第3章 はじめてのクエスト ④

「この辺りじゃモンスターの目撃情報はないって話じゃなかったのか!?」


「行商人がモンスターと犬っころを見間違えたのは自分のせいじゃないっすよ!」


 半泣きでクララ。それでも構えた剣の切っ先を下げないのはさすが現役の冒険者だ。


「どうする? 逃げるか!?」


「無理っすよ! こいつらの足の速さは半端じゃないっす! 背中見せた途端後ろからがぶりと美味しくいただかれちゃうっす!」


「行商人は逃げ切れたんだろ? そうだ、革袋の肉を囮に――」


「五匹が満足する量はないっす!」


 半狂乱で叫ぶクララ。


「あー、セシリア姉、ごめんなさいっす……自分が一緒に野犬退治しようなんて言ったから! セシリア姉をこんなとこでモンスターの餌なんかにぃ」


 ついに泣き出すクララ。それでも切っ先は下げない。ぽろぽろとこぼれる涙を拭いもせず、森狼フォレストウルフと呼んだモンスターを睨みつける。


 それでも呟く言葉と共に、喉の奥から嗚咽が漏れる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


「泣くのをお止めなさい、クララ」


 背後から聞こえた言葉は、邪気を払う聖鈴のごとく凜と響いた。


「共にこの場にいるのはアトラ様のお導き――あなたを一人にしないよう、私たちをギルドで会わせてくれたのです。ああ、主よ――私を遣わせてくださったこと、心から感謝します」


 強い言葉に、俺は森狼フォレストウルフたちから注意を逸らさず、そっと肩越しにセシリアの様子を覗い――そして愕然とした。夜空の下でもはっきりとわかるほど、彼女の足は震えていた。唇が震えていた。その上恐怖で顔色は土気色だ。今にも倒れてしまいそうな体を、ロッドを杖代わりに、かろうじて立っている。


 それでも――その声は優しく、温かく――少しも震えず、強く、強く。


「泣くのを止めなさい。歯を食いしばりなさい。最期まで諦めない者にアトラ様は微笑んでくださるのです」


「セシリア姉――」


「勇気とは、挫けぬ心。立ち向かう覚悟。大丈夫です、クララ――アトラ様の加護はここにゴッド・ブレス・アス


 それは、祈りの言葉――口元に力を込め、セシリアがそう結ぶ。


 俺は、そんな場合でないとわかっていながら猛烈に感動した。恐怖で涙が止らないほどの敵を向こうにし、それでもなお剣を下げないクララに。立っているのも困難なほど震えながら、それでも自分を姉と慕う年下の子に勇気を説いて励ますセシリアに。


 そんな二人の姿は、俺に勇気をくれた。


「――でも! ナルミさんと二人で一匹捌くのがやっとだったんすよ! そいつが五匹……絶対無理っす!」


「大丈夫、次はもっと上手くやれる」


 俺はクララの前に出てそう言った。


「君は、セシリアを頼む。倒そうとは思わなくていい。身を守ってくれれば、後は俺が」


 さっきの剣を外したのは、アシェリーさんにかかっていった一撃目と同じだ。前がかり過ぎた――こいつらの恐ろしい巨躯と拮抗できた俺の力ならきっと全力じゃなくていい。アシェリーさんとの訓練でうまくできたような力加減で十分な一撃を与えられるはずだ。


「いくらなんでも無理っす! 今日初めて剣を握ったような人が――」


「クララ、大丈夫。ナルミ様なら大丈夫です」


「ああ、やれる。やれるさ――」


 セシリアに、クララに聞かせるように――自分に言い聞かせるように。


「――やってやる! 来い!」


 叫び、左手を柄に添えて剣を正眼に構える。俺たちを囲むように扇形に展開していた森狼フォレストウルフ――その内二匹が左右から飛びかかってきた。


 読み通り! 胸中で喝采する。狼と呼ばれるくらいだ、頭がいいのは予想できる。狼が群れで狩りをするって話は現代人の俺だって知っている。五匹がいっぺんに一つの目標に向かっては効率が悪い――一度にかかってくるのは二匹か三匹だと思っていた。


 右手側――足下に飛び込んでくる相手を迎撃するようにその頭に剣を振り下ろす。体を覆う毛並みで刃先が滑ったか、斬ることこそできなかったがそいつは地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。銅の塊で殴ったのだ、脳しんとうか、頭蓋が割れたか――


 そいつに覆い被さるように身をかがめる。耳元で顎が閉じて牙のこすれる嫌な音が鳴った。背筋を寒いものが伝う。


 首元を狙ってきたそいつは攻撃を外したと知るや否や、地面を蹴って仲間の元へ戻った。他の三匹と並ぶと、うなり声を上げて後ろ足で地面を掻く。


 いくら《英雄体質》で基礎能力が上がっていても、それに見合う技量は俺にはない。五匹相手に上手く立ち回れるとは思っていないし、二匹目は躱すだけで反撃はできなかった。しかしそれでも――これならやれる!


 再び飛びかかられる前に、伏した森狼フォレストウルフにもう一度剣を振り下ろす。確かな手応えと共に、森狼の頭部がひしゃげた。


 これで一匹――あと四匹!


 奴らは、仲間の死を見てもひるまなかった。むしろ俺を脅威と判断したのか、うなり声を上げ姿勢を低くする。


 ――来る!


 正面から突撃してきた森狼フォレストウルフは、しかし俺の眼前で直角にその軌道を変えた。迎撃すべく振り下ろした剣は宙を薙ぎ――そして一匹目とすれ違うように右手から迫っていた奴が、空を斬った剣にかじりついて俺の手から奪おうとする。


 マジかよ、武装解除ディスアーム狙ってんのか? 頭いいにもほどがあるだろ!


 目の端には左手から迫ってくる残る二匹の影。


「ナルミ様!」


「ナルミさんっ!」


 背中から聞こえる二人の声。この二人の為にも、俺はここでやられるわけにはいかない。


「――負けるもんかぁっ!」


 全身の力を振り絞り――俺は刀身に齧りついた森狼フォレストウルフごと剣を振り上げた。そのまま迫る二体目がけて全力で振り下ろす。


「ギャウゥ!」


「ギャンッ!」


「グォォォォォ……」


 剣は当たらず――だが仲間の体を上から叩きつけられ、迫っていた二匹はもんどりうつ。大したダメージはないだろうが、剣にかじりついていた森狼フォレストウルフは重症だ。頭から地面に打ち付けられ、衝撃で牙も折れたか口から血を流して力なくもがく。この様子ならもう戦力に数えなくていいだろうが、念のために後ろ足を思い切り踏みつけた。靴底を通して骨が砕ける感触が伝わる。


「……はぁっ、はぁっ……!」


 今のはヤバかった。剣を取られていれば――あるいは火事場の馬鹿力を発揮できなければやられていてもおかしくなかった。


 どっと吹き出す汗を袖で拭い、上がった息を整える。むせかえるような血の臭いに胃液がこみ上げるが、腹に力を込めて飲み込む。


 あと三匹……! 死んでたまるか。死なせてたまるか……!


 瞳に獰猛な敵意を浮かべる獣たちをにらみ返す。数的には楽になったが、俺の体力も目減りしている。まだ油断はできない。


「――《浄化プリフィケーション》!」


 セシリアの声――同時に、俺の周りの地面が仄かに輝き、血なまぐささが失せ、森の匂いを感じる。セシリアの魔法か。お陰で呼吸が楽になった。


「ありがとう、セシリア」


 振り返らずに告げる。


「ナルミ様、どうか、どうか……」


「大丈夫」


 体の力を抜き、襲撃に備える。目の前の敵はいつ襲いかかってきてもおかしくない。


 永遠に思える刹那の時間の後、森狼フォレストウルフたちはため込んだ力を解放し、一斉に飛び跳ねて襲いかかってきた。


 ここだ! さすがに獣の俊敏さを持ってしても、空中では軌道を変えられない!


 迎え撃つために飛び出す。端の一匹が着地する前に外側に回り混み、首を狙って剣撃をたたみ込む。手応えは十分、首を刎ねることは叶わなかったが、頸椎を砕いた手応えがあった。


 残る二匹は着地と同時、弾むラクビーボールのように急激に角度を変え、俺に噛みつこうと大口を開けて迫る。だが、それができるのはさっき目にしてる。動揺はない。身を捻りつつ、手にした剣――その切っ先を丸見えになった喉奥へと突き込んだ。突進の勢いも相まって、剣の刀身のほぼ全てが森狼フォレストウルフに飲み込まれる。


 一瞬で死体になった森狼フォレストウルフから剣を抜いている暇はない。すぐさま剣を放して当てずっぽうで地面を転がりその場を離れる。ガギンと牙と牙がかみ合う音が一瞬遅れて聞こえてきた。間一髪で回避に成功――これで残る相手は目の前の一匹だけ。


 それでも気を抜く暇はない。最期の一匹は仕切り直していた先ほどまでと違い、迷わず追撃にくる。


「ガゥァァアアアアッ!」


 仲間を殺された恨みか、あるいは獲物への執着か――躍りかかってくる森狼フォレストウルフ。得物を手放したので剣で迎撃することはできないが――諦めるつもりはない。逆に身を低くして突進し、噛みつきを掻い潜って相手の胴に肩から当たりに行く。


「ガフッ……」


 タックルの衝撃で肺の空気を吐き出す森狼フォレストウルフ。傍から見れば超大型犬を担いでいるように見えるかも知れない。そのまま尻尾を両手で掴み、一本背負いで地面に叩きつける。


「ギャンッ!」


 背中を痛打し、悲鳴を上げる森狼フォレストウルフ。起き上がってくる前にその顔面を踵で踏み抜く。断末魔を上げることもなく森狼フォレストウルフは息絶えて――





 俺たちは、誰一人欠けることなく生き残った。


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