第5章 救国の雄 ⑥

 足がもげるんじゃないかと思うほど全力で地面を蹴る。


 俺がどれくらい寝ていたかわからない。あの男が本気になれば、神器の持ち主であることを明かしたセシリアの胸を剣で穿つのは一瞬だろう。最悪なのは、もうすでにその瞬間を迎えてしまっていることだ。


 そうでないことを願いながら、セシリアに手を引かれて駆けた道を戻る。


 そう長い距離じゃない道のりを、《英雄体質》で強化されている俺の足はスプリンターの金メダリストも裸足で逃げ出す速度で駆け抜けた。そう時間をかけず、道程を走り抜けてギルド前の通りに飛び出す。


 セシリアの修道服――それが目に入ったことに安堵した。


「――セシリア!」


「! ナルミ様、どうして――」


 もう既に神器の持ち主であると明かしたのか、件の男はセシリアと向かい合っていた。それを阻むように幾人かの騎士や冒険者がセシリアの前に立ち、男からセシリアを守っている。


 そんなところに現れた俺に、男はにやりと口角を上げた。


「ほう――虫けら同然とは言え、聖女が逃がした人間――捨て置けぬと思っていたが、まさかわざわざ殺されに戻ってくるとは」


「ナルミ様、お逃げください、ナルミ様――」


 男が嗤い、セシリアが叫ぶ。


 喉はカラカラだし、正直全て投げ出してここから逃げ出してしまいたい。だけど、手も足も震えていない。さっきまでほどえも言われぬ恐怖に駆られていない。


「セシリア――俺が負けると思ってんだろ」


「え――」


「俺がこんなトカゲに跨がって偉ぶってるような奴に負けるかよ」


 俺の言葉を聞いた男が呟くように言う。


「……貴様、自分が何を口にしたかわかっているのか? 我が竜をトカゲだと? 俺に負けないだと? 虫けらの妄言だとしてもさすがに聞き流――」


 何やら大仰な仕草で口上を垂れ流す男。だが、そんなもんを最後まで聞いてやる義理なんてない。男が気持ちよくしゃべってる間に二歩、三歩と歩みを進め、間合いに入ったところで飛びかかる。


 居合い斬りのように抜き様に放った横薙ぎは、しかし男の胴に届く瞬間、奴の持つ黒い剣に阻まれた。


「! これは……!」


「くそ、さすがに簡単じゃねえや……!」


 今日剣を握ったばかりの俺に、技量なんてものはない。森狼フォレストウルフ食人鬼オーガが相手ならともかく、この男相手に追撃など考えたら反撃されるのがオチだ。接近戦を避ける為、斬りつけた反動で飛び退る。


「貴様……本当にさっきの虫けらか?」


「さぁな。見たまんまだよ、トカゲ使い」


「ほざけっ!」


 男が腕を振り上げる。同時に巨大な炎の塊が宙空に現れた。


「あれは――《真・火撃リィンフォース・ファイアボルト》!?」


「逃げろ――体が消し飛ぶぞっ!」


 背後で誰かが叫ぶ声。しかし、同時に――


「――《大氷撃フロストボルト・バースト》!」


「――《大雷撃サンダーボルト・バースト》!」


 別の誰かの声。青白い氷槍が、閃光のような稲妻が男の放った巨大な炎塊に激突し、爆散する。振り返ると、冒険者が、騎士が、それぞれロッドと剣を男に向けていた。胸中で助力に感謝しつつ、男に告げる。


「いいな、今の――隙だらけだったぜ。もう一回やってくれよ。次は絶対斬りつけてやる」


 嘘だ。後ろの誰かが防いでくれなきゃ俺は確実に消し炭だっただろうし。言うほど隙があったわけじゃない。だが、戦える。不意打ちで、しかも防がれたとは言え、男が俺への態度を変えるほどの一撃を放てた。俺は戦える。


 そして、虫けらと断じた俺に軽口を叩かれ、男は怒り心頭だ。


「……もういい、虫けらの勘違いを正してやろう。嬲ったりせず、全力で叩き潰――」


「ぜあああああっ!」


「はああああっ!」


 またしても男の口上は中断された。魔法の爆散の隙に回り混んでいた冒険者たちが、男の背後から襲いかかる。


「後ろからとは、いかにも虫けらのごとき手法で実に結構なことだ! だが後ろをとったぐらいで俺をやれると思うなよ!」


 二対一で、それでも男は冒険者たちを圧倒する。彼らも長くは保たないだろう。今のうちにと俺はセシリアに駆け寄る。


「ナルミ様、どうして――」


「君を置いて逃げるなんて、そんなこと出来るはずないだろ」


「ナルミ様……」


「なあ、セシリア――あいつ、上空でしゃべってたとき、街の外壁まで声が聞こえてたんだよ。どうやってたかわかる? ただ大声を出していたわけじゃなくて、魔法で拡声器的な――って言ってもわかんないか。とにかく声量以上に広範囲に伝わってたと思うんだけど」


 口早に尋ねるが、セシリアは首を振る。しかし、近くで俺たちの話を聞いていた騎士が代わりに答えてくれた。


「風の魔法の応用だ――我らも戦場で広く命令を伝えるために使うことがある。必要なのか」


「あんたは、確か――」


「グロッソ・ハミルトンだ――そういう君は何者だ。ブロンズクラスのようだが、先の動き、とてもブロンズクラスのものとは思えん。我ら騎士と並ぶ実力と見たが――」


 疑惑的なまなざしを向けてくる騎士にどう答えるべきか。考える間もなくセシリアが答える。


「ナルミ様は人類の希望です。私が仕えるべき方で、近い未来、魔王を倒して英雄となられるお方です!」


 セシリアのリスペクトが凄い。しかし、今は好都合。


「街の人全てに俺の言葉を伝えたいんだ」


「お願いします! ナルミ様がそう仰るからには、必要なことなのです!」


「……聖女様がそう仰るのであれば」


 俺より強く騎士に願うセシリアに騎士は頷く。聖女様……? そういやあの男もセシリアのことを聖女とか言っていたな。神器の持ち主ってことでそうなっているのか。


 騎士は剣を収めると、口の中で呪文らしき文言を呟き――


「いつでもいいぞ」


 小さく呟く。俺は頷いて息を吸い――スカーレットと別れた後、ここに来るまで考えていた口上を口にした。


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