第5章 救国の雄 ⑦

 あの魔人と俺には大きな力の差がある。ちょっと勇気を出して立ち上がっただけでは到底敵わないだろう。


 しかし俺にはその力の差を埋める術がある。


「レミリアのみんな――聞いてくれ! 俺の名前はナルミ――運命神アトラがこの地に遣わせたアトラの使徒!」


 決して大声を出している訳じゃない。しかし町中に伝わっているであろう俺の声明は、当然すぐそこの男にも届いている。魔人は冒険者たちに凶刃を振るう手を止め、俺の方を驚愕の表情で見つめていた。


「ナルミ様――」


 隣のセシリアが、潤んだ目で俺を見上げる。俺は彼女の肩を抱き寄せ、声が魔法に乗って広まらないよう小声で囁く。


「セシリア、俺に勇気をくれ」


「――……はい、はい。私の全てを、ナルミ様に」


 そう涙声で答えたセシリアは、俺に体を預けてきた。俺は彼女の肩を抱いて――


「そしてレミリア大聖堂の聖女、セシリア・ロンハートが認めた聖人だ! みんな、遅くなってすまなかった! 街に災厄をもたらす魔人は今から俺が必ず倒す! ギルド前が戦場だ――戦いの被害を受けないよう、近くにいる人は街の外か大聖堂に逃げてくれ! 街に被害は出るかも知れないけど、もう誰も死なせない!」


 夢中で叫び――そして遠くから歓声が聞こえてくる。同時に、体に力が漲ってくるのを感じた。《英雄体質》は異性の好意が作用する能力――しかしそれが愛情だけでなくリスペクトであっても働くのは、クリフトンと殴り合った時にセシリアが証明してくれている。国教らしいアトラ教の総本山があるこの街では、『アトラの使徒』ってのはリスペクトを集めるのに特に都合がいい。


 単純に考えて街の人口の半分は女性だろう――そのリスペクトが今、俺に集まっている。


 セシリアが、クララが、アシェリーさんが、ナターシャが、スカーレットが――街の皆が俺に勇気を与えてくれた。今度は俺が答える番だ。


「そうか、虫けら……魔王様が感じたこの地に降りた神の力というのは、娘の持つ神器ではなく貴様のことだったか」


 災禍と話すことなどなにもない。俺の体が強ばったのを感じて、セシリアがそっと離れた。切っ先を魔人に向け、身構える。


 男の全身から放たれる殺気は、ここに立っているだけで肌が裂けてしまいそうなほど強烈なものだった。だけど、セシリアが俺を見ている。スカーレットが祈っている。




 ――負けられない!




「ぁぁぁぁあああああっ!」


 質量を感じるほどの圧を押し退け、男に迫る。


「ふんっ……!」


 袈裟斬りに放った一撃は、魔人の剣に弾かれる。しかし、先の一撃より確かな手応えがあった。技量じゃ敵わないにしても、《英雄体質》で街の皆から力をもらった今の俺は、力だけならこいつと互角に斬り結べる!


「っ――こんな力を、人間ごときが……!」


「顔色が変わったぞ、トカゲ使い!」


 殺し合いはともかく、ケンカの場数は少なくない。こういうのはビビったら負けだ。その点で俺はさっきまでビビりまくりの負けまくりだった――だが今は違う。奴が虫けらと断じ、事実ビビりまくりだった俺が、勇気をもらって力を得たことに奴は驚愕している。


「ぬかせっ、虫けらがっ!」


 唐竹割りの一撃が頭上から降ってくる。さっきはその一撃の重さに潰された俺だったが、両手で柄を握りしめ、必殺の一撃を受け止める。


「なに――受け止めた、だと!?」


「――ぉぉぉおおおっ!」


 そのまま力一杯剣を跳ね上げ、魔人の剣をはじき返す。大きくのけぞったところに追撃を入れたいが、俺も斬りつけられるほど体勢が良くない。代わりにがら空きの胴――奴の纏うチェストプレートに思い切り足形をつけてやる。


 ダメージはないだろうが、それでもたたらを踏む魔人。その形相はまさに悪鬼と呼ぶに相応しいものだった。激しい憎悪を燃やし、俺を睨みつける。


「貴様……虫けらの分際で、この魔竜騎将が一人、ディザスト様を足蹴に……!」


「こんなもんで済ますつもりはねえよ!」


「――殺す!」


 叫ぶ魔人。同時に俺の足下に真っ赤に光る魔法陣が現れる。なんだこれ――


「お逃げください、ナルミ様! それは《火縛陣ファイアバインド》――炎を召喚する魔法です!」


 セシリアの声が聞こえる。そんなんだと思ったよ! 慌てて飛び退くと、魔法陣からどでかいガスバーナーのような炎が空に伸びた。二、三メートルは離れたが、その烈火の熱が肌を焼く。火力がヤバイ。あんなのを食らったら比喩ではなく骨も残らない――


 その超高温の炎柱を割るように魔人が飛び出してきた。レーザーのような炎をものともせず、飛び退った俺の着地を狙って打ち込んでくる。


「な――」


 驚く暇もない。胴を薙ごうかという魔人の剣筋に無理矢理自分の剣をねじ込んでなんとか受ける――だが姿勢が悪すぎる。踏ん張りきれず、無様に地面に転がされた。何度か地面と夜空を交互に見て、なんとか地面にかじりつく。


 くそ、火炎竜ファイアドラゴンを召喚したり炎を操ったり、炎タイプだと思っちゃいたが、まさかこんなもんを目くらましに使うなんて――


 追撃を食らう前に立ち上がる。大丈夫――まだやれる!


 ――と。


「――《大氷撃フロストボルト・バースト》!」


「――《大雷撃サンダーボルト・バースト》!」


 奴との距離が空いたことを好機とみたか、仲間が魔法で魔人を狙う。が――


「ふん」


 魔人はつまらなそうに剣を振った。鬱陶しい羽虫を払うような雑な剣――その一振りで、自身に迫る二つの魔法を一度に斬り伏せる。


「なに――」


「魔法を斬っただと!?」


「邪魔をするな、虫けらども……貴様らから先に殺してやろうか!」


 魔法を放った騎士と冒険者を睨み、魔人。その魔人に言ってやる。


「――俺から目を離すなよ。後ろからぶん殴るぞ」


「まさか人間にそんなことを言われ、俺自身その言葉を疑わない日が来るとはな」


 言って魔人は、初めて剣を構えて見せた。ただ切っ先をこちらに向けるだけではなく、両手で柄を握り、正眼に構える。


「光栄に思え、人間――俺に本気を出させた人間はお前が初めてだ。もう油断はせん。全力で叩き潰す」


 そう口にする魔人の体から、今までとは比べものにならないほどの圧を感じた。


 それでも――


 俺の心は、まだ折れていない。


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