第5章 救国の雄 ⑧

 ぐんっ、と男の体が大きくなったように感じた。錯覚だ――男はただ、剣道のすり足のようにノーモーションで――ただし、スピードは目にも留まらぬ早さで――迫ってきた。


「――っ!」


 隙の無い動きで繰り出される剣をなんとか凌ぐ。


「つぁっ! ぜやぁっ!」


 次々と繰り出される剣撃をかろうじて防ぐ。受ける度に柄を握る手に痛みが走り、僅かに次への反応が遅れる。このままいずれ大きく崩され、致命の一撃を打ち込まれてしまう。


 どれもこれもギリギリで反応するのが精一杯の猛攻。その中で剣筋を読めた一撃を体ごと受けに行く。ガギンと一際大きな剣戟を響かせ、男の猛攻が止まる。


 鍔迫り合い――五分の状況に持ち込むが、ここで押し負けてはまた防戦だ。逆に押し崩して反撃に出るため、両足に力を込めて全力で踏ん張る。


 男も俺を弾き飛ばそうと押し返してくる。


「貴様――我が軍門に下るつもりはないか」


 互いの額がこすれそうな距離で剣を合わせて押し合う中、魔人がそんなことを言う。


「――あぁ!?」


「俺とこれだけやり合える力――殺すには惜しい。我が配下――いや、共にデウスゼクス様に仕えると誓えば命は助けてやろう。貴様ならいずれ我が主の右腕となれるかもしれん」


「ふざけたことを! 街をこんなにして、魔王の手下になれだって? 笑えねえよ!」


 怒鳴り返す。刃同士がこすれ、ギリギリと嫌な音がしていた。


「貴様が命をかけて戦う理由はなんだ? この街の人間を守ることに、どれほどの意味があるというのだ」


「てめえみてえな理不尽過ぎる災厄から誰かを守るってだけで十分だろ……!」


「それは地を這う人間の基準で考えた答えだろう。そんな枠に囚われることなく、好きなように生きればいいではないか。これだけの力……貴様を咎められる人間などそうはいまい。魔王様が統治する世界では、力こそ正義――貴様なら限りなく自由に生きられる。血と暴力で弱者を踏みにじる愉悦を心から味わえる。どうだ、考えただけで昂ぶるだろう? 貴様の力を思う存分振るえるのだ」


 淡々と語る魔人――俺はそれに言い返す。


「俺は弱者をいたぶって楽しいなんて思えるほど悪趣味じゃねえよ……誰かと笑い合って過ごす方がいいね……!」


「……所詮、人間か。持って生まれた力を振るう喜びがわからんとは」


 生憎持って生まれた力じゃねえんだよ! それに――


「違うね、てめえらの根性が腐ってるんだ……!」


「貴様を配下とすれば魔王様もお喜びになられると思ったが――もういい。貴様の命、ここで終わらせる」


 そう言って、魔人は俺と合わせていた剣を力任せに振り抜いた。耳障りな音を残し、俺の持っていた剣――ブロンズソードが剣の半ばで両断される。


「――な、に」


 力の支えだった剣がなくなり、大きく前につんのめる。そこにさっきのお返しだとばかりに魔人のつま先が飛んできた。胸を強打され、情けなくひっくり返ってしまう。


「痛――」


「気づいていなかったか? 随分前から刃こぼれしていたぞ――得物が悪かったな。もっとマシな武器を持っていたら貴様が勝っていただろう。一合ごとに力を増す貴様に、魔王様以外で初めて恐怖を覚えた――とは言え、人の造る剣など我が剣の前ではどれもそう変わらんだろうが――」


 くそ、アシェリーさんにもらった剣が――


「ナルミ様――!」


 セシリアの悲鳴が聞こえる。しかしどうにもできない。魔人が倒れた俺に突きつける剣――あれを防ぐ手段がない!


 まじかよ、こんな終わり方――


 セシリアを救えず、スカーレットにも応えられないまま終わるのか。


 ――と。


「彼の武器が上質であれば勝利は必至と? それは僥倖。ならばこの戦、アトラ様の使徒であらせられるナルミ様の勝利は揺るぎません」


 死を覚悟しかけた時、凜とした声が辺りに響いた。いや、これは――さっきの俺と同じ風の魔法で拡散された声か? 聞こえてくる声の方角が掴めない。


「なに――」


 魔人も同じようだった。あちこちに視線を向け、待ったをかけた言葉――その声の主を探す。当然俺にも声の主は見えない。しかし声の主が誰か――それだけはわかっていた。


「――《雷縛陣ライトニングバインド》!」


 魔人の足下に明滅する魔法陣が現れる。同時に魔法陣から雷光が空に伸びた。バチバチと音を立て、大気を引き裂く強烈な雷の魔法――その魔法は残念ながら不発だった。しかし魔人が魔法を躱すために退いたせいで、俺は奴の必殺圏から逃れることができた。


 急いで立ち上がると、更に近くの建物から幾重もの魔法と矢が放たれる。


「こんなもので、俺を仕留められると思うか!」


 邪魔が入ったこと、俺を必殺圏から逃したことで激高する魔人がそれらを剣でいなし、斬り伏せる。が、次々と放たれるうえ、地上からも援護が入り、防ぐだけで手一杯。俺にまで気が回らず――そしてその隙に、まだ崩れていない建物の屋上から俺の元に声の主――イーヴァがふわりと飛んでくる。


「イーヴァ――」


 呼びかける。彼女は頷き――そして口早に、


「あなたの声は聞こえていました――騎士たちからの報告、我が国の現状を考えると、今、レミリア王国にかの魔人を退ける力はありません。あなたに賭けるしかないようです」


「いや、でも――押してるじゃないか。騎士たちがもう少し頑張れば」


「わたくしとあなたがこうして話をする時間を稼ぐため、騎士と兵が全力を尽くしています。矢が尽きれば、魔力が尽きればもう抗うことはできないでしょう」


 俺の言葉にイーヴァは淡々と答え、


「ナルミ――わたくしはあなたを好ましく思っていません」


 だろうな。昼間の態度からそれはもう理解している。彼女から見たら大好きなお姉様が俺に取られた形だろう。面白くないに決まってる。


「異世界人であるというあなたの言葉も信じ切れません――ですが、お姉様が信じるあなたを信じたいと思うわたくしもいます。アトラ様の使徒であるというあなたに希望を見いだしたいのです。ナルミ――わたくしはあなたを信じてもよろしいのですか?」


 それは、単に是非の問いじゃない。俺が今問われているのは気概だ。意志だ。まだ戦えるのかと。あの魔人を倒せるのかと。


 それに、俺は――


「――任せろ」


 そう答える。


「――わたくしを、お姉様を、レミリアの街を救ってくださいますか?」


「勿論だ」


「ならば結構」


 頷くと、イーヴァは大きく息を吸い――


「レミリアの民よ――わたくしはレミリア王国王家第一王女、イーヴァ・レミリアです!」


 声高に叫ぶ。すぐ隣にいるのに不思議な響きだ。レミリア自身の魔法なのか、俺がさっき騎士に頼んだときと同じように、街中に声が届いているのだろう。


「レミリア王家は、ナルミ様をアトラ様の使徒――神に仕える騎士・神騎として公式に認め、王家に伝わる秘宝――アトラ様がこの地に下ろした神器|運命を切り拓く剣《レミナスデリカ》を託すことにいたしました!」


「なん――だと!」


 魔人がイーヴァの言葉に目を剥いて、こちらに躍りかかろうとする――が、騎士と弓兵が頑張ってくれた。奴は魔法と矢の弾幕に阻まれ、思うように動けない。


 そしてイーヴァはその場で跪き、腰に佩いていた剣を剣帯から外し、鞘ごと俺に捧げた。鞘の先を自身に、柄を俺に向け、頭を垂れる仕草はまるで主に剣を捧げる騎士そのもの。誰も見ていないのに恭しく跪くイーヴァのその姿は、俺に対する期待と信頼の証だ。


 剣を受け取り、腰に佩く。イーヴァはすっと立ち上がり、


「今! 神剣はナルミ様に託されました! レミリアの民よ! 勝利は我らにあり――」


 イーヴァの声に、遠くからさっきのものより大きな歓声が聞こえてくる。


 中継の魔法を止めたらしいイーヴァは、昼間の時のようなちょっと不機嫌そうな声で、


「――理由はわかりませぬが、先の演説――民の支持が欲しかったのでしょう? 多少はお力添えができたかと」


「――ありがとう」


「あなたにレミリアの明日がかかっているのです。敗北は許されませんよ」


 最後に彼女らしい言葉で背中を押してくれるイーヴァ。彼女がこの場から離れていくのと同時に――


「邪魔をするなっ!」


 怒りの咆哮。魔人を中心に紅赤の炎が立ち上り、向けられた魔法を、矢を、全てはじき飛ばす。阻むのが無くなった魔人は俺に向かって駆けだした。迎え討つために受け取ったばかりの剣を抜く。柄に、鍔にそれらしい意匠が施されたロングソード。鋼色の刀身が月明かりにきらりと光る。


 が――


「なんだ、それは――神器? 神剣? 欺けると思ったか――神の力など毛ほども感じぬわ!」


 怒号。魔人が剣を振り上げる。悔しいが奴の言葉通りだ。セシリアのロザリオのような力の片鱗を全く感じない。


 それでも――アシェリーさんには悪いが――ブロンズソードよりいくらか強靱に思えた。鉄か鋼か――それとも霊銀ミスリルだったりするのか。判別できないが、今の武器はこれだけだ。こいつで奴を仕留めるしかない。


 奴の一撃を受け止める――その瞬間、俺の意識はブラックアウトした。



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