第3章 はじめてのクエスト ⑤

 よろよろと森狼フォレストウルフたちの死骸から離れ……そして急に腰がくだけた。足がまったく言うことを聞かず、その場で盛大な尻餅をつく。


「ナルミ様っ!」


 セシリアが叫んで駆けてくる。まだ足が震えているのだろうか、ばたばたとした駆け足だが――腰が抜けて尻餅をついた俺より気丈だ。


「お怪我はありませんか!?」


「なんだよ、セシリア……見てなかったのか? 不格好だったけど、一撃ももらわなかっただろ? 怪我なんてないよ」


「見てました! 見ていましたとも……!」


 へたり込んだ俺の隣に、修道服が汚れるのも厭わずセシリアが座り込む。怪我の有無を確認するように俺の体のあちこちをさすり、無事を確認すると安堵の息を漏らす。


「ああ、ナルミ様。よくぞご無事で……」


「二人から勇気をもらったからできたんだ。とは言え、今になってめっちゃビビってるけど。腰抜けちゃったし……格好悪いな」


「そんなことありません! 格好なんて関係ないです。生きて帰るのが強い冒険者なのです」


 そう言うセシリアだが、まだ俺が心配なのか、俺を支えるように寄り添うセシリア。嬉しいが、ちょっと恥ずかしい。


「セシリア姉の言うとおりっす。ナルミさんのお陰で助かったっす。自分、絶対死んだと思ったっす。このご恩は一生忘れないっす」


 セシリアに遅れてクララがやってくる。どうやら森狼フォレストウルフを串刺しにしてそのままになっていた俺の剣を回収してきてくれたようだ。彼女は血で汚れたその刀身を懐から取り出した布で綺麗に拭い、一瞬迷って地面に突き刺した。今俺に返しても納刀できないと判断したのだろう。その通りだ、ナイスジャッジ。


「マジ凄かったっす。歴戦の冒険者って感じだったっす」


「こんな様なのにか?」


「こんな様でもっす」


 クララが大真面目な顔で頷く。


森狼フォレストウルフはランク的にはシルバークラスの冒険者の相手っす。それもパーティ向けの高難易度。ソロで相手をするのはゴールドからっすよ。そもそも森狼討伐の依頼はブロンズじゃ受けられないっす。それを一人で――」


「一人じゃないよ。君たちがいてくれたからだ」


 それは本当だ。セシリアとクララと知り合ってなければ《英雄体質》もその効果を発揮していないだろう。そうでなければ俺が冒険者であるクララが取り乱すような相手を向こうにして立ち回れるわけがない。


 まあ、そもそもセシリアと知り合ってなければ冒険者になろうとも思わなかっただろうが。


「自分なんてなにもしてないっすよ。みっともなく泣きわめいただけで」


 自嘲するように、クララ。いや、そうじゃない。


「それは違う。一匹目を倒したのはクララだ。君がいなきゃ、俺はあそこでやられてたよ。それにセシリアも魔法で援護してくれた。俺一人じゃきっとできなかった。みんなの勝利さ」


「ナルミさん……」


 俺の言葉に、クララがまだ赤い目を再び潤ませる。


「待った、泣くのは止めてくれ」


「……うっす。まだやること残ってるっす。泣いてる場合じゃないっす」


「? やること? 敵は倒したろ?」


 尋ねると、隣のセシリアが答えてくれる。


「魔物の死骸はそのままにしておけません。放置すると動く死体(リビングデッド)になってしまいます。だから、倒した後は死骸を焼かねばなりません」


「そっか。それでさっき浄化の魔法を?」


「いえ、それはナルミ様が息苦しそうだったので……瘴気を払えば少しは楽になるかと」


「そうだったのか、ありがとうな。あれで随分楽になったよ」


「お役に立てて何よりです」


 伝えると、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。この笑顔を守ることができて、本当に良かったと思う。


「死体処理だけじゃないっすよ。死体の一部を剥ぎ取って持ち帰らないと討伐の証明にならないっす。まあ大がかりな仕事やアンデッド系だとまた話は変わってくるっすけど」


 クララがセシリアの説明を継いで口を開く。なるほど、ギルドの人が仕事に着いてきて確認するわけじゃないもんな……


「そっか、それじゃあ済ませちまおうか」


 言って、立ち上がり――そして俺はまたすてんと尻餅をついた。我ながら情けない……


「いいっす、ナルミさんはもう少し休んでてくださいっす。剥ぎ取りは自分がやるっす」


「ええ、ナルミ様。処理は私たちが」


「……頼んでいいかな」


 俺もやると言いかけたが、腰が抜けたままではそれもできない。


「はいっす! セシリア姉、自分、森に入って薪代わりになりそうなもの集めてくるっす」


「クララ、一人で大丈夫?」


「大丈夫っす。いざとなったら一目散に逃げてくるっす。セシリア姉はナルミさん見ててくださいっす」


「わかったわ。じゃあお願いね」


「任せてくださいっす!」


 そう言ってクララは駆け足で森の中へと踏み入っていった。足取りは腰が抜けた俺とは違い、しっかりとしている。しかし――


「一人で行かせて大丈夫だったかな?」


 彼女の背を見送ってしばらく、荒かった息も整い、遅れてやってきた恐怖もいくらか失せた頃、セシリアにそう尋ねる。


「大丈夫だと思います。森狼フォレストウルフが縄張りにしていた森です。近くの野犬や狼、熊なんかは逃げ出すか、既に彼らに狩られているか……それに森狼フォレストウルフは群れで行動する魔物です。他に仲間がいれば一緒にこの場に現れているはず。深いところに足を踏み入れなければ滅多なことはないでしょう」


「でも、夜の森だぜ? ここらは月明かりで明るいけど、迷子っつか、遭難とか」


「彼女も冒険者です。そうならぬよう心得はあります。そう気を揉まずとも大丈夫ですよ」


「……そりゃあ俺よりしっかりしてるように見えたけどさ」


 呟くようにそう言った途端――えも言われぬ感覚に襲われた。それも、ポジティブなものではないと断言できる。なんだ、これは――さっき森狼フォレストウルフを向こうにして感じた恐怖とも違う、嫌な予感。


 どうしてそんなことを感じたかわからない。ただ無性にじっとしていてはいけない気がしてならなかった。


 足に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。中腰で姿勢を保ち――よし、立てる。


 どうにも慌てる心を抑えて、辺りの様子を覗う。特に変わったことは感じない。クララが地面に突き立てた俺のブロンズソードを回収し、鞘に収める。


「……ナルミ様?」


 急変した俺の様子に、同じく立ち上がり不安げに尋ねてくるセシリア。


「……なんか、予感がして――じっとしてちゃいけないような」


 彼女にそう告げる――同時に、森から聞き憶えのある声が響いた。


「セシリア姉、ナルミさん――逃げてくださいっす!」


 その声に、俺とセシリアは同時に地面を蹴ってクララが消えた森に踏み込んだ。


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