20-2 大きな目的のための苦難
やはり勇者とは相容れない。
話が堂々巡りをする赤竜の言い分に、カイゼルは鼻で笑おうとした。
「はっ。それで交渉をする気が――」
言葉を遮ったのは、ぞぶりと肉に突き刺さる音だ。
まったく、僕らの目としても信じがたい。
エリノアは石の槍を生成し、何の前触れも、躊躇もなくカイゼルの首を貫いた。
そうしてできるのは赤竜が地面に縫い付けられていた時と同じ有様だ。
びくんと一瞬だけはねた彼の体はそのまま崩れ落ちようとするが、首を貫く石が彼をカカシのように吊るしている。
「は……?」
槍が突き刺さった感触。
そして吊り下げられる感覚と痛み。
それで彼はようやく自分の置かれた状況が理解できたらしい。
神経だけが断たれ、大血管や気管は傷つけられずに残っている。
カイゼルはもはや振り向く事もできずに声を上げた。
「なっ、なんだこれはぁっ!? き、貴様、勇者の身でありながら裏切るのか!?」
対するエリノアの反応は失望だけだ。
「数分せずしてくたばるような半死人を大切にする道理はない。お話を円滑にする手土産になれる分、まだ有意義だと思うがね?」
「……前から思っていた。貴様には、人の心がない。我が身のみを愛おしとする悪魔め!?」
カイゼルは恨みを少しでも晴らそうとしたのか、魔法を放った。
けれども激しい動揺に、全身の魔力回路もぼろぼろとあってはまともな攻撃なんて放てない。
自らを巻き込む範囲の火球を発生させ、爆発させるのが精一杯だったようだ。
だが、その程度で勇者が傷つくはずがない。
大した防御もせず、煙たそうに手で仰いだエリノアはちらとこちらに目を向けた。
「遺恨といえばそちらもあるだろう? ほうら、竜への貢ぎ物だ。仕上げを任せよう」
とんと背中を突き飛ばす動作に反し、カイゼルは僕らの方向へと吹き飛ばされる。
屈辱と、恐怖と、最期の反抗心と。
強張った形相はエリノアから僕らへと標的を変える。
「エル、私がやっていい?」
ギリ、と拳を握り込む音がした。
テアは狩りを前にした獣のように瞳孔を細めている。
砂界にやってきた時、彼女は宣言をしていた。
幼い頃の彼女は狂犬のようだったと宰相が言っていた通り、彼女は親族を殺された恨みを根幹に持ったままだ。
機会がある以上、止めて止められるものじゃない。
危険ならフォローをする気構えだけ整え、彼女の行動を見守る。
「待てっ。待て、待てぇ!? そんなことが許さ――」
そういうことを言える立場ではないなどと言ってやるのも今さらだ。
無言で踏み出したテアは足元から闇の刃を発生させた。
断末魔が上がり続ける中、吹っ飛ばされた勢いのままカイゼルは胴体を刃によって貫かれてようやく勢いが止まった。
テアがその首を鷲掴みにすると闇が炎となって爆ぜ、カイゼルの胴体を粉微塵に吹き飛ばす。
赤竜の望み通り、残った首をそちらへと蹴り飛ばしたテアは呟く。
「……ざまぁ見ろ」
仇の一人とも言える勇者を討った。
けれどもテアには何の感慨も沸いた様子はない。
はぁ……。と重く息を吐いた彼女は赤竜に目を向けた。
「ねえ、直接手を下した私でも何の気も晴れない。そんなものをただ見るだけで、あなたは何の整理がつくの?」
赤竜にしてみれば、カイゼルとエリノアは直接恨みを抱いた対象だ。
数百年という時の中で勇者が代変わりしていても、テアよりは具体的な復讐になるだろう。
『整理、か。確かに何の足しにもならぬ。積年の恨みに身を任せ、人という人を焼き払うことの方が心安かろう。されども、汝らの言葉にも理がある。だからこそ、であろうな』
驚くほどに静かな語りだ。
今までの感情に従って熱波を撒き散らしていた姿とはまるで違う。
だが、同時に空気は不穏な圧力を高めていた。
嵐の前の静けさとでも言うべき何かを肌で感じてしまう。
僕はテアのもとに近寄り、危険を感じ取る本能に従って気構えする。
『我は苦難に挑む命に恵みをもたらす者。悪しきを焼き払う者。どちらの選択もあり得るのだ。故に、汝らよ。苦難に挑め。そこな女を我が前から逃げ果せさせたならば従おう。慄くならば退くがいい』
静かに、されども威厳をもって呟くに従い、周囲に変化が現れた。
火の勇者、カイゼルがその身に宿していた膨大な魔力が赤竜のみに吸い集められていくのだ。
……そう。
マナとは大地を循環するもの。
それが荒れ狂えば火山も鳴動させる力の塊。
では、この砂界の伝説を思い出そう。
赤竜は一体どこより出でて、もう一対の竜と対峙しただろうか?
火山より出でる神獣が、火に属する力を集約するのは何らおかしくない。
『今一度問おう。人の子よ、苦難に挑むか?』
エリノアとは利害が一致している。
しかし、その力も霞むほどの圧力が今、目の前で翼を広げた。
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