第5章 救国の雄 ⑤

 訳がわからずセシリアに従うが、気づく。この道は聖堂に向かう道じゃない。


「セシリア、どこへ――」


 尋ねるが、答えは返ってこない。代わりに――


「……ナルミ様」


 ギルドからそこそこ離れたところでセシリアが立ち止まり、呟く。


「な、なに?」


「あの者が言う『神器を持つ者』とは私のことなのですね?」


「――それは、」


 言葉が出なかった。しかしセシリアはそんな俺から確信を得たようだ。優しい微笑みを浮かべ、諭すように言う。


「ナルミ様は、嘘がつけないお方ですね」


「そんなこと――」


「私、あの者のところへ戻ります」


「だめだ、あいつは君を狙ってるんだ! 戻ったら殺される!」


 それを口にした途端、言ってはならない言葉だったと直感した。


 いつからだ。壁の外から街の惨状を見たときか。


 腰を痛めた青年を助けたときか。


 ギルド前で、傷つき倒れた騎士や冒険者を見たときか。


 やはり直接対峙して、一瞬で三度殺されかけたからか。


 俺は恐怖していた。森狼フォレストウルフ食人鬼オーガの時とは違う。心底死を恐れ、あの男を畏怖してる。


 もう俺はあの男の前に立ちたくない。今度こそ殺される。


 そしてセシリアはそんな俺の本心を見抜いていた。先の嘘がつけないという言葉と優しい笑顔はそういうことだ。


 セシリアは俺の手を取り――


「私は今、この世に生まれて来た意味を知りました。ナルミ様と出会った意味を知りました」


 周囲にはまだ避難できていない人がどこへ逃げるべきか迷い、右往左往していた。誰も俺たちを気にする人はいない――そんな中、角の暗がりに俺を押し込めたセシリアは、先と同じように微笑んだ。


「――ナルミ様は優しいお方。きっと助けを求めれば、その命を賭して私たちを救おうと戦ってくださるでしょう」


 彼女の声は、こんな状況だと言うのに、どこまでも優しく響いた。そして俺の顔にそっと手を添えて――


「……しかし、それは今ではありません。あの者の言葉が真実なれば、近く魔王が復活するのでしょう。ナルミ様、あなたはアトラ様が遣わせてくれた人々の希望――ですが今は万全ではないご様子。今は逃れてください。そしていつの日か立ち上がり、魔王を討って世界を救ってくださいませ」


「俺はそんな器じゃ――」


 反論するが、セシリアは首を振って否定する。


「アトラ様の使徒であること――そしてアトラ様が私に力を授けてくださったのがなによりの証拠。思うところはあるかもしれません。飲み込めないこともおありでしょう。ですが今は生きて逃れてください。その為の時間は私が作ります。このロザリオがあれば、私が神器を持つ者として――神の遣いとしてあの者を欺くことができるはず」


「馬鹿な! そんな事のために、アトラは君に力を下ろしたんじゃない! おい、アトラ! てめえなんとか言えよ! セシリアはお前の一番の信者だろっ!?」


 叫ぶ――が、反応がない。それどころか急激に意識が遠のいていく。なんだ、これは――


「……ごめんなさい、ナルミ様。私、魔道士の使う魔法が一つだけ使えるんです。《睡眠スリーピング》……はしゃいで寝ない子たちのために覚えたので、こんな風に使う日が来るとは思いませんでしたが」


「セシリア……」


 抗いがたい睡魔に襲われ、立っていることもままならず膝をつく。セシリアが俺を支え、倒れてしまわないようにそっと座らせてくれた。


「……たった一日でしたが、私、ナルミ様にお仕えできてよかったです。ナルミ様が私のためにクリフトンさんとレイモンドさんに立ち向かってくださったこと、きっと忘れません。ナルミ様のお陰で、最期に恋というものを知ることができました」


「待って……セシリア……」


 なんとか引き留めようと声を絞リ出す――が、既にまぶたは落ちかけて、手を挙げることさえ叶わない。


「さようなら、ナルミ様。いつか世界を救ってくださいね」


 彼女の言葉と、立ち去っていく足音。そして俺の意識は――




   ◇ ◇ ◇




「――ねえ、ねえ! 大丈夫?」


 肩を激しく揺すられて気づく。


「良かった……こんなとこで座り込んでるんだもん、死んじゃってるのかと思ったよ」


 目を開けると、赤いナイトドレス姿の美女が俺の顔を覗き込んでいた。


「あ――あんたは、確か」


 その女性の顔には見覚えがあった。俺が転生して路地裏で気づいた時にときに居合わせたオリエンタル美女。その女性は目が覚めた俺にほっとしたように、


「昼間に会ったね。見覚えのある顔が死んでたなんて目覚め悪いじゃんよ。生きてて良かった……ほら、生きてるんなら逃げようよ。こんなとこにいたら死んじまうよ……まあ、あたしも逃げ遅れた口なんだけどさ」


 言いながら、その褐色の肌の美女は俺を支えて立たせてくれる。


「あたし、スカーレット。あんたは?」


「ナルミ……八千代ナルミ」


 ぼうっとする頭を振って答えると、褐色美女がにっと笑う。


「よし、意識ははっきりしてるね。そんじゃ一緒に逃げようか。まあ、逃げたところで生き延びられるかわかんないけどさ」


 言って褐色美女は遠い空を見上げる。夜空は、燃え上がる街の炎で赤く染まっていた。


「! そうだ、俺、行かなきゃ……」


「あれ、あんた逃げる当てあるの。らっきー。人助けなんてガラじゃないかなぁとか思ったけど、徳って積むもんだわー」


 そう言って笑う彼女。


「……大聖堂へ向かうといい。正門が解放されてて、神父やシスターが避難してくる人を受け入れてる。王城が近いから守りが堅いんじゃないかって話だ」


「おー、ありがとー……って、あんたは一緒に行かないの?」


「俺は、行かなきゃ……」


「どこに」


「……魔人のところに」


 震える声でそう告げる。するとスカーレットは目を丸くした。


「正気? あんたが下げてるの、ブロンズプレートじゃん。無理無理、新米冒険者が敵う相手じゃないって! 一緒に逃げようよ」


 それは、甘い誘惑だった。のれたらどんなに楽だろう。


 ……だけど。


 セシリアの最後の言葉を思い出す。今日出会ったばかりで、あんなによくしてくれた女の子にあんなことを言わせて、これ幸いと生き延びて……


 そして、俺はいつか彼女の言葉に応えられる日が来るのか。


 今立てなきゃ、きっと明日も立てない。明後日も、その先も――


「……起こしてくれてありがとう。聖堂には一人で行ってくれ。俺は戻らなきゃ」


 そう言って、ギルドへ戻るべく踏み出そうとして――そして、膝が笑っていることに気がついた。震える足は、一歩も前に出てくれない。


「無理だよ! あんためちゃめちゃブルってるじゃん! 顔も真っ青だし――」


「でも、行かなきゃならないんだ」


「ブロンズのあんたが魔人の前に立ってなにしようってのさ。殺されるだけじゃん!」


「そうだとしても、行かなきゃならないんだ」


「そんなめちゃめちゃビビりながら言われてもね」


 スカーレットが、呆れたように言う。


「今行かなきゃ、俺はきっと一生逃げるだけの人生だ。そんなのはごめんだ」


「……そこまでビビりながら強がる男、初めて見たよ。呆れるの通り越して感心するね。そんなに死にたいの?」


「まさか……さっき一瞬で三度殺されかけた。あんな思いをするのはもう嫌だ」


「それでも行くの?」


「行かなきゃならないんだ」


 答えると、スカーレットは嘆息し――


「……仕方ないね。それじゃあこのスカーレットお姉さんが、あんたが生きて帰ってこれる魔法をかけてあげるよ」


「そんなものが? できるなら頼むよ!」


「安くないよ?」


 言いながら、スカーレットは俺の手をとって自分の腰に回した。そして俺にしなだれかかるように抱きついてくる。


「は? え、ちょっ――」


 慌ててそう言うと、スカーレットは一旦離れ、不機嫌そうな顔を見せる。


「あんた、あたしのカッコ見てわからないわけ?」


「何を……?」


 尋ねると、胸元が大胆に開いたナイトドレスを指し示し、


「あたしは花売りだよ。一晩だけの恋人インスタントラヴァーってわけ。今夜の客はあんだだけ――最後の客は夜が明けるまであたしを独占できるのさ」


 言ってスカーレットが再び俺にしなだれかかってくる。


 そして――


「愛してる」


 そう呟いた。


 それは、偶然だっただろう。彼女が俺の《英雄体質》を知っているわけがないし、彼女がたまたま俺を見かけただけの出会いだ。


 彼女の言葉通り、朝までは俺の恋人になるということなのだろう。けれど彼女が囁いた言葉はきっと本物だ。体中を震わせていた震えが収まっていく。


「愛してる」


《英雄体質》が機能しているのか、それとも彼女の力なのか、恐怖が薄まり、力が湧いてくるのを感じる。


「あたしを守って。あたしのために戦って。生きて帰って、抱きしめて」


 彼女の手が背中に回され、抱きしめられ――耳元でそう囁かれる。スカーレットの香水だろうか、バラの香りが胸に広がった。


 ――そして彼女が俺から離れたとき、俺の震えは完全に収まっていた。


「……こんなもんでも、結構やる気出るだろ?」


 片目を閉じてウィンクをする彼女。


「……出たよ。ありがとう」


「あんたみたいにめちゃめちゃビビりながらでも何かに立ち向かおうって男が、意外と世界を救っちゃったりするのかもね?」


 スカーレットが笑う。


「あたしは安くないからね? お代は朝に――踏み倒したら許さないよ」


「絶対に払うよ。忘れない」


「だけど、戻って一番にあたしを抱きしめてキスしてくれたらチャラにしてあげてもいいかも。ナルミ――あんたの無事を祈ってる。絶対に帰っておいで。いいね?」


「ああ――聖堂で待っててくれ」


 そう伝え、ギルドの空を見上げる。震えが収まった足は、意識せずとも地面を蹴ってくれた。

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