第5回
そして、三日後――屯所の一室。
「正直、そんな約束をしていたことを忘れかけていました」
約束の「死地に赴く者にふさわしい料理」を出すと告げた所、返ってきたのがこの一言であった。
「テメェは嫌味と皮肉しか口から出ないのか」
呆れた顔と声で言う土方。
「ええ、私は俳句を詠むほど、風雅に通じていないので」
「まだ言うかコノヤロウ!」
「まぁ待て待て、落ち着け二人とも~」
この部屋にいるのは、沖田と土方だけではない。
「だいたいなんで近藤さんまでいるんですか?」
本来ならば、こんな問題に一組織の長を引っ張り出すなど、もっての外である。
「公平な第三者の目線ってのも必要だろう?」
だが、不満げな沖田に、近藤は笑って答える。
「それに、うまいものを食わせてくれるそうじゃないか? 楽しみだなぁ」
「まったく……」
快活に笑う近藤に、さしもの沖田も頭を押さえる。
「お待たせしました」
そう言っている間に障子が開き、泉が料理を持って現れた。
「やれやれ……」
なにかを持ってきた――それだけで沖田にとっては嘆息するに十分な光景であった。
なにせ、彼女の言う「死地に赴く者にふさわしい料理」などないのだ。
沖田の魂胆は、先日、泉と土方が予想したとおりであった。
故に、沖田の中での答えは、「そんな料理はない」しかありえないのだ。
「キミはどうやら、私がなにを言いたかったか……わからなかったようですね?」
なにかを持ってきたという段階で、失格……そうするはずだった。
だが――
「ん……なんです、この匂いは?」
今まで嗅いだことのない香りが漂っていた。
「なんだ果物か? いや、違うな……」
「ふむ?」
沖田だけでなく、土方や近藤も、その香りに気づき怪訝な顔をする。
「どうぞ、お召し上がりください」
そして、泉は彼らの前に、その料理を置く。
「な、なんだこりゃあ?」
出てきたそれを見て、最初に声を上げたのは近藤であった。
それは、彼らが初めて見るもの。
円形の小麦で作った生地の上に、まるで血のように赤い半液体状の何かが塗られ、ブチブチと沸騰したように泡立つ白いなにか、さらにその上には――
「これは……獣の肉ですか」
先日手に入れた、屯所で飼育した豚の肉が載っていた。
「ええ、マルゲリータ・ピッツァに自家製ベーコンをトッピングしました」
「ま、まるが……なんだって!?」
聞いたこともないどころか、この当時の日本語の発音にも出てこない料理名。
マルゲリータ・ピッツァ――いわゆる、トマトソースのピッツァである。
チーズとバジル、そしてトマトソースで作る、最もシンプルかつ、最も奥が深いとも言われるピッツァ。
イタリア国旗と同じ、赤・白・緑が並ぶことから、イタリア王国時代の王妃マルゲリータが感動し、自らの名を与えたと言われている。
「この赤いのは……なんだ?」
「トマトソースですよ」
「とまと……?」
「
この時代、すでにトマトは日本に伝来していた。
ただし、食用ではなく、あくまで観賞用の「唐柿」という名前で知られていた。
それも、「赤く熟したものは毒々しい」として忌避されていた。
そのため、大半が青い実のままであり、京どころか、大坂の方まで隊士を派遣し、片っ端から園芸業者を当たって、ようやく熟したものを手に入れたのだ。
「唐柿だと!? ありゃ毒があるんじゃねぇのか?」
驚く土方、トマトは明治の中頃まで、その実も毒のあるものとされていた。
「いや、それは――」
「あははははははは!!」
迷信です、と泉が言おうとしたが、その前に、沖田が大笑いをする。
「これはこっけいだ! 痛烈な皮肉を叩きつけてくれたものです」
「なに?」
笑う沖田に、土方は問う。
「だってそうでしょう? 私は『死地に赴く者にふさわしい料理』を、と言ったのです。なるほど、どうせ死ぬのだ。毒でも喰らえということですか? あはははは!!」
命を捨てる覚悟も持てぬ者に、無理矢理にでも命を捨てさせることで、逃げ場を失くす――沖田は、泉の出した答えをそう理解したのだ。
「何言ってるんですか、アンタ」
「―――⁉」
しかし、泉はそんな沖田に、冷たい言葉を叩きつける。
「勘違いしないでください。これはそんな意味じゃない。トマト……唐柿に毒なんてありませんよ、迷信です」
「なら、なぜかな?」
近藤に問われ、泉は応える。
「単純な話です。沖田さん、豚肉が嫌いみたいだったから。まずは臭いを消して口にしやすくするべきじゃないかって。獣くささを取るためには、トマトの酸味を合わせるのが一番なんです。あと、そのまま食べるよりはいいかと、ベーコン……、塩漬けの燻製にもしました」
ピザにしたのは、調理場にある機材でできるベストを尽くしただけだ。
煮炊き用の窯は、ピザ焼きの窯にも転用できた。
ベーコンの燻製は、囲炉裏から立ち上る煙を利用した。
この時代、囲炉裏から起こる大量の煙を使って、竹製の棚を作り、その上に様々な物を置くことで、燻製とする調理法は存在していた。
大根を乾燥燻製させて作る、「いぶり漬け」などは有名である。
「つまり……あなたはなにが言いたいんです……?」
沖田の顔から、笑みが消える。
「そもそも、死地とはなんですか?」
泉は、沖田に問われ、考えた。
腸を見せて死骸を晒しかねない者たちに、食べさせる料理など存在しない。
ならば?
簡単な話だ。
死地に赴いても、死骸を晒さずに済むための料理を食わせればいい。
「気づきませんか? あ、いや……さすがに食わずにはわからないでしょうが……あ~……まぁ食べても、即答は難しいでしょうが……」
「なんの話だ?」
言い出して、困ったような顔をする泉を見て、土方が心配そうな顔になる。
「いえ、その、この生地、小麦でできているんですがね?」
「だろうな、小麦の香りがする……懐かしいな、麦餅の匂いに似ている」
麦餅とは、小麦をせんべいのような形にして焼き上げた、農業の合間の間食として食べられるものである。
秩父地方の、「たらし焼き」などが有名である。
「思い出すな。多摩の方は、米もそうだが、麦農家も多くてなぁ。ああ、そうだそうだ」
笑う近藤、その脳裏には、さぞかし郷里の光景が浮かんでいるのだろう。
「このピザ生地の小麦は、皆さんの故郷の多摩地方産のもので作りました」
多摩――現在の東京西部郊外、並びに埼玉の西地域の総称。
この区域は古来より小麦の生産が盛んであり、長らく麦食が盛んである。
「武蔵野うどん」などが名物であり、現代でも埼玉県のうどん生産量は全国二位である。
「ピッツァの生地にするにも、とても優秀な麦なんですよ」
小麦料理の、いわゆる「コシ」は、含まれるグルテンの量に左右される。
それはどんな生地作りにおいても同様で、適度な弾力と歯ごたえの良さは、ピッツァにも最適なのだ。
「だから……なんだっていうんです……?」
少し苛ついた口調で、沖田が問いかける。
「故郷の麦を使ったからなんだというのです? そんな郷愁を呼び起こさせて、なんの意味があるというのです」
「意味ならあります」
徐々に冷たくなっていく沖田の視線に、それでも泉はこらえ、応じる。
「死んでほしくないからです」
それが、泉の見出した答えだった。
「たとえ毒と呼ばれる実を使っても、嫌う獣の肉を使っても、あなたに生きて帰ってきて欲しい。故郷のことを思い出し、死にたくないと思って欲しい。これはそういう料理です」
死地に赴く者に、なおも生きて帰らせるのならば、そのためならば手段は選ばない。
「ふざけたことを……」
沖田の声がさらに重く、冷たく、そして殺気をはらんでいく。
「総司!!」
それに気づいた土方が叫んだときには、もう遅かった。
「ひっ――――!?」
目にも留まらぬほどの神速で抜かれた刃が、一瞬のうちに、泉の首にかかっていた。
「あ、あああ……」
皮膚に触れるか触れないほどの位置に当てられた刀。
沖田がこれを引けば、首は落ちずとも、太い血管のいくつかは切り裂かれ、鮮血を吹き出しながら泉は絶命するだろう。
「わかっていないようですね……どれだけ御高説を唄おうが、私が、『違う』といえば、それで終わりです」
沖田が認めなければ、泉の負け。
負けた泉は「士道不覚悟」で殺されても文句は言えない。
これはそういうルールの勝負であった。
「ふ、ふ……」
死に恐怖し、真っ青な顔でガタガタ震えながらも、泉は声を出す。
「ふ……ふざ……ふざけんな!」
なおも、沖田を睨み返した。
「ぼ、ボクは、士道とかわからないですよ! 武士じゃないから! でも、料理人としての筋道ってのは分かる!!」
幕末最強とも呼ばれた剣士を前に、必死で言葉を吐いた。
「死にたがりに食わせる料理なんてない! 食い物ってのは、生きるために食うもんなんだ!」
「――――⁉」
その怒声に、沖田の手が、わずかに震えた。
「なのに、アンタらはなにかあれば殺すだ死ぬだの! 食い物のことでさえそうだ! 生きるために食うもので死ねだの殺すだの、見当違いも甚だしいんですよ!」
彼らの行動の矛盾は、泉には、全ての「食」に携わる者たちへの冒涜に思えたのだ。
「……………………」
「……………………」
無言で見守る、土方と近藤。
「……………………」
「……………………」
無言でにらみ合う、沖田と泉。
一秒が百分に感じる静寂が、流れる。
「わかったようなことを………!」
その静寂は、沖田が破った。
(死ぬ……ボク、やっぱ死ぬのか……!)
泉の脳裏に走馬灯が回りかけた次の瞬間、刃は首筋から離れ、すばやく、鞘に納められた。
「へ………?」
呆然とする泉であったが、そんな彼女を無視して、沖田は皿の上のマルゲリータ・ピッツァを一切れ手に取る。
「ふん……!」
それを不愉快そうな顔で口に入れると、一言だけ返す。
「これ……ウチの隊の者たちにも、食わせてやってください」
そして、それだけ言い残すと、彼女にしては珍しく、ドスドスと床を踏みつけるように歩き、退室してしまった。
「へ……? え………? ええっ⁉」
「あっはっはっはっはっ!!」
どうして良いかわからず、その場に凍りつく泉であったが、近藤の笑い声で、我に返る。
「君の勝ちだよ、泉くん」
そして、ニッコリと笑う。
「君の作ったモノを自分から食ったんだ。認めたということだよ」
「そう……なんですか……?」
「君は、石田三成という男を知っているかね?」
歴史上の有名人の一人。
関ヶ原の合戦で、徳川家康と天下分け目の大戦をした武将である。
「その三成は、処刑される寸前にも、出された干し柿を『痰の毒だ』と言って、食べることを拒んだそうだ」
処刑の時を間近にして、「体に悪い」などおかしなことをと、人は彼を嘲笑った。
しかし、その話を聞いた家康は「さすがは石田治部、まさに武士の鏡なり」と称賛したという。
「命を惜しまないことと、命を軽んじることは、別物だ。死地に赴くとわかっていても、生きて帰るという思いが、強さにつながる」
日々の小事で命を捨てては、大事に力を尽くすことができなくなる。
「士道という意味では、君のほうが筋を通しているんだよ」
「よく……その……わかりません……」
現代の学生が、幕末の武士道をわかれというのも無茶な話であった。
「そういうことにしておきなさい」
まるで、「そうしないとあいつがへそを曲げる」とでも言いたげな顔であった。
「さて、俺たちもご相伴にあずかろうじゃねぇか? これは……手づかみで食って良いのか?」
そう言うと、近藤もまた、ピッツァを手に取る。
「こりゃ熱い! あ、だが、この熱さがまたいいな……俺は獣肉はともかく、牛の乳を使った食い物なんて初めて食うが……ふむ、これはまた妙味というやつだな。初めて食う味だ」
快活に笑い、近藤は一切れをぺろりと口に入れる。
「豚の肉も、この調理法なら、気にせず食えるかもしれんな」
近藤に進められ、同じくピッツァを食する土方。
ピッツァもそうだが、彼はベーコンにより興味を示していた。
「燻製なら、保存も効くしな。いいかもしれん」
こういう現実的な判断をしてしまうのも、副長という立場の職業病かもしれない。
「とりあえず、そのボク……死ななくていいってことですよね………」
はぁと、力が抜けて、泉はその場にへたり込む。
「ああ、これからも頼むぞ泉くん! うん、こりゃあ俺はもしかして好物かもしれんな。いやいや、手が止まらんぞ!」
二切れ三切れと、口に運ぶ近藤であった。
「これからは、君がいればコイツを毎日も食えるということか……トシ、いい人材を見つけてきたな!」
「ええ、まぁ……ただ……」
改めて、近藤からお墨付きをもらったことを評価する土方であったが、やはりそこは副長、どうしても現実的な思考が先に行く。
「おい泉……これ、作るのにいくらかかった?」
「はぁ……えっと………」
この時代、まだ生産が一般化していない乳牛を加工しバターにしたり、さらには食用でさえないトマトまで用意した。
とくにチーズなどは、さすがに数日では出来上がらなかったので、外国人居留地まで使いを出して手に入れてきた。
「これくらいですかね……」
ざっと計算して泉が告げた額は、この時代ならば、下級の武士の一年分の俸禄にも匹敵するものだった。
「のっ………!?」
さすがにこれには、豪放磊落な局長近藤の顔もこわばる。
「さすがに……毎日は無理だな……」
「ですねぇ……」
時を超えた、本来その時代にはないメニューを再現するには、多大な代償が必要となる。
具体的には、とてもお金がかかるということが、明らかになったのであった。
その日の夜――
「ちょっと、こっちは私の領地です。侵犯しないでください」
「子どもですかアンタは!」
沖田の個室に同居することとなった泉であったが、そう広くない部屋に線を引かれ、不可侵を要求されてしまった。
「あ、ちょっと待ってくださいよ! これだとボク、部屋出られないじゃないですか、トイレ――
泉の“領地”は部屋の奥、出入り口のふすまの真逆である。
「知りませんよ。ああ、空中なら許可しますから、がんばって飛び越えることですね」
空中ならばセーフという、小学生のようなことを言われた。
「まったく、なんでこんな目に……」
そして沖田は、さっさと布団に潜り込みぶつぶつとつぶやいている。
「まだ言うんですか。沖田さん、ボクの入隊認めてくれたんでしょう?」
「そーですけどねぇ!」
背中を向けたまま、なおも憎まれ口を叩いている。
「………」
沖田の年齢は、幼く見えるが、泉よりも上である。
なのにまるで、幼子のように、わがままを言っている。
それこそまるで……
「もしかして、土方さんとかとの関係で、へそ曲げているんですか?」
「―――!?」
泉が言った次の瞬間、まったく知覚できないほどの、まさに「神速」で、それは起こった。
「なにかふざけたことを言いましたか?」
一息で体を起こすと、直後に、枕元に置かれた刀を抜き放ち、泉の眼前に突きつけた。
「あ………!?」
にらみつける沖田の目に、殺意と、憎悪と、そして怒りが溢れていた。
それは自分の最もデリケートな部分を踏み荒らした者への、激しい怒りであった。
「そういう邪推が、私は一番嫌いなんですよ」
切っ先をピッタリとくっつけたまま、死刑宣告のように沖田は言う。
自分は女であり、土方は男である。
それゆえに、男女の情愛からくる嫉妬で突っかかっているのだと、泉がそう思ったと、彼女は感じたのだ。
そしてそれは、沖田にとって、「相手を斬り殺す」理由としては十分な程のものであった。
「ボク……十歳になる頃には、オヤジの命令で、厨房に入れられたんですよね」
「はい?」
しかし、刃を当てられてなお、泉は冷静であった。
「まぁその、厨房の修行って、辛いんですよ。しかも親のコネで入れられたんで、周りの目も厳しくって……いや、違うなぁ、厳しいっていうのとも、ちょっと違う」
遠い目になりつつ、あの日を思い出す。
高名な父の存在を慮り、自分に「配慮」する厨房の大人たち。
そんな生ぬるい空気が嫌で、少しでも認められようとがんばった。
しかし、がんばってもがんばっても、生ぬるい笑顔を向けられるだけだった。
「女の子にしては頑張っている」
そう言われたことは、一度や二度ではない。
最初から期待していない者が、意外とできたから、褒めてやる。
そんな空気をいつも感じ、悔しさに唇を噛んだ。
「男とか女じゃなくて、“料理人”として見ろよ! って、いつも思ってたんですよね」
沖田のいらだち、不機嫌の原因は、やはり土方にあるのだろう。
だがそれは、わかりやすい恋愛感情などではない。
むしろその逆だ。
「土方さん、あの人……実は意外と優しいんでしょうね。沖田さんを思いやっている。でも、それは……」
土方の優しさは、その根底に「女の子に無茶をさせたくない」という想いがあった。
だから沖田は悔しかったのだ。
「剣士としての自分」を見てくれない彼に、苛立ったのだろう。
「…………………」
沖田はなにも言わない。
だが、無言で刃を戻し、鞘に収める。
「あなたにわかったようなことを言われたくない」
そして、背中を向けると、ふてくされるように、再び布団に潜ってしまった。
「あ…………」
その姿を見て、泉は「やってしまったか」と後悔する。
わかってしまっても、わからなくても、彼女にとっては、微妙な問題なのだ。
「…………厠に行くくらいなら、勝手に通ってください」
しかし、沖田は背中を向けたまま、ぶっきらぼうな声でつぶやいた。
「沖田さん………」
「………もう寝ます」
背中を向けたまま、沖田はそれ以上何も言わず、寝息を立て始める。
「ふぅ………」
今さらながら、汗が吹き出る。
もしかして自分はかなり、危ない橋を渡ったのかも知れない。
その自覚が、ようやく追いついてきたのだ。
(前途多難だなぁ……)
職を得て、寝床を手に入れるだけで、この苦労。
幕末を生きるのも命がけだと、改めて思う泉であった。
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