第11回

 策謀というものは、深く静かに遂行する。

 それはさながら、遅効性ちこうせいの毒に似ている。

 毒とは、一撃で瞬殺する必要はない。

 むしろ、じわじわとその身をむしばみ、食らった者が気づいた時には、すでに立つこともできなくなっているくらいが丁度いいのだ。

 逃げることも立ち向かうことも、ましてや立ち上がることもできなくなった獲物を、最小限の労力でとどめを刺す。

 策謀というのは、そういうものなのだ。

 それがゆえに、剣士の集団である新選組には、もっとも抗しづらい攻撃と言えた。

 それは――



「はぁ~~~~~~なごむ」

 ある日の午後、昼食の作業も終わり、次の支度までの間のひと時。

 縁側に座り、冬にしては暖かな陽光を楽しみながら、泉はつぶやく。

「いやまぁ、和んでていいのかって話なんだけどね」

 すでに、幕末に飛ばされて、一カ月が経過していた。

 その間、元の時代に戻れる手がかりは、全く、完全に得られていない。

「というか、得られようもないんだよな。忙しくて」

 むさ苦しい、文字通り「体を張った仕事」をしている男どものメシをこさえねばならないのだ。毎日毎日、朝から晩まで重労働である。

 安全な寝床と、安定した職を得られたのはありがたいが、それ以外のことを考える余裕すらない。

「縁側で茶をすするのが精一杯だもんなぁ……どうしよう」

 言葉に反して、泉に焦りはなかった。

 無論、このままこの時代に骨を埋めるつもりはないが、さりとて、急いで帰ったとしてもどうしたものか、という思いもあった。

「あのクソオヤジ……」

 ポツリと、この時代に来る原因となった、父との確執かくしつを思い出す。


「なんでだよ、なんでそんなことを言うんだ!」

「わからんか?」

「わかるわけないだろ! アンタの勝手で、ボクは七年も修行していたんだぞ! それで、その果てに、なんで急に『お前は料理人に向いていない』なんて言うんだ!」

「ならば聞くか? 言っていいのか?」

「なんだよ……?」

「自分で気づくこともせず、ただ口を開いていれば勝手に欲しい物が投げ込まれる。そんな程度でいいのかと聞いている」

「―――⁉」


「なんだってんだよ」

 父との確執はあるが、それでも、あの男以上の料理人は、泉は知らない。

 その男に突きつけられた「お前には向いていない」という言葉。

 現代に戻れば、それにまた向き合わねばならない。

 それが、重荷になって―――

「おいこら泉ィ!!」

「わぁ⁉」

 物思いにふけっていたところを、怒鳴り声で無理やり引き戻された。

「な、なんですか鍬次郎さん!?」

 そこに居たのは、幕末ヤンキー、大石鍬次郎であった。

「探したぞコノヤロウ、すぐに来い!」

「なんですか⁉ ボクなにもしてませんよ⁉」

「いいから来い、皆さんお待ちかねなんだよ!」

「皆さん?」

 またなにか難癖イチャモンを付けられるのかと思ったら、予想外のワードが出てくる。

「とにかく来い!」

 だが、その説明を受ける前に、無理やり襟袖掴んで引きずられてしまった。

 この時代を遡ること五〇年ほど前に、「楽聖」と讃えられし偉大なる音楽家ベートーヴェンは、交響曲五番「運命」を発表する。

 かのあまりにも有名な始まりを、ベートーヴェンはこう評した。

「運命はこのように扉を叩く」と。

 人生において、時に劇的なまでの運命の瞬間とは、いつも突然現れる。

 この日、稲葉泉にもまた、なんの前触れもなく、突如として運命の時が訪れたのであった。



「連れてきやした!」

 鍬次郎に引きずられ、泉が連れてこられたのは、屯所内の大広間。

「おう、来たか……」

 そこには、土方、近藤を初め、いかめしい顔の隊士たちがずらりと並んでいる。

(あれ……この人たちって……?)

 直接会話したことはないが、他の隊士たちが、すれ違う度に背筋を伸ばし、平伏している男たちである。

 その中には、顔なじみの沖田の姿もあった。

「まさか、これって……」

 そこに揃っていたのは、新選組の十まである隊、その組長たちである。

 それに加えての、局長近藤と、副長土方。

 新選組の幹部たちがそこに揃っていた――ただし、組長は十人全員はいなかったが――それだけで、重大な事態が起こったことは理解できる。

「な……なんなんです……?」

 なにが起こったかはわからない。

 問題は、その席に、なぜ泉が呼ばれたかということであった。

「ぼ、ボク……なにもしていませんよぉ!?」

 新選組には局中法度という、鉄の掟がある。

 先日、改めて泉はその内容を確認したのだが、めまいをおこしそうになった。

 とにかくまぁ、なにかあるたびに「切腹」と書かれているのだ。

 もう最終的には、「アンタただ切腹言いたいだけじゃないのか!」とツッコみかけた。

 そんな新選組の、幹部たちが居並ぶ場に連行されたのだ。

 自分のなにかの行いが問題になり、切腹を申し付けられるのではと思ってしまうのも無理からぬ話であった。

「違う、そうじゃねぇ……あ、いや、場合によってはありうるか」

「やっぱりだぁ!」

 落ち着かせようとした土方の言動が、余計に泉を混乱させる。

「その場合も、切腹じゃなくて、打首だな」

「どっちも同じだぁ!」

「そんなことありませんよ」

 妙に嬉しそうな顔で、沖田が口を挟む。

「切腹が許されるのは基本武士のみですから。あなたの立場的に、したくてもできません」

 切腹は、正確には「最後のけじめ」的な意味合いがあるため、まだ名誉は保たれるが、打首の場合は完全に「処刑」なので、実は同じではない。

「それでもどうしてもというのなら、なんとか上にかけあいましょう。なぁに、感謝してくれてかまいません」

 とはいえ、歴史上には、幾人かは武士階級以外の者にも、特例として切腹が許されたケースはある。


 しかし、そんなことは、現代人の泉には関係ない。

「死にたくないいいい!!」

 泣き叫ぶ泉に、見ていられないとばかりに、近藤の隣に座っていたもう一人の男が口を開いた。

「落ち着きなさい、稲葉くん。とりあえず、話を聞いてくれますか?」

「はえ?」

 泉は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

 その声の主は、土方の反対側に座っていた、とても穏やかで優しげな顔立ちの青年だった。

「えっと、あなたは……」

 何度か、顔は見たことはあるが、面と向かって名乗りあったことはない。

 とはいえ、隊内でかなり上位の人物であることは、その雰囲気でわかっていた。

 そして、その名を呼ばれているところも、見たことはある。

「えっと……“さんなん”さん、ですか?」

「おい」

 泉の言葉に、土方が諌めるように声をあげる。

「ふふ……構わないよ。そちらで呼んでくれてもね。ただ、一応、山南という。よろしく」

 気にしないとばかりに、“さんなん”――山南は言った。

 山南敬助やまなみけいすけ……新選組のもう一人の副長である。

「あ、これは……失礼しました」

 彼の地位は、新選組内では近藤、土方に次ぐ大幹部である。

 その一方で、人斬り集団の重鎮とは思えぬ、柔らかな物腰の人物でもあった。

(なんか、学校の先生みたいな人だな)

 それが、泉の素直な感想だった。

 子どもや女の子から慕われそうな、「いい先生」感が溢れ出している。

 泉の感想は鋭く、実際、山南敬助は、壬生屯所近くの子どもたちに慕われ、付き合いで遊郭に出向いても、文字も知らぬ遊女たちに読み書きを教えてやるなど、「文人」としての記録が多い。

 そのため「新選組の若先生」などと呼ばれていたという。

「土方くん、説明は、僕がしたほうがいいかな?」

「……勝手にしろ」

 そんな山南だからこそ、泉がこの場へ呼び出された理由、その複雑な経緯を説明する役割も、買って出た。

「実は……つい先程のことなんだけどね」

 山南が語りだす。



 それは、その日の昼頃の話。

 近藤と土方は、とある公家衆の宴に招かれていた。

 宴の主体は、他愛のないものである。大した理由もない。

公家というものは、風雅風流を愛する。

月が出れば月見の宴を催し、雪が降れば雪見の宴を催す。

 そうすることで、彼らは日の本の格式と文化を保っているのだ。

 そんな場所に、二人が呼ばれた。

「なにを企んでいるんだか」

 京の街の外れにある、貴族の別邸――そこが、宴の場であった。

 その道すがら、土方は露骨に不快な顔をする。

「今の今まで、俺らを歯牙にもかけず、視野にも入れなかった連中が」

 京の公家衆は、立場上は、幕府側を表明している。

 だが、先の文久二年に執り行われた、和宮親子内親王かずのみやちかこないしんのうと十四代将軍家茂との婚姻。

 いわゆる「公武合体」の目玉ともいえるものが執り行われた背後で、様々な思惑が交錯していたことは、土方も近藤も知っている。

「嫌な予感がしやがる」

 正直、この宴への参加は、土方は乗り気ではなかった。

 今からでも可能なら、退席したい思いでいっぱいであった。

「仕方あるまい。会津中将様からのお達しでもある」

「わかっているよ」

 近藤の言葉に、ため息交じりで返す。

 今回の招待は、会津中将、松平容保を経由して行われた。

 新選組は、幕府の正規部隊ではない。

 あくまで、京都守護職である容保が雇った傭兵部隊である。

「この招待を断れば、会津様の顔に泥を塗る。それはできねぇ」

 そこが問題であった。

 相手は、それをわかった上で、「断れぬ誘い」をかけてきたということだ。

「鬼が出るか蛇が出るか……」

 そして二人は宴の場に入る――

「おっほっほっ」

「はっはっはっ」

「ふっふっふっ」

 宴は、公家たちにとっては、あくまで小規模なものであった。

 だが、雲上人と自らを称する者たちのカジュアルは、庶民の基準では下手なフォーマルよりもたちが悪い。

「………………」

 近藤と土方は、悪目立ちしないように、末席にて無言で酒を舐め続ける。

 そうやって時間が過ぎるのを待っていたが、やはりそう上手く事は運ばなかった。

「まぁ、それでも料理はさすがだな」

 膳のものを口に入れながら、近藤は感心した声で言う。

「そうか? ウチでいつも食っているものの方が、オレ好みだがな」

 二人が、そんな言葉を交わしたのを、耳ざとく公家たちに聞き取られたのだ。

「おやおや、お武家はんらは、あまり楽しんではらへんようですな」

 最上座のわずかに数席下に位置していた公家が、今さらのように言った。

 その口ぶりは、宴に招いた以上、少しくらい話題に入れてやろう――というふうではなかった。

「やはり都の風雅は、東国の方々には楽しみづらいモンなんやろうかねぇ」

 都人たちにとって、東国は「地の果て」である。

 もっと言えば、「蛮族の地」と言ってもいい。

 関東人を表する「東夷」という言葉があるが、これは「東の野蛮人」という意味である。

「日頃の労苦の慰みをと思うたんやけど、堪忍ねぇ」

「いえ、けっこうな料理ばかりで、楽しませていただいております」

 公家の男の言葉に、近藤は丁寧に、かつ、揚げ足を取られないように振る舞う。

 しかし、なおも彼らの挑発は止まらなかった。

「東の方々には、都の味わいは、満足行きませんやろ」

「は……いえ、そのようなことは……」

「いやいや、無理さはらへんでええんや」

 くくくと、公家たちは、まるで人のマネをするサルを見るような目をする。

「関東の人らは、なんでもかんでも、カツオで出汁とって、醤油で煮しめて食べはるんやろ? 本当やったら、そういったモノも並べて差し上げたかってんけどね」

「はっ……?」

 関東と関西では、食文化に大きな差がある。

 それは流通や通信が遥かに発達した現代でも残るほどであり、ましてや徒歩で十日以上かかるほど離れていた京と江戸では、当時は外国同士に等しいだけの違いがあった。

「せやけど堪忍なぁ。うっとこの料理人たちが、『そないなモノは作れまへん』と泣いてもうてねぇ……うふふふ」

「は、はぁ……」

 嘲笑に次ぐ嘲笑、それでも近藤は耐える。 

 だが、その後がいけなかった。

「まったく、和宮様のことを思うと、涙が止まりまへんなぁ」

「――――!」

 和宮とは、この前年、将軍家茂と結婚した、帝の妹のことである。

「関東ではカエルや蛇をとっ捕まえて食うてるそうや」

「そんなとこに下られて……毎日、醤油で煮しめた塩辛い料理を出されて……」

「いやはや、これも日の本の安堵のためとは言え、可哀相なことや」

 公家たちは口々に、わざとらしい泣き真似を始める。

「…………ッ」

「近藤さん……ダメだ!」

 土方は小さな声で、近藤を制する。

 この挑発に乗ってはいけない。

 そんなことは、近藤だってわかっているはずである。

 それでも、もう耐えきれない話であった。

「……お言葉ながら」

(ああ……)

 ついに反論をしてしまった近藤に、土方は心中で嘆く。

「東国も、いつまでも平安の御世のような田舎ではございませぬ」

 しかし同時に、無理なき話だとも思った。

 近藤も土方も、ともに武州の多摩に生まれ、育った。

 現代では東京都日野市などにあたるその区域は、江戸時代では「天領」とされていた。

 天領とはすなわち、徳川将軍家の直轄地である。

「関東にも、公家衆の皆さまが……そして、内親王殿下が満足なさるものもございます」

 ゆえに、この地に生まれ育った者たちは、「自分たちは上様の民だ!」という誇りを持っている。

 近藤にとって、「将軍と結婚することが不幸」と口にされることは、将軍家や幕府だけではなく、天領に住む者たち全てへの侮辱にも等しかった。

「ほほう、そら初耳やなぁ……」

 初めに口を開いた公家が、獲物を捕らえた毒蛇のような目をしていた。

「ほな、ご教示願えんやろか、どないなもんがあるのか……なんせ私らは都から外にはめったに出ませんよってな。物知らずなんですわ」

 そんなことは欠片も思っていないであろう、形だけの謙遜を口にする。

「そ、そうですなぁ……」

 意趣を返され、口ごもる近藤。

「そうだ、“たまごふわふわ”あれは美味かった!」

 そして、自分の知る中で一番の高級料理を思い出し、その名を挙げる。

 たまごふわふわとは、現在の静岡県袋井市発祥とされる卵料理。

 泡立てた卵白と卵黄、それにだし汁みりんなどを足し、蒸したものである。

 ニュアンスとしては、「スフレ状の茶碗蒸し」に近い。

 将軍家のもてなし膳にも出てくる一品であり、間違いなく、関東に住むものにはごちそうであった。

(やっちまった………)

 しかし、その料理名を近藤が口にした瞬間、土方は天を仰ぎそうになった。

「あはははははははははっ!!」

 宴の席に、笑いがこだまする。

 陽気な笑いではない、「愚か者」を嘲る、侮辱の笑いである。

「これは、また……」

「大きなことを言い張るから、なんやと思たら」

「驚きやな、関東の人は諧謔かいぎゃくがお上手や」

 公家たちは、一斉に笑う。

「え……」

 ただ一人、近藤だけが困惑し、目を泳がせていた。

「いやいやいや、皆さん、あんまり笑ったげなさんな。可愛そうやで」

 公家の男が、言葉とは裏腹に、口元を歪めながら言う。

「近藤はん……やったかな? いやはや、“たまごふわふわ”ですか……ええ、ええ、東の方たちのごちそうやねんな。はいはい、ようわかりました」

 たまごふわふわは、立派なごちそうである。

 しかしそれは、あくまで「庶民」の「贅沢品」という意味であった。

 将軍ですら軽んじる彼ら公家からすれば、それすら「粗末な大衆食」なのだ。

「いや、お誘いしてよかったですわ。今日は楽しい思いをさせていただきました」

 もはや抗弁できず、拳を握りしめ恥辱に耐えるしかない近藤。

 その時、土方が声を上げた。

「あっはっはっはっはっ!!」

「あン?」

 大笑い――公家たちの笑い声すら塗りつぶす、役者のように通った声が響き渡る。

「なんや……どないしたんや?」

 仲間、それも自分の上役に当たる者の失態を笑い出した土方に、公家たちは訝しむような目を向ける。

「いや失礼……ウチの近藤がなんとも無礼を働きまして。私からも、謝罪させていただく」

「トシ……」

「ホホ……」

 その光景は、一見すれば、醜態をさらした上司を見捨てた、姑息な男に見えただろう。

 実際、そうだと思った公家たちは、再び嘲笑の色を浮かべる。

 が――土方歳三という男は、そんなタマではなかった。

「公家の皆さまをナメすぎだよ近藤さん? この人ら程度なら、“たまごふわふわ”で十分って思ったんだろ」

 物知らずの公家たち。

 彼らのレベルに合わせて、それにふさわしい料理名を挙げただけだ。

 土方は、そう言い出したのだ。

「なんやて……!」

 その悪意に満ちた言葉は、しっかりと公家たちに伝わった。

 宴の席は、一瞬にして険悪な空気に包まれる。

「トシ、お前、なにを……」

 さっきまで悔しさにうつむいていた近藤が、戸惑い、あたふたとしている。

「ダメだ近藤さん。ここは戦場だ、うろたえたら死ぬぞ」

土方は小声でそう諭し、近藤を落ち着かせる。

 武士が刃をふるって戦うように、公家たちは言葉と文化で戦う。

 その流儀に合わせて、この副長は、戦を始めたのだ。

「公家の皆様にも体面がございましょう? 我ら粗野なる東国の武士たちが、自分たちより美味いものを知っている……などとなれば、ご不快を感じるでしょう」

 土方は、さらに攻め込む。

「ウチの近藤は慎み深いもので……ですが、皆様をバカにしすぎです。もう少し、程度を合わせて差し上げるべきでしたな」

 物知らずのオマエたちに恥をかかせないようにしてやったのに、大笑いしているとはおめでたいことだなぁ――土方は、暗にそう含ませたのである。

「言うてくれたな……」

 そして、公家たちにそれがわからぬはずがない。

 その表情には、あからさまな怒りが刻まれていた。

「なら、一つ教えてもらおうやないか……関東の田舎モンどもが、どんだけ雅なモンを食うとるのかをな!!」

 


「――と、いうことがあったんだ」

「はぁ……」

 山南から、長い長い説明を聴き終えた泉は、すでにこの時点でとても嫌な予感がしていた。

「そういうわけだ。頼むぞ」

「いやどういうわけで頼んでんですか?」

「わかれよ」

「わからないですよ!」

 一方的な物言いの土方に、泉は声を荒らげる。

「だからァ、貴族どもが驚いて目ン玉ひん剥くようなモンを作れってんだ! 話の流れから察しろ!」

「話の流れから察しましたけど、そんな子どものケンカみたいな理由とは思いたくなかったんですよ!」

 近藤たちをバカにした公家たちも公家たちだが、バカにされたからバカにし返した土方も大概である。

 これほど「売り言葉に買い言葉」というフレーズが似合う話もない。

「くだらない意地の張り合いをして……どっちかが折れりゃいいだけじゃないですか」

「そうはいかないんだよ、稲葉くん」

 土方に変わって、山南が、それこそ教師のような口調で言う。

「武家も公家も変わらない、体面を傷つけられれば、退くことはできないんだ」

「だからって……」

「うん、どちらかが折れればいいだけの話だね。でもそうすると、近藤さんが死ぬ」

「え!?」

 武家も公家も、ともに体面を重んじる。

 だがそれは、ただの自尊心の話ではない。

 彼らはそれぞれ、自分たちの「お家」と属する「集団」の構成員としての責任を背負っている。

 ゆえに、その恥は、個人の枠に収まらない。

「あの場で近藤さんが自分の恥を認めれば、それは近藤さん個人ではなく、近藤家、さらに長を務める新選組、ひいてはそれを預かる会津中将様、さらに幕府の恥になるんだ」

「そんな無茶苦茶な」

「そうだね。でもそうなんだよ」

 山南は、生まれもっての武家である。

 それゆえに、泉の抱いた感想を理解しつつも、「それがこの世の理」と受け容れていた。

「だから、その恥を雪ぐためには、近藤さんが切腹をしなければならない。あの段階では、それ以外道はないんだ」

 切腹が、武家にのみ認められた「ケジメ」の儀式なのは、そういう理由なのだ。

「似たような事例は今までもありましたね。とかく、都人みやこびとは武家……特に東国武士を見下しますからね」

 横から声を上げたインテリ風の男は、五番隊組長の武田観柳斎たけだかんりゅうさい

 東西の公家と武家のにらみ合いは、史実上数多く。

 古いものを挙げれば、鎌倉幕府執権となった北条家の者でさえも、都に上った際に、貴族たちに振る舞いをあざ笑われた記録がある。

「中には、それこそ、屈辱を受けた後、帰宅してすぐに腹をかっさばいた例もありますよ」

 くだらない意地の張り合いに見えたが、あの場で土方が返さなければ、今この時点で、近藤が死んでいてもおかしくなかったのだ。

「近藤さんが……新選組が生き残るには、公家の連中を納得させるだけのシロモノを食わせるしかねぇ。それが作れるのはお前だけだ」

 改めて、土方が命を下した。

「う~……そんないきなり……」

「無理難題なことはわかっている。だが、やってもらうしかねぇ」

 日の本の文化と芸術を司り、育んできたと自負する公家たち。

 それが、目下と思っていた武家たちにバカにされ怒り心頭。

 その怒りすら凌駕する、料理――

 それがどれだけの難題かなど、土方も承知の上だが、刀を振るってもどうしようもできない案件である以上、泉に頼る以外なかった。

 重苦しい空気とともに、その場の誰もが、泉の様子を固唾を呑んで見守るなか……。

「まぁ、できないことはないですが」

「できんのかよ!!」

 至極あっさりな返答に、土方をはじめ、その場の隊士一同はコケかけた。

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