第6回

                 【第三章】


 泉が新選組の一員となってから、一週間が、過ぎた――

「そちらの煮込みが終わったら、順番にタレに漬けていってください! 漬け過ぎちゃダメですよ、衣がどろどろになっちゃいますから!」

 調理場を仕切る泉。

 さすがに百人以上いる隊士全員の食事を作るのに、泉一人では無理がある。

 現代の近代化されたキッチンならともかく、ここは幕末の京の街なのだから。

「出来上がった順から出していってください。お膳はそれぞれに目印を付けているので、花・菱・丸の順に、奥の部屋から持っていってください!」

 調理場の改装も終わり、かなり使いやすくはなった。

 さらにはその調理場の手伝い要因として、元料理人や、そこまででなくとも炊事場経験のあるもの、手先の器用な者などを選抜。

 結果として、「賄い方隊」とも呼べるものを編成する形になり、泉はその指揮を任されることになった。

「おうコラ! テメェ、違うだろ! 短冊切りってのはこうだ!!」

 そしてなぜか、鍬の字こと、鍬次郎もその中にいた。

「なんで、あなたもいるんですか……?」

 意外ときっちり働く彼に、泉はどうしても疑問を抱かずにいられなかった。

「いや、なんか、なんとなく……」

 この男、言動は限りなく粗野だが、意外と手先は器用で、覚えもよく、ちょっとした作業なら泉に代わって指示を出せるほどであった。

「さすがに、隊の任務がある時は手伝わねぇぞ?」

「それ以外の時は手伝ってくれるんだ……」

 隊士たちは数が多いうえ、食欲も旺盛である。

 調理場は毎日が戦場状態。使えるものなら猫の手でも借りたい。

 正直、これだけ動ける鍬次郎の存在は、賄い方隊にとっても大きかった。

「おやおや、楽しげにおしゃべりしている時間があるのですね。さすがは土方さんの秘蔵っ子だ」

 さらになぜか、沖田もいた。

 ただし彼女は手伝いをしているのではない。

 ただ単にふらりと現れては、姑よろしく、泉の行動のあれこれにチクチク毒針を刺しに来るのだ。

「暇なんですかアンタたち?」

 嫌味ではなく、純粋に疑問に思うレベルであった。

「んな訳ねぇだろコラァ!」

「意外に、持て余すんですよね。なにもない日も少なくないんで」

 同時に、全く逆の答えが返ってきた。

「………あの沖田サン……あの……」

「なんですか、鍬次郎くん」

 ヤンキー気質な鍬次郎。目下の者には高圧的だが、目上の者にはけじめをつける。

 それ故か、微妙にツッコみきれないでいた。

「まったく……暇なのは良いですけど、こっちに絡むのは――」

 呆れる泉はと言うと、目が回るほどの忙しさなのだ。

「あっ……!」

 そのせいか、ついうっかり、足を滑らせてしまう。

「痛たぁ!!」

 滑って転んで、肘を擦りむいてしまった。

「うっひゃー、ドジでー」

「おやおやおやおや、危ないですねぇ。包丁を持っている人にぶつかったら相手にケガをさせてしまいますよ」

 心配するどころか、辛辣極まりない言葉をかける、幕末の人斬り二人。

(が、ガキかこの人らは……!!)

 イラッとする泉だったが、怒れば怒っただけ調子に乗られるのが目に見えているので、ここはグッとこらえる。

「大丈夫でゴザルか?」

 だが、世の中捨てたものではなかった。

 たまたま通りがかったのであろう別の隊士が、優しく手を伸ばしてくれた。

「あ、これはご丁寧に―――」

 ありがとうございます、と言葉を続けようとして、泉の顔が固まる。

「おお、肘を擦りむいているでゴザルな。こちらをお使いになるといい、拙者が作った軟膏でゴザール」

「へ、は、へ……?」

 お礼を言うどころか、うまく言葉が回らなかった。

 目の前に、全身黒尽くめに顔まで覆面で覆った、その、まさに、いわゆる――

「ニンジャ―――!?」

 あまりにもオーソドックスというか、王道というか、ベッタベタなニンジャスタイルの男がいたのた。

「なんで、なんでニンジャ!?」

 驚き、半ば混乱する泉であったが、その口を突如として鍬次郎が塞ぎ、そのまま羽交い締めにする。

「ふがががががががっ⁉」

「うるせぇ黙ってろバカヤロウ!?」

 ささやきながら怒鳴りつけるという、大変器用なことをされた。

「はて、どうなされたのですかな、そこの方は?」

「いやいやいやいやいやいや、なんでもありませんよ山崎くん。今日も夜のお勤め帰りですか? お疲れ様です!」

 そして大慌てで、沖田が話をそらした。

「先ほど、そこの方がなにか申されたように聞こえたのでゴザルが」

「気のせいです山崎くん。大丈夫ですよ。全然なにも問題ありませんから安心しましょう」

「そうでゴザルか……あ、そちらの方が、もしかして新しい賄い方でゴザルか?」

「ふががががががっ!?」

 山崎と呼ばれた男に声をかけられるが、泉は口を抑えられ、返事ができない。

「どうしたのでゴザルか?」

「いえいえ、なんでもありません。彼女はちょっと特殊な趣味嗜好の持ち主なので、そっとしておいてあげてください」

「ほほう、それは若いのに珍妙な……」

 大変、嫌な形で納得されてしまった。

「いつも夜食を用意していただき、かたじけのうゴザル」

 ニンジャ――もとい山崎は、そう言うと、ペコリと丁寧にお辞儀をした。

「ではこれにてゴメン!」

 そして、ヒュン!と風切り音すら上げて、その場をジャンプすると、屋根裏に入り込み、そのまま姿を消した。

「ふがぁ!?」

 山崎が立ち去ったのを確認してから、ようやく、泉は解放される。

「何なんですかあの人!? ニンジャ!? なんでニンジャいるんですか!?」

「バカヤロウ声がデケェ! 山崎くん耳いいんだぞ!」

「いや、だって、あの……」

 口ぶりから新選組隊士であることは間違いないのだろう。

 夜食というのも、夜番の者たちに簡単な軽食を用意しているので、そのことを言っていたのだろう。

「彼は山崎烝やまざきすすむ君と言って、監察方の隊士です」

 困惑する泉に、沖田が説明する。

「監察方は、日頃市中に入り込み、様々な情報収集を担う役割です。彼らが持ち帰る情報が、任務の成功に……もっと言えば、隊士の生き死にさえ影響を及ぼします」

「チョー重要な役割ってわけよ、わかってっか?」

 情報戦、という言葉があるように、任務の遂行において、事前情報の収集は重要な要素を占める。

 新選組においてもそれは同様で、副長土方は監察方を重要視し、特に力を入れ組織編成に当たった。

「山崎くんはその監察方で筆頭格の腕利きです。彼の収集した情報によって、今まで新選組がどれだけ助かったか……」

 山崎烝――元大坂の町人の生まれで、その出自故に、武士や浪人上がりの他の隊士よりも市中に紛れることに長け、土方の懐刀とさえ呼ばれた人物……という形で、現代にも伝わっている。

「あの、それはわかったんですが……なんでニンジャ?」

「バカヤロウ、だからその単語を口にすんなっての!」

 疑問を口に出す泉に、鍬次郎が顔を真っ赤にして怒鳴る。

「山崎くんは、その……本人曰く、ただの町医者の息子、だそうですが……」

 言いにくそうに、沖田は続ける。

「なんでも、その、諸々の話を総合したところ……」

 隊士募集の際にも、山崎はあの姿で現れた。

 最初、全員が反応に困った。

 ネタか? ふざけてるのか? バカにしているのか? もしくはバカなのか⁉ と――

 だが、各所の彼の話の端々から推測する所によると……

「彼、正真正銘の忍びの家の人なんですよね」

「やっぱニンジャですか」

「いえ、忍びの家ではあるのですが、もう仕える主君は、ずっと前にいなくなったそうです」

 忍者、忍び、草のもの……様々表現される、いわゆる「隠密」たち。

 その起源は春秋戦国時代の中国、孫子の兵法にまで遡ると言われ、日本ではヤマトタケルの熊襲くまそ征伐にも、その活躍が確認される。

 戦国時代においては、様々な武将が隠密を重用し、上杉謙信の軒猿のきざる、武田信玄の歩き巫女、伊達政宗の黒脛巾組くろはばきぐみ、後北条家の風魔などが有名である。

 ちなみに徳川家が用いた、服部半蔵正成支配の伊賀忍者は、すでにこの時衰退し、八代将軍吉宗の頃に紀州より隠密を新たに採用。これがいわゆる「御庭番おにわばん」である。

 だが、時は移ろい平和な時代となり、隠密が用いられる場も減った。

「山崎くんの家は、古くは六角氏ろっかくしに仕えた忍びの家系だったそうです。ですが、もう随分前にその手の仕事はしなくなって、本人の申告どおり、今では町医者の家系ということになっています」

「でも、じゃ、なんであの姿?」

 あんな、日光江戸村がふさわしいニンジャルックは、少なくとも、市井の町人がホイホイやるものではない。

「こっからがよう、やっこしいところでな……」

 困ったように、鍬次郎は言った。

「あの人、アレがおかしいって、気づいてないんだ」

「え⁉」

「代々家族があの格好なんで、それが普通だと思ってんだよ」

「んな無茶な⁉」

 代々ということは、父も祖父もその前もずっとということである。

 どこまでツッコミが不在だったのだという話だ。

「しかもさらにややこしいことに、山崎くん本人も、自分が忍びの血筋であるということは、完全に隠しきれていると思いこんでいるんです……」

「だから無茶があるでしょう⁉」

 さらに続ける沖田に、泉はツッコむ。

「誰か言わなかったんですか⁉」

「アレだけ正面からやられると、言いづらいもんなんですよ⁉」

 隊士募集の際、面談を行った近藤も、さすがに笑顔が固まったという。

「なので、彼の前で『忍者』とか『忍び』とか、そういう言葉は厳禁です。彼に、自分が忍びの者だとバレた、と気づかせないように、細心の注意を払ってください!」

 日頃、良くも悪くも笑みをたたえている沖田の顔から笑顔が消え、真剣そのものだった。

「な……なんでそこまで気を使っているんです?」

 おそらく、沖田や鍬次郎だけでなく、隊士全員が示し合わせ、山崎に配慮しているのだろう。

「まず一つ目としては、山崎くんは、すっごく優秀な人なんです」

 史実である。

山崎烝の、監察としての能力は凄まじい。

 現代に伝わっているだけでも、後世の歴史に大きな影響を与えた事件の多くに、深く関わっている。

ましてや、表に出せぬ仕事も多い監察方。

歴史に残っていない、彼が関与した案件がどれだけになるか、想像もつかない。

「そして二つ目は………すっごく、いい人なんです」

「はい?」

 意外な言葉が出てきて、思わず間抜けな声で聞き返す。

「山崎くん、すげぇいい人なんだよ。仏なんだよあの人」

 沖田に続き、鍬次郎まで追従する。

「山崎くんは、町医者の息子ですから、御本人も薬学に通じていましてね」

「あ、この膏薬こうやく……」

 今しがた山崎がくれた、傷薬を見る。

「隊内でケガ人が出ればすぐに駆けつけ、病人がいれば親身になって看病し、もはやウチの専属医も兼ねていると言ってもいいくらいなんですよ」

 ちなみにこれも史実である。

 新選組屯所を視察に訪れた医師に、熱心に看護や応急手当の方法を教わったと言われている。

「つまりあの~、それってその~……」

 ここまでの話を要約すると、皆が山崎に、すでに忍者だとバレていると気づかせないようにしている理由は――

「ええ、彼を傷つけたくないのです」

「そゆこと」

「はぁ……」

 苦渋に満ちた顔の沖田と鍬次郎。

 京の街に知られた人斬り剣客集団の、思いやりゆえの光景であった。

「そんなわけでわかりましたね。決して、山崎くんの前で、忍者とか忍びとか、隠密とか、闇に生き闇に死すとか、言っちゃいけませんよ」

「は~………」

 面食らう泉であったが、そういう事情があるなら、あえて逆らって本人を無理に傷つけるようなことをする気はない。

 少なくとも彼が、穏やかな、温厚な善人であるのは間違いないのだろう。

(それに、初対面から人を殺そうとしなかったしなぁ)

 山崎の格好は非常識だが、内面は隊士の中でも一番常識人に感じた。

「わかりました。気をつけます」

 泉は、素直に快諾した。

 だが――


 翌日のことであった。

「ふぅ、やっと終わった」

 毎日毎日毎日毎日、激務に負われる賄い方仕事。

 それでもさすがに、丸一日息の休まるときがないわけではない。

 ようやく一仕事終え、泉は風呂に入ろうと思った。

「――と言っても、あの小屋だけどねぇ」

 この時代、まだ風呂のない家庭の方が一般的である。

 屯所内には風呂場はあったが、百人近い隊士全員が使える規模ではない。

 そこで、簡易の入浴小屋が増築されていた。

 小屋の床の部分は竹でできており、かつ無数のすき間が空けられている。

 その上で、湯を張った桶を使い、行水の要領で体を洗うのである。

「それでもないよかマシだよ」

 そもそもこの時代の人間は、そこまで頻繁に入浴しない。

 数日に一度、人によっては月に一度という者も、珍しくない。

 毎日入浴することが一般的になったのは、遠い未来、二〇世紀も後半になってからだと言われている。

「さてと」

 とはいえ、その二〇世紀どころか二一世紀から来た泉からすれば、煮炊きに火を使い、汗だくになる調理場勤めでかいた汗はその日のうちに流さねば、気持ち悪いことこの上ない。

 簡易の入浴小屋でも、あるだけずっとありがたかった。

「あれ?」

 しかし、その小屋の扉を開けたところで、先客がいることに気づいた。

「ゴザル?」

 湯桶を使い、体を洗っていたのは、山崎だった。

 入浴小屋の中である。

 当然、裸である。

 いかな日頃、男と間違われる泉でも、年頃の娘。 

悲鳴の一つも上げねばならないところだろう。

 だがそんなことは問題ではなかった。

 もっと問題があった。

「あ………」

 その背中を、見てしまった。

 そこには思い切り、おそらく、入れ墨なのだろう。

 それをもって書かれていた。

「甲賀忍山崎烝」と――

(なんで……?)

 最初に泉の脳裏に浮かんだのは、その言葉だった。

 なんで、背中に、そこまで、これでもかと、自己主張のワードを入れる⁉

「見てません」

 とっさに出てきたのは、その一言であった。

 見てませんと言ったということは、「見た」と言ったに等しいということはわかっている。

 だがそんなことは後からいくらでもごまかしが効く。

 実際にこんなものを見せられて、とっさに言えるのはそれがせいぜいであった。

「いやああああああああああんっ!!!」

 ビックリするほどおっきな声で、山崎が叫ぶ。

 叫ぶやいなや、どこから取り出したのか、何かを床に叩きつけた。

「うひゃああ!?」

 途端に巻き上がる煙――煙玉であった。

「もうアンタ隠す気ないでしょー!!!」

 煙で目をやられながら、走り去っていく山崎に言えたのは、そのツッコミだけであった。

 これが、さらに事態を悪化させた。


 翌日――

「どうしてくれるんです?」

 新選組屯所内、土方の部屋にて、泉は吊るし上げられていた。

 念の為に言っておくと、物理的な意味で吊るされているわけではない。

 足に五寸釘も打たれてもいない。

 あくまで、詰問を受けているだけである。 

 だが、心情的には変わらなかった。

「だーかーら、アレほど言ったでしょう? 気をつけろと? なにいきなりあっさりバラしちゃってんですか? バカですか君は」

 部屋の主である土方に代わり、言いたい放題にしている沖田。 

 心なしか、ちょっと楽しそうであった。

「だって……」

「だってもなにもありません」

 抗弁しようとする泉を、沖田は取り合わない。

「いや、だって!」

「いや、だってもなにもありません」

「あれはしょうがないでしょう!?」

「私もしょうがないとは思うけどしょうがないでは済みません」

 事態はかなり深刻であった。

 背中の入れ墨を見られた山崎は、その夜から行方不明。

 隊士たちがあちこちを探しているが、さすが忍び、痕跡すら残っていない。

「だいたいなんであんな入れ墨入れてるんですか⁉」

「仕方ないでしょう、山崎くんちの伝統らしいんですから」

「それなら先に言ってください!」

 なんでも、山崎の入浴時には、他の隊士は入らないように、予め入浴小屋に目印の木札をかけているのだそうだ。

 そのことを沖田が教えていてくれれば、こんなことにはならなかった。

「言い忘れたんだからしょうがないでしょう⁉」

「しょうがないでは済みませんよ!」

「いいえ、それは済ませます」

 ここぞとばかりに反撃するが、あっさりかわされた。

「自分の時だけずるい⁉」

「ええい、いい加減にしろバカども!」

 苛立った声の土方に、二人は怒鳴りつけられる。

「なっちまったモンはしょうがねぇ、今はともかく、事態の収拾が最優先だ」

 優秀な監察方である山崎がこのまま隊からいなくなれば、それだけでも新選組の任務に差し障る――だけではない。

 新選組の鉄の掟、「局中法度」に書かれているのだ。

〝勝手に隊を抜ければ、切腹〟と。

「このまま山崎の行方がわからねば、アイツは脱走者になっちまう。せめてそれだけは避けたい」

「ですよねぇ……」

 このままでは、自分のせいで山崎は死に値する存在となってしまう。

 さすがにそれは、泉にとっても看過できない状況であった。

「ん………?」

 ふと、沖田の表情が変わった。

「え、どうしました沖田さ――」

 異変を察した泉が声をかけようとしたが、片手で制される。

 そして、「話を続けて」とばかりに、手で合図した。

「ともかく――早々になんとかしなきゃあな」

 さすが付き合いが長いからか、即座に合わせ、口調を変えることなく土方は話を続ける。

「そこだ!」

 と、その直後、沖田はすばやく刀を抜くと、天井を斬りつけた。

「ぐはぁっ⁉」

 メキメキと音を立て、天井板と一緒に人が落ちてくる。

「山崎さん⁉」

 現れたのは、山崎であった。

 てっきり屯所から脱走したのかと思ったら、ずっと天井裏に潜んでいたのだ。

「山崎くん、見つけましたよ」

 刀を納め、呆れたように一息つきながら、沖田が言う。

「お、沖田殿!?」

 申し訳なさそうにうつむく山崎。

「こんなとこに隠れてやがったのか……心配したぞ、山崎」

「ふ、副長殿……!」

 土方に声をかけられ、さらに申し訳なさそうにうつむく山崎。

「あ、あの……山崎さん?」

「ひぃひいいいいい⁉ 稲葉殿ぉおおおお⁉」

 そして泉に声をかけられた途端、悲鳴を上げて縮こまる山崎。

「泉くん、山崎くんをいじめないでください、斬り殺しますよ」

 怯える山崎を慰めながら、沖田が責めるような視線を向ける。

「いじめてないですよ⁉ ってかサラッと怖いこと冗談でも言わないでください!」

「冗談でないと言ったら?」

「もっと怖い!!」

 どうやら山崎は、自分の正体を知った――と思っている泉に対し、激しい拒絶反応を起こしているようであった。

「副長殿………聞いたでしょう、拙者の、正体を……」

 ぼつりぼつりと、漏らすように、山崎が言う。

「あ、ああ……」

 とっくに忍びだと知っているが、土方は話を合わせた。

「忍びと知られては、もはやお側には居られませぬ。さりとて! 局を勝手に脱すること能わず!! それが新選組の掟!」

 言うや、山崎は背中の刀を抜いた。

「せめて、今このときだけでも、侍として果てる所存! 介錯してくだされ!!」

 もろ肌を脱ぎ、刀を己の腹にぶっ刺そうとした。

「落ち着け山崎!」 

 叫ぶ土方。沖田もそれに続き声をあげる。

「そうです山崎くん! ここは一つ、目撃者である泉くんを始末することで手打ちとしましょう」

「スキあらば人を殺そうとしないでください⁉」

 そこに――

「てぇへんだ兄ィ!?」

 下っ引きのような声をあげながら、鍬次郎が現れた。

「だから……兄ィと……なんだ、今取り込み中だ!」

 怒鳴り返す土方に、鍬次郎が言う。

旭屋あさひやが大変なんですよ! 厄介なのに絡まれてて」

「旭屋っていやぁ……近藤さんの女が働いている料亭だろ」

 新選組局長、近藤勇は既婚者である。

 だが、長い京の都での勤めの間、現地妻とでも言うか、愛人を持っていた。

 現代の感覚ではやや眉を潜めたくもなるだろうが、この時代では普通のことである。

「そこに、変なのが現れましてね? 店が潰れるか潰れないかの大騒動と……局長に助けてほしいと、使いの者が来たんです」

「変なの、ってのがどんなもんか気にはなるが……」

 単純に、近藤の関係者だから助けなければいけない、というわけではない。

 京の街というのは、大変な閉鎖社会である。

 縁やコネの類が重要視され、他所から来た者に対して、簡単に打ち解けようとしない。

 それ故、他所者だらけの新選組に冷淡であり、任務に支障をきたすことも多かった。

「あそこは知られた店だ。近藤さんが懇意にしていることもあって、例外的にオレらにも協力的だが……ほっとけばめんどくせぇことになるな」

 これもまた、広い意味での新選組の職務でもあった。

「今は近藤さんがいねぇからな……わかった。すぐ行く――あ」

 そこで土方は、思い出したように、鍬次郎に告げる。

「鍬の字、オメェは山崎抑えて、どこにも逃がさねぇようにしろ」

 せっかく見つけたのに、今度は軒下にでも逃げられてはたまらない。



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