 僕の服は女性の涙と鼻水でグチョグチョになっていた。人によってはご褒美かもしれないが、僕にとっては……少しご褒美だった。


「あー、服がグチョグチョ! 私のせいだ」


 メフィスは頬を両手でサンドイッチのように押さえながら具のトマトのように顔を赤く染めていた。僕はトマトは嫌いだが、このトマトのような顔は嫌いではなかった。むしろ、トマトケチャップなら好きな方だ。


「メフィスのなら大丈夫だよ」


 僕は心配させまいととっさに大丈夫アピールをした。すると、メフィスは少しずつ赤みが濃くなっていった。


「あたしのなら大丈夫って、どういうこと?」


「……え?」


 僕は不意の反応と自分の発言にたじろいだ。


「他の子のなら大丈夫じゃないけど、あたしのなら大丈夫ということ?」


 メフィスは自分で話しながら自分で勝手に恥ずかしそうにとんねるずのもじもじくんのように体をモジモジせていた。


「いや、そういうわけでは……」


「あっははー。そうだよね。そんなわけないよね。うん。あんたは誰に対してもそういう発言するもんねー。相手を傷つけないためにそういう言い方するもんねー。わかっているよ、それくらい。この、天然タラシがー」


 メフィスは肘で僕を小突きながら、このこの、と言って笑っていた。僕たちは仲の良い友達のようにじゃれていた。しかし、僕はあまりこの雰囲気を楽しめなかった。


「そうだよ、僕は天然のタラシだよ」


「自分で認めるなんて、なんて罪なやつー」


 僕は心にもなく認めた。


 メフィスの声や表情も心なしか心にないように見えた。


 先程までも潤った空気が砂漠のように乾いて感じた。互いに乾いた笑い声で、いつ崩れてもおかしくないような笑顔のもと、オアシスの蜃気楼を見ているような感じだ。互いに本音だと思い込もうとしている。


「あなたたち、馬鹿なの?」


 風斗が風を砂漠に吹かせた。


「だ、誰が馬鹿だ。コイツとは違うぞ」


「コイツと違う、ってどういうことー」


 僕はとっさにメフィスに指差して否定した。


 メフィスは自分と違うという僕の発言に食ってかかった。無意識のうちに自分が馬鹿なことを認めてしまっているのかコイツ。


「どっちも馬鹿よ。だって、どっちも自分の本当の気持ちに気づいていないもの」


 その声には、どこかためらいのような覚悟のようなものを感じた。


「どういうことだ、それは?」


「そうだそうだ。あたしはいつも正直だよ」


 僕は薄々気づいていたから、心臓を鷲掴みされたように重たかった。


 隣のメフィスは空元気のフリをしているふうに見えた。


「いいえ、馬鹿よ。気づいていないならまだしも、気づきながら気づかないふりして、やんなっちゃう。私の口から言わせるつもり?」


 風斗の声は、僕の心を袋小路に追い詰めた。ラブストーリーは突然に、っていうわけではないが、それは突然現れた。


 メフィスの顔を見ると、空元気の仮面が取れて神妙な面持ちになっていた。が、僕の視線を見ると急に仮面をつけて笑ってきた。


 僕はその健気な様子を見て、決心した。


「ああ、僕はメフィスが好きだ」

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