第5章 救国の雄 ①

 必死に足を動かし続け――ついに足の裏に根が張ったように動けなくなったのは、街の外壁を目前にしたところだった。


「はぁっ、はぁっ……」


「大丈夫か、兄弟」


「無理すんな。姉さんからもらった霊薬エリクサー、使えよ」


 併走するクリフトンとレイモンドは、肩で息をしているが俺よりはまだ余裕がありそうだ。基礎体力が俺とは違うのだろう。


 ポケットから取り出した霊薬エリクサーの小瓶――その封を開け、中身の液体を飲み干す。苦みと酸味がきつく、決して美味いと思えるものではない。しかしその効果は絶大だ――カラカラに乾いていた喉に霊薬エリクサーが染み渡り、体力、気力が漲ってくる。全身を苛んでいた疲労感は消え去り――つまり、絶好調だ。


「平気か?」


「ああ、もう大丈夫。行こう」


「行こう、つってもな」


 レイモンドが険しい表情で街を見る。その視線の先――外壁の向こうでは、幾筋もの黒煙が上がっていた。火の手が上がっているようだ。


 街の中へ続く外門周辺は、街の中から逃げ出してくる人々で溢れている。人々の嘆息の中、街の中からは破壊音とかすかな悲鳴が聞こえてきた。


「……マジかよ」


 今まさに廃墟となりつつある王都を前に、クリフトンが呆然と呟く。


「これをあの野郎がやったってのか」


「ミスリルクラスの魔道士が大隊組んで空から魔法を降らせたんじゃねえか?」


「その方がなんぼかマシな気がするぜ。魔道士一人一人ならやりようはある……単騎でこの状況を作った奴の相手をするよりは楽かもな」


 ゴールドクラスの二人もこの状況を前に初めて弱気に見える態度だ。街が燃える炎で赤く染まる夜空――洋画のクライマックスでロケットを打ち込まれた街のようだ。


「……兄弟、逃げちまおうか?」


「街には騎士連中もいるだろうしな。これでこの状況なら、俺らなんかいてもいなくても変わらないぜ」


 そんなことを言い出す二人。しかし、まだ出会ったばかりのこの二人が、本気でそんなことを言い出すような連中じゃないことを俺はもう知っている。


 だから俺は、憶えたての冒険者の流儀で返す。


「馬鹿言うなよ。俺はあのトカゲ使いをぶん殴って、ブロンズからミスリルへの最速昇格記録を作るんだ」


「――良く言った、兄弟。これだけやったあの野郎をぶちのめせばアダマンタイトやオリハルコンもあるかもな?」


「それだけじゃねえ、報奨金にも期待できる。一杯奢れよな、兄弟!」


「ああ――一杯と言わず、潰れるまで呑んでくれ」


 逃げ惑う人の流れに逆らい、クリフトンとレイモンドと一緒に街の中へと踏み入る。


 そんな俺たちの目に入ってきたのは、凄惨な街の様子だった。家は崩れて火の手が上がり、壁の内側が外より悲鳴が響いている。


「ひでえ……」


 唇を噛むクリフトン。しかし、その呟きさえも街の崩壊音でかき消されてしまう。


 頭上に翼竜とその背に乗る男の姿は見えない。しかし俺には理解できない魔法でも使っているのか、奴の物と思しき哄笑――そして街の人々に告げる声が振ってくる。


「ふははははは――泣け、叫べ、這いつくばって逃げ惑え――そして貴様らの希望に助けを求めて縋り付け! 貴様らに出来るのはそれだけだろう?」


 声と共に、十数メートル向こうに炎の塊が降ってきた。直撃した家屋が爆散し、瓦礫が舞う。その家屋が倒壊する音に混ざり、くぐもった悲鳴が聞こえた気がした――気のせいじゃない、クリフトンとレイモンドもはっとして声がした方に顔を向ける。


 三人で同時に駆け出す。ものの数秒で今まさに崩れている家屋の前に着き――


「誰かいるのかっ!」


「……瓦礫に挟まれて動けねえ、助けてくれぇ……」


 レイモンドが大声で叫ぶと、眼前の大きな瓦礫の下から助けを求める声が聞こえる。


「くそ、まじかよっ!」


 悪態をついても始まらない。その二メートル四方はあろうかという屋根の残骸をどけようとしゃがみ込む。俺一人なら難しいかも知れないが、


「いくぜ!」


「せーの!」


 三人でゆっくりそれを持ち上げると、苦悶の表情を浮かべる青年が蹲っていた。


「兄弟! 俺たちが支えてるから、その兄ちゃん引っ張り出せ!」


「応っ!」


 二人に残骸を任せ、その青年を引きずり出す。倒壊中の家屋から離れたところまでそのまま連れて行き――


「大丈夫か? 立てるか?」


「ぐっ、痛え……腰をやっちまったみたいだ……」


 激痛に顔を歪める青年。そして空から、例の男の声が降ってくる。


「聞こえるか、人間ども――神器を持つ神の使いを探し、我に捧げよ! さすれば我が主が目覚めるまでの一時、貴様らに生の喜びを味わうことを許してやろう! 隠しだてると言うのなら、この街を滅ぼして貴様らの血と恐怖を我が主に捧げるものとする!」


「好き放題言いやがって……!」


 思わず毒づいて上空を見上げる。どんな手を使っているのか、どこから声が降ってきているのかがわからない。あちこちに視線を巡らせて――そして崩れかけ、黒煙を吐く屋根の向こうに凶悪な翼のシルエットが見えた。あれはギルドの方か――


「――兄弟、兄ちゃんの様子はどうだ?」


 瓦礫を手放した二人が、救出した青年の様子を伺いに来る。


「……腰を怪我しているみたいだ。立つのは無理らしい」


「だろうな――おい。兄ちゃん。金輪際あんなクソ重い瓦礫を掛け布団にしちゃいけねえぜ」


 レイモンドが冗談を言いながら青年を肩に担ぐ。


「……痛っ!」


「男だろ、我慢しろい――兄弟、最後まで付き合ってやりたかったが、そうも言ってらんねえ。俺たちは一旦街の人らの救助と避難誘導をする」


「神官の嬢ちゃんは任せたぜ」


「わかった」


 二人の言葉に頷く。


「当てはあるのか?」


「――わからない。ギルドで待ってるって言ってたけど、こんな状況だし……セシリアなら自分の身の安全より街の人たちの救助を優先しそうだ」


「かもな……あの嬢ちゃんなら怪我人助けて町中走り回ってるかもしれねえな」


「こっちで見かけたら必ず保護する」


「……頼む。俺は一度ギルドに行ってみようと思う」


「落ち着いたら一緒にあのトカゲ使いをぶっ飛ばしてやろう」


「ああ」


 悠長に語り合う時間はない。俺と二人は口早にそう交わし――そして、俺は踵を返し、ギルドの方角を目指し駆けだした。



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